米国大統領選のはじまり

ヒラリー・クリントン氏

2019年は米国の大統領選が始まる年だ。

2015年夏の時点で、共和党は並みいる候補がずらりと討論会に揃った。日本のメディアがまだジェブ・ブッシュ氏に注目していた頃だ。他方で、民主党は本命候補のヒラリー・クリントン氏しか目立っておらず、盛り上がりを欠いた。バーニー・サンダース氏が健闘したことで民主党は新たにミレニアル層の若者を開拓し、彼らの政治意識は高まったが、結果的に、党内の急進派とエスタブリッシュメントの間に蒔かれた不信感やわだかまりはなくなっていない。

共和党内では、外交問題においてはエスタブリッシュメントがトランプ大統領をけん制する動きがみられるが、それは内政の比重が高い米国政治においては党を割るほどの大きな問題にはなりえない。昨年の中間選挙にいたるまで、共和党は(困難な政治課題に足を踏み入れない限り)一枚岩でいられることを証明し続けており、白人男性の動員に成功して健闘した。

翻って、民主党は人口動態的にはマイノリティの増加により将来的にはどんどん有利になっていく見込みだ。にもかかわらず、MeToo運動を取り込んで女性を惹きつけたほかは、やはり窮地に立たされたままだ。それは、共和党側に中間層にただよう「保護主義的気分」を取り込まれてしまったのみならず、民主党を束ねる思想そのものやリーダーシップが不十分だからだ。

昨年は、リベラルの側から民主党を思想から建て直さねばならないという自省的な著作がわずかだが出てきた年でもあった。人びとが民主党に惹きつけられないのは、思想的な軸が民主党に欠けているからではないのか、という問題提起である。実際、民主党が大統領選で勝利するには労働者票を取り込むだけでなく、マイノリティの投票率をあげねばならない。中間選挙の分析結果が示しているように、白人の投票率は従来の中間選挙よりも高まった。しかし、圧倒的に民主党支持者が多いはずの黒人の投票率は上がらなかった。なぜだろうか。

黒人の投票率が選挙を左右する

アメリカン・ドリームを実現したバラク・オバマ前大統領

黒人の多くはいまだに貧しい所得階層にとどまっている。表立った差別を法律から一掃しても、真の機会の平等は与えられていない。米国では世代を超えて貧困が受け継がれてしまいがちだからである。それは警察による暴力や治安を含めた周辺の生活環境もあれば、教育の問題もある。ネイバーフッドのレストランなど食生活ひとつとっても、肥満になりがちな生育環境があるなかで、よほどの才能に恵まれた子が運にも恵まれない限り、アメリカン・ドリームを達成できないということだ。

そして、いささか同語反復的だが、経済的格差が埋められない限り、人種的偏見はなくならない。白人による差別感情は、黒人が貧しく彼らの税金を原資とした分配を必要としており、またギャングを輩出しているところに求められる部分が大きい。黒人が豊かになれば、階級闘争的イメージは消え失せ、違うイメージが定着するからである。

2016年の大統領選では、そのような黒人の生活に根差した不満を代表する全米組織、Black Lives Matterの代表がヒラリー不支持を呼びかけた。このことのインパクトはどれほど大きかったかは分からないけれども、確実にヒラリーの足を引っ張ったことは確かだ。であるにもかかわらず、リベラルメディアはこのことを大して報道せずに問題と向き合わず、「世論調査が間違っていた」と結論付けた。

それこそ大きな間違いである。隠れトランプというものが仮にいたとしたら、それは郊外に住む白人女性くらいだろう。電話調査で性的発言スキャンダルが報じられたトランプ氏を大っぴらに支持できないという問題が生じたのは、その層くらいだろうからだ。世論調査は別に間違っているのではなくて、過大評価されているに過ぎない。問題はYes、Noの回答ではなく、回答者の熱意=投票率のほうだからである。

バーニー・サンダース氏

そこへ行くと、ロシアは常に合理的行動をとる。最近の上院情報委員会に提出された報告書によれば、ロシアが行った選挙介入のターゲットは黒人だったという。これはマイノリティのサンダース支持者のFacebookページなどから彼らが誘導された政治サイトやFacebook投稿などをたどれば、報告書を読まずとも一目瞭然なのだが、圧倒的に黒人をターゲットとした工作が行われていたことが分かる。

こうしたページの作成元は調査によると、IRA(インターネット・リサーチ・エージェンシー)というロシアのプーチン大統領と親密な関係にある会社だ。つまり、ロシアの介入工作の責任者の頭脳からして「合理的に」黒人をターゲットとするのが望ましいという結論が出たということであり、それこそが米国民主党の弱点だということだ。

