1缶1万円以上する茶筒が4〜5カ月待ちの人気

家で一息つくときに出されるのは、お茶ではなくコーヒー。お茶を飲むとしても、缶やペットボトル…。生活スタイルの変化などで、急須で淹れてお茶を飲む人は昔に比べて減っている印象もある。最近では、茶筒がある家庭も少なくなったのではないだろうか。

そのような中、昔ながらの手法でひとつひとつ手作りされた茶筒に注文が絶えないという企業がある。京都に店を構える明治8(1875)年創業の開化堂で、その茶筒は1缶1万円以上するのにも関わらず、現在は4〜5カ月待ちの状況が続いているというのだ。

開化堂は、イギリスから輸入されるようになったブリキを使い、丸鑵製造の草分けとして創業。以来、一貫した手作りで初代から145年もの間、変わらない手法で作り続けている。
 

茶筒を製作する5代目の八木聖二さん
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過去には、第二次世界大戦時の金属類回収令や高度経済成長期における海外製品の人気、バブル崩壊など、この技術が廃れそうになった「危機は何度もあった」という。一時期、生活していくために薬屋を営む傍らで茶筒づくりを続けたこともあった。

精巧な技術で一つ一つ作っているとはいえ、なぜ現在、この茶筒がそこまで人気なのだろうか? そして伝統技術の課題といえば、やはり“なり手”の確保だろう。これらの疑問を解消するため、 6代目の八木隆裕社長(45)に話を聞いた。

真摯に作り続け、きちんと魅力を伝えてきたことが人気の秘密

――100年以上前から同じ作り方をしている茶筒であるのにも関わらず、現在も注文が絶えない。その理由は?

飽きのこないきちんとした製品を、真摯にずっと作り続けてきたことだと考えています。開化堂では修理も承っているのですが、100年前の茶筒をお客様から預かることもあります。

今作っている茶筒が100年後に修理として返ってくるので、そういう意味では「きちんと次世代まで使えるもの」という認知など、お客様に開化堂の茶筒の魅力を「ちゃんとお伝えできている」ところにあると思います。

また、一度使っていただいた方がさらに購入されたり、友達にプレゼントをされたりすることも多いのが特徴です。そういう意味で、単なる筒にしか見えないかもしれませんが、その裏にあるきちんとした“ものづくり”の部分が、使っていただくことによって伝わっているのかなとも思っています。
 

――開化堂の茶筒のこだわりを教えて

気密性がしっかりあるのにも関わらず、開け閉めしやすいことが大きいです。“気密性の良さ”と“開け閉めのしやすさ”は相反するのですが、絶妙なバランスを取ることで実現させています。

お客さまには、フタがその重みでスーと自然に閉まっていくことの良さを言っていただけるのですが、本来は開けた瞬間の気持ち良さと気密性をすごく考えています。開けた瞬間に気持ち良くて性能的に気密性が高いものに、人は「大事なものを入れよう」と思っていただけるかなと。このような、使ったときの感覚を初代の頃から大切にして作っています。
 

茶筒のフタを取ると中フタが現れる

育成は基本的に「みて覚える」。そこに開花堂らしさをシェア

――この茶筒を作る技術はどんなもの?そしてどのようにして受け継がれてきた?

“気密性の良さ”と“開け閉めのしやすさ”の絶妙なバランスを実現させるため、約130工程を全て職人の手によって作り上げています。外側からでは見えないところにもこだわった仕事をしています。それも100年以上前から変わらず、ずっとやり続けてきたことが誇りです。

育成に関しては、昔ながらの「見て覚える」という部分が基本的には大きいです。そして実際に作りながら、最初は先代である父親に渡して「ちょっと固いな」などと、先代の感覚をみんなで覚えていくという“感覚のシェア”をしながら学びます。

しかしこれだけですと単に茶筒が作れるようになれるだけで、“開化堂らしさ”には到達はできません。そこで毎日、全員参加の朝礼と“3時のおやつ”の時間を設けました。そしてこの時間に、例えば私が海外出張に行った時に見つけた“おいしいお菓子”や“かっこいいもの”を紹介することで、「これって開化堂らしさにつながるよね」などとシェアをしているのです。これを毎日することによって次第に伝わっていき、開化堂らしい茶筒になっているのだと思います。

私がやっていることは「言葉にできないことを次の職人さんたちに伝える」ことです。いかにこの感覚を、「言葉ではなく感覚としてシェアしていくのか?」ということにすごく重点を置いています。
 

開化堂の職人は若い人が多いのも特徴

今でこそ4〜5ヶ月待ちと順調だが、実は先代の5代目は自分の代で茶筒作りをやめることも考えていたそうだ。しかし、東日本大震災後に、日本の良いものを見直そうという機運が高まり、マスコミに報道されたこともあって開化堂に注目が集まり始めた。そして6代目の八木隆裕社長が就任後に行った“改革”がさらに転機となった。

茶筒の開化堂がコーヒー缶やパスタ缶を手掛ける理由

――何度も技術が途絶えそうになりながらも先代が知恵を絞って乗り越えてきた。これを受け継ぎ、6代目はどのようなことに取り組んできた?

