パラカヌーの瀬立モニカ選手。
2016年リオデジャネイロパラリンピックでは日本人選手としてただ1人出場し、8位入賞。

桜の花がほころび始めた3月下旬、瀬立選手は東京都江東区にある、練習場所の旧中川のほとりを訪れていた。
 

 
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最高の笑顔の理由

オーストラリアでの1カ月合宿から日本に帰ってきたばかりの瀬立選手はたくましく日焼け。
トレードマークの“笑顔”で、明るくみんなと挨拶を交わしていた。


カヌーは中学2年生から始めた。

しかし高校2年生の頃、体育の授業で転倒してしまい、車椅子生活になってしまった。

今でこそ、周りの人々まで笑顔にするパワーにあふれる瀬立選手だが、けがをした当時は、立ち直れないほど落ち込んだという。

そんな瀬立選手を励ましたのが、看護士をしていた母からの一言。

「笑顔は副作用のない薬。だから、あなたは前を向いてしっかり生きていきなさい」

「確かにそうだ…」と思った瀬立選手は心機一転、カヌーを再開することにした。

今度はパラカヌーの選手として。
 

 

出るだけじゃ済まされない

2016年リオパラリンピックの女子スプリント・カヤック200mで、8位入賞。

しかしこの結果だからこそ、より高みを目指さないといけない。

「この前のリオパラリンピックに出させていただいて、入賞を果たしましたけど、もう次は出るだけじゃ済まされないと思っていて」とプレッシャーを感じながらも笑顔で話す。
 

 

メダルを獲るために一番のキーポイントとなってくるのは“肩甲骨”と考えているそうだ。

瀬立選手は腹筋が使えず、体をひねることができないためカヌーが安定しない。

捻転ができない分、いかに肩甲骨でバランスを取りながら自分の軸をしっかり持つかが、ポイントになってくるという。

瀬立選手はメダルを目指すため、この体の使い方を練習し続けている。
 

 

「自分にしかできない存在になりたい」

瀬立選手は今、新たな夢を抱いているという。

その夢とは「社会とつながるきっかけを与えられるような、自分にしかできない存在になりたい」というもの。

その夢に向かって、2020年東京パラリンピックへの計画、そして東京パラリンピック後の人生についてプランを立てている。

現在の最大の目標は、東京パラリンピックでのメダル獲得。


瀬立選手がカヌーを始めた当初から、常に練習を支えてきた西明美コーチは、彼女の笑顔に太鼓判を押す。

「失敗したスタートだったとしても、諦めない。それが彼女の笑顔に繋がるんです。
いつもにこにこ明るい笑顔で取り組んでくれていて、2020年に向けて今までよりももっとパワーアップをして、最高の笑顔でゴールを走り抜けて欲しいです。頑張って!」
 

 


瀬立モニカ(セリュウ モニカ)
パラカヌー・KL1クラス/筑波大学体育学群 江東区カヌー協会所属

1997年11月17日、東京都生まれ。体幹機能障害。
中学2年から江東区のパラカヌー部に所属。
国体出場を目指していた高校1年の時、体育の授業で倒立前転をした際にバランスを崩して転倒し、障害を負う。
退院後の2014年、高校2年の夏からパラカヌーを始める。
同年、2015年と日本選手権で連覇を果たし、2015年世界選手権で決勝に進出。
2016年リオデジャネイロパラリンピックでは、パラカヌーでは日本人でただ1人出場し、8位入賞。
2020年東京パラリンピックでメダル獲得が期待される。

 


(PARA☆DO!:毎週水曜夜10時54分放送
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