左派に浸透するフェイクニュース

私が選挙取材をしていて最も困難を感じたのは、ジル・スタイン(緑の党の候補者)やサンダース支持者の運動員たちが信じ込んでいるフェイクニュースを修正することだった。フェイクニュースは、右派だけが信じ込んでいるものと思われている方はいないだろうか。実は、選挙の過程をつぶさに見れば、左派が信じ込むフェイクニュースの方がよほど影響が強力だった。元来が右派である共和党支持者にフェイクニュースが浸透しても、エナジャイズされる効果しかもたらさないが、左派にフェイクニュースが浸透すれば彼らは本来リベラルな候補を攻撃したり否定するからだ。サンダース支持者も、ジル・スタイン支持者も、驚くほどトランプに関心がなかった。彼らが関心があったのは「ヒラリーの邪悪さ」であり「大企業の陰謀」だったのである。

BBCの解説者であるスティーヴ・リチャーズは『さまよえる民主主義』という本の中で、異端が躍進した原因を分析している。欧米におけるアウトサイダーの躍進に対し、多くの識者はその躍進を反エリート主義、反知性主義の台頭としてしか説明できなかった。しかし、原因はむしろ既存エリートによる政治の膠着化にある。人びとが変化を求めるのは理解できるが、問題は変化を求める過程で、潰さなくても良い政治家を潰してしまうことだ。リチャーズは左右のメインストリームの凋落には、常に権力に懐疑的なメディアの責任もあるのではないかと勇気ある論点を提示した。

メディアこそがエスタブリッシュメントの政治家を委縮させ、改革を挫折させ、何はなくとも率直そうに語るアウトサイダーの台頭を招いたのではないか、と。人びとはなぜ、自分たちが選んだ政治家に不寛容なのか。すぐに引きずりおろそうとするのか。この問題をよく考ええないことには、ヒラリー・クリントンの敗北の総括は終わらない。

メディアは直接的に手を下しているわけではない。メディアの蒔いた政治不信の種がどこでも手に入るフェイクニュースと合わさることで、人びとは影響されてしまうのだ。左派に浸透するフェイクニュースがインパクトを持つのは、政治不信、エリート批判、金持ち批判と今ある政治制度の否定が結び付くからである。それが投票率の低下という形で出るうちはまだ傷は浅いが、何らかの大衆行動がフランスの例のように治安の悪化を招いたとき、態度を明らかにしていなかった穏健派の人びとの多くが、自由の抑制に同意し、ストロングマン支配を望むようになる。こうしたメカニズムを、ロシアは熟知しているはずだ。

「政治の季節」が与える影響

ドナルド・トランプ大統領

こうして、2019年の米国政治が選挙一色になっていくなかで、それが世界に与える影響はどのようなものだろうか。まず予想されるのは、トランプ政権が成果を作るために様々な外交課題をごり押ししてくる可能性。マティス国防長官が辞任した今、同盟国の韓国は基地駐留経費負担問題でさらに苦境に立つだろう。韓国はもともと外交政策では進歩派の政権であったとしてもかなりの程度米国に譲ってきた経緯がある。それほどまでに米韓同盟は韓国にとって重要だということだが、逆は真ではない。このあたりの展開は、米国の外交官や軍人がさらなる負担分有を求めて世界中で机をたたいて同盟国に迫るだろうという、トランプ政権成立当初からの筆者の読みと重なる行動だ。

日本の米国に対する脆弱性が際立っていることも忘れてはならない。日本は米国との戦略的利益の共有を通じ、またそれを安倍政権が巧妙にトランプ大統領個人の政治的利益とあたかも重なっているように演出することで、円滑な関係を進めてきた。けれども、究極的には安保関係者などのプロに守られた関係は、民意の前に敗北する運命にある。それがいつになるのかは分からないが、同盟の信頼性が傷つかないように最大限の努力が必要だ。また、通商交渉で日本の利益を守りたければ、米国の業界団体や労組、議員の支持者といったグラウンド・アップのアプローチで臨まないと、効果は出にくい。米国の意思決定が集権的ではなくなってきているのも、民意の影響だ。

念のために言っておくと、民主党の基盤がエナジャイズされ、急進派の大統領が誕生したとすれば、それは的確に民意を取り込んだ結果となるはずだから、トランプ政権よりもましになるとはまるで限らない。むしろ、軍の味方であるというイメージで売り出してきたトランプ政権に比べれば、国内で分配を求める声にこたえるために軍事予算が抑えられ、コミットメントの度合いは低下する可能性もある。

豪州 スコット・モリソン首相

米国の同盟国は必死になってトランプ政権がもたらした不確実性への対応をはかっている。NATO諸国も軒並み防衛費をあげているし、豪州もGDP比2%を達成している。お互いの防衛協力を強化し、米国以外との外交関係も多角化して保険をかけている。日本も、こうした動きをとっており、豪州との協力関係の進展がとりわけ期待される。

安全と安定はただではないことが世界中に実感されたいま、2019年はひたすら米国の同盟国にとって自助努力が求められる年になるだろう。

(執筆:国際政治学者 三浦瑠麗)

「三浦瑠麗のリベラリズムとリアリズム」すべての記事を読む