先代から引き継ぐ直前から、卸専門だった茶筒をデパートさんなどで一般販売するようになり、海外のお客様向けの展開などは私が進めました。家業を継ぐ前、京都で観光客向けの店舗で働いていたのですが、そこで茶筒を売った経験から「海外でも売れるのでは?」と始めました。英語版のHPも作成し、現在購入される方の日本と海外の比率は半々ほどとなっています。
 

海外向けに英語版のホームページがある

―さらに、茶筒にとどまらずコーヒー缶やパスタ缶を手掛けているのはなぜ?

こちらも私が始めました。100年前の茶筒を修理に持ってきていただいている現状を考えると、今購入された方は100年後に修理に持って来られることになります。これまでの100年間と同じように、これから先の100年も同じ茶筒を作り続けるということをやらなければならないと思っています。

木で例えるならば、幹の部分が茶筒で、枝葉としてコーヒー缶やパスタ缶、響筒スピーカー、カフェが存在します。その枝葉に興味を持ってくれれば、いずれ幹の魅力にも気づいてくれるのではないのでしょうか?

そういう意味で、お客さまと楽しみながら、工芸が毎日の暮らしの中にあるということを目指して作っています。特に茶筒などの開化堂の製品は“ハレ”でなく“ケ”で、日常のもの。「日常をいかに彩るのか」「楽しくさせるか」ということをお客さまと一緒にできたらと考えています。

コーヒー缶にも茶筒の技術が生かされている

――パナソニックとコラボして、茶筒の技術が電化製品にも広がっている

パナソニックさんからの「100年先の良い暮らしを工芸と一緒に考えられませんか?」という提案から始まった製品です。その時に意見として出たのが「次の世代に渡せるような家電、価値の上がっていくような家電を作れないか?」という流れから、今回のスピーカーにたどり着きました。

知人に御櫃を作っている職人がいるのですが、ナショナルさんの電気炊飯器が発売されたときにはライバルでしかなかったと話していました。それが何十年か経って100年という大きな時間軸で見た時に同じ“ものづくり”として、これから一緒にやっていけるのではないかという可能性を感じています。

エレクトロニクスと工芸が合わさることで、その先にある未来を一緒に考えた結果として生まれました。

共同開発で製作したスピーカー。100個限定で既に完売している

若い人が志望してくれるのは“未来”を感じてくれているのかな

――開化堂を志望する若者は多い?

京都には伝統工芸を学べる学校があるのですが、そのような学校の生徒が就職にきてくれています。働きたいという人は毎年何人かいらっしゃるので、その中から毎年ひとり来ていただいています。職人は今7人でいっぱいなので、今後は欠員が出たら増やそうと考えています。そして職人は全員、私より若いですね。

また、このように若い人が応募してくれるのは、100年以上変わらない方法で作っていながらも、この茶筒に何か“未来”を感じてくれているのかなと思っています。


――最後に、今後の展開を教えて

“開化堂の茶筒”が世界中に知れ渡っていつつも、会社としてはこれまで同様に小さなくらいがちょうどいいと考えています。そうしたら次の代も続けていけるのではないでしょうか?

「物を使う」「物を作る」ということを、世界の人たちの中に「工芸とはこういうものなんだよ」ということを伝えていければ、次世代まで工芸の価値が伝わるはずです。

このようなことをやりたいと思い、既に世界中で講演などをしてきます。さらに、単に売るだけではなく、工芸を使うことの気持ちよさや楽しさを伝えるためのワークショップも開催しています。そこから思いが伝播していき、世界中に広まっていければ嬉しいです。

目指すのは、皆に開化堂を知っていただき、世界中から京都に買いに来ていただくイメージです。

作業をする6代目の八木隆裕さん

たしかに開化堂の茶筒は、145年以上同じ技術で作られているにも関わらず、現在においても古くささを感じさせないシンプルなデザインだ。そして、“気密性”と“開け閉めのしやすさ”のバランスが絶妙だという機能性も人気の秘密なのだろう。

真摯に作り続け、その魅力を時代に合った方法できちんと伝えていく。基本的なことではあるが、やはりこれが客と次世代の職人の関心を引きつけるのだろう。

(画像提供:開化堂)

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