日本車いすテニスのパイオニア・齋田悟司選手。
過去6大会連続パラリンピックに出場し、2004年アテネ大会では国枝慎吾選手とダブルスを組み、金メダルを獲得した。
12歳の時に骨肉腫により左下肢を切断…

齋田選手は、12歳の時に骨肉腫により左下肢を切断。
14歳で車いすテニスを始めた。
彼が1999年から現在まで練習拠点にしているのは、千葉県柏市にある吉田記念テニス研修センターだ。
自宅からほど近い場所にある、この研修センターに来た当時は、なかなか海外勢に勝てず、毎日悔しい思いを募らせていたという。
「純粋に勝ちたい」
吉田記念テニス研修センターは、当時のまっすぐな想いをいつでも思い出させてくれる場所だ。
信頼できるトレーナーが不可欠

厳しいトレーニングに「きついな…」と漏らす齋田選手。
「トレーニングですから」と笑う吉部紳助トレーナーとのトレーニングは、激しさを増す。
アスリートとして挑み続けるには、信頼できるトレーナーが不可欠だ。
「自分一人で強くなっていくことは不可能だと思っている。もちろん選手として技術力を高めていくことは大切だが、周りで支えてくれている人や自分を一生懸命応援してくれている人が支えになっている」
そんな風に話す齋田選手が、激しいトレーニングで体を維持している事に、数々のベテラン選手を見てきた吉部トレーナーは、驚きをもって見ている。
さらに、「自分の能力、自分の過去の成績に驕らず、捉われず、必要な課題に真摯に取り組むところが凄いなと、私自身尊敬しています」と吉田トレーナーは語る。

コーチやトレーナーと共に、自らの体にムチを打つ日々。
現在、ワンハンドの強化に挑んでいるという。
「あいつのフォアハンドは危険だと思われるような、最強の武器に仕上げたい」と話す齋田選手は、できないことを年齢のせいにしたくないと笑顔を見せる。
「できないことをできるようにチャレンジして行くということが、自分のテニスの進歩にも繋がっていくんではないかと思っている」
今日も、20年近く前から通う吉田記念テニス研修センターでトレーニングを続ける齋田選手。
2020年東京パラリンピックに向け、この場所で更なる進化を図る。

齋田悟司(サイダサトシ)
車いすテニス/株式会社シグマクシス所属
1972年3月26日生まれ、46歳。三重県出身。
12歳の時に骨肉腫により左下肢を切断、車いすユーザーとなる。
1996年アトランタ大会から6大会連続でパラリンピックに出場。
2004年アテネでは国枝慎吾選手と組み、男子ダブルスで金メダル、2008年北京、2016年リオでは男子ダブルスで銅メダルを獲得した。
2003年には国際テニス連盟(ITF)選出の「世界車いすテニスプレーヤー賞」を日本人選手として初受賞するなど、日本の車いすテニス界を代表するトッププレーヤー。
(PARA☆DO!:毎週水曜夜10時54分放送
https://www.fujitv