【父・美光さん】
「彼が、絵のところに入ったことがあるって言った。記憶として残ってる」

それまでのことを子どもにどう伝えればいいのか。

『出自を知る権利』は開設前から指摘されてきたゆりかごの課題の一つです。

【田尻由貴子 元慈恵病院看護部長】
「捨てたんじゃない、命を助けてほしいと思って(ゆりかごに)来たということをしっかり伝えていけばその子は前向きに生きていけるんじゃないかなと思います」

【元・県中央児童相談所 相談課長 黒田信子さん】
「20歳になっても30歳になっても40歳になっても実親を捜している人もいます。わからないというのは本当に不安と思うんです。だからそれをきちんと話して
あげられる人がいたらいいと思うんですよね」

これまでのゆりかご検証報告書によると、調査で身元が判明しなかった子どもは31人です。

【ゆりかご設置を許可した当時の熊本市長 幸山政史さん】
「すべての子どもたちが少しでも幸せを感じてくれるような環境で育ってくれていることを願っています。当時設置を許可した者の責任は市長でなくなった今もやはり負い続けなければならないことなんだろうと自分自身に言い聞かせているところです」

【ゆりかごを設置・慈恵病院蓮田 健理事長】
「私もできれば全ての赤ちゃんが自分の生い立ち、出自をわかるようにすべきと思うんです。ところが問題は、絶対知られては困る、自分の妊娠・出産を絶対知られては困るという女性が世の中には少数ながら存在するという現実です」

ゆりかごを記憶していた航一さんに、宮津さん夫妻はどう対応したのでしょうか。

【母・みどりさん】
「それは見せないようにしようとかそういうことはあんまりしなくて普通にテレビをつけてるとニュースが流れてくるので、見てこの子はすぐ『ここ知ってる』とか
言うもんだから」

宮津さん夫妻は、当時未就学児だった航一さんが理解できる言葉でゆりかごに預けられていたことを隠さず話しました。

後に航一さんの実の親のことがわかったときもその時点で直接伝えました。

【航一さん】
「僕自身、母親の存在がわかったときに交通事故で亡くなってたこともわかって
そこに関して悲しみとかはあまり思わずに、逆に出自がわかったことに、母の存在がわかったことにうれしかったというかですね。そこまで悲しいと重く受け止めたりはなくて、逆にわかってよかったなと思った気持ちの方が強かったですね」

小学生のとき、航一さんは美光さんと一緒に古里を訪ねる旅をしました。

【航一さん】
「これ母が若い時ですけど似てるなと。髪がくるくるしてるところが似てるし、実の親だなというのはそのとき見た時思いました」

航一さんは、宮津さん夫妻の家族、5人の実の子どもや里子として夫妻が養育する他の子どもたちと一緒に成長しました。

【母・宮津みどりさん】
「本当の兄弟だけで育った子どもよりもいろんなものを見たり聞いたりしてきたから強くなったんだと思います。いろいろあったからですね」

そして高校2年のとき、航一さんは宮津さん夫妻と養子縁組を結び正式に親子となりました。新たな節目を迎えたこの春、航一さんは自らのことを明らかにすると決意しました。

【航一さん】
「僕は(ゆりかごに)預けてくれたことには感謝してるし、そのおかげで今の生活があるので預けてくれてよかったなというか。僕だけじゃなくてゆりかごに預けられた子みんなが幸せに育ってほしい。育つ環境はいろいろあると思いますがそれぞれの場所で幸せに暮らしてほしいしゆりかごのことをあまり否定的に受け止めずにそのあとの人生をしてほしいなと大切にしてほしいなと思いますね」

航一さんは、高校3年生だった去年6月から子ども食堂を運営しています。

子どもの虐待事件を知り、何かできることはないかと思ったのがきっかけです。

【航一さん】
「ここを居場所として必要としてくれる子どもがいるのでずっと続けていきたいと思っています」

今年に入り、航一さんは生活に困窮した学生などに食料を支援する活動も始めました。

【航一さん】
「両親が前々からずっとボランティア活動とかをやっていたので自分としてはそれが自然というか、そういう両親の姿を、いろんな姿を見てかっこいいなと思ってですね。実際に声を上げてやることが必要だなということを感じて」

宮津 航一さん18歳、これまでの出会いに感謝しながら歩もうとしています。

テレビ熊本
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