新型コロナ対応…曖昧な日本の対応の背景に「自由」「人権」

「ほぼ不眠不休。映画が作れそうなくらい様々な話があった」

この言葉は、時は2月、中国・武漢から日本人をチャーター機で帰国させる職務にあたった北京の日本大使館幹部のものである。当時、昼夜を徹して行われたこの対応だったが、新型コロナウイルスとの戦いのほんの始まりにすぎず、事態はいまだ収束の見通しが立っていない。

チャーター機の帰国・2月

その間、集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に関しては乗客への対応が議論を呼び、日常生活と企業活動などをめぐっては、感染拡大防止と経済への影響の狭間で国と地方自治体の対応が揺れた。

そして現在の政府の対応に関しては、外出自粛要請と人との接触削減、店舗の営業時間短縮、PCR検査をはじめとする感染の疑いがある人への対処方針など、様々な措置はどれも明確かつ厳しい線引きがされているとは言いがたい。

これは憲法に保障された「自由」が根底にあるためだが、この「自由」は国や立場によって様々な解釈が出来る意味の広い言葉とも言える。特に隣国の中国と比べれば、この「自由」や「人権」という言葉の捉え方には大きな差があるのが実態だ。

日本の政治を取材する一方、かつて北京支局長として中国に赴任していた筆者からすると、この「自由」や「人権」という言葉には特に敏感にならざるを得ない。そこで、甚だ極端な例にはなるが、コロナ問題に見る「自由」を日中両国の対応を通して考える。

公と私の優先順位

中国で生活した人は多かれ少なかれ「政府の決定は絶対だ」という経験をしているはずだ。警察でも役所でも決めた政策、方針は変わらない。そこに個人の自由や権利が介在する余地もない。

立ち入り禁止区域の設定、道路の封鎖などは日常茶飯事で、不便を強いられる一般市民も逆らわない。逆らっても無駄なことをわかっているからだ。理由は「公の利益が全てに優先するから」だが、「公」とはもちろん中国共産党のことである。

個人の行動や主張にどれだけ「理」や「正当性」があっても、それが共産党政権に不利益となれば「公の秩序を乱す行為」になり、時に身柄も拘束される。個人の自由は全て「確立された公の下で許容される自由」ということになる。

その中国に比べ、日本ははるかに「個の自由」が尊重されている。新型コロナ対策に伴う国や地方自治体からの要請は、程度は違えども「お願いベース」であり、強制力はない。違反した場合の罰則もない。「(最終的には)一人一人の良識、良心に委ねられている」と言ってもいいだろう。

だから外出自粛要請が出ても出勤を含めた外出は出来るし、休日に公園に行くことも出来る。東京が武漢のようにロックダウン(都市封鎖)されることもない。チャーター機で帰国した日本人の中で、PCR検査を拒否した人が出たのも日本ならではのことで、中国ではありえない。公と私の関係で言えば「個の自由を最大限尊重した上に成り立つ公」とでも言えばいいだろうか。

コロナ対応にみるスピードと手法

その全土が共産党の統治下にある中国は、中央の決定は全てそのまま地方に下ろされるので政策が実行されるまでのスピードは速い。患者のための病院建設も、どんな理由があろうと建設する以外の選択肢はない。前述の通り、政府の決定は絶対だからだ。あの大量の重機の映像を見て驚いた人も多いだろうが、中国ではあれが「当たり前」だ。地域の封鎖など当局にすれば慣れたもので、いとも簡単に実施、解除できる。

一方の日本では、国と地方自治体の温度差が各所で表面化し、省庁間の調整、国会への報告といった手続きの問題も生じた。世論の動向も政策決定に大きく影響した。 日本には各方面との事前の協議を通じ、幅広い理解と合意を重視する傾向があると言えるだろう。安倍首相が2月27日に表明した全国一斉休校の際に、「十分な調整なしでの決断」が物議を醸したのはその証左である。

もちろん国のシステムが違うので、良し悪しの答えが明確にあるものでもない。「スピード対応」の中国には、強権的手法と自由の制限という影が常につきまとう。柔軟性に欠け、失敗や瑕疵がそのまま政権に跳ね返るリスクもある。

一方の日本政府も経済対策をめぐる迷走をはじめ、対応の遅れや、一定の抑制を効かせた施策に対する批判は多い。

問われる日本人の良識…「自由」を守る「責任」

それぞれの対応の評価は歴史や専門家に委ねるとして、日本がこの問題で問われるのは結局「個々の良識、自覚ある行動」ということになりそうだ。

中国に精通した外務省関係者は中国と日本を比べ「日本は国土も狭い。人口も少ない。資源もない。日本(人)が誇れるのは勤勉さ、真面目さ、器用さだ」と語る。人権・自由に配慮した強制力のない自粛要請を順守するかどうかという点で、日本人の真面目さが今まさに問われているのだろう。

一方で、ある自民党関係者は「以前の日本は滅私奉公、つまり私より公を優先する社会だったが、今は滅公奉私、公の気持ちがなくなってしまった。国会議員も、国のために尽力する意欲のある人が少なくなった」と嘆く。医療関係者とその家族などへの差別的な言動やネットに流布される心ない偽情報、今の政治状況などを指したものとみられる。

自由・人権を守るためには、利己的・差別的な行動を慎むという責任も生じる。新型コロナウイルスに立ち向かう姿勢は、日本人の在りようや社会への帰属意識、政治との繋がり・信頼の度合いを映す鏡であり、今後日本がどのような国になるかを占う大きな試金石になるのではないだろうか。

(フジテレビ政治部デスク 山崎文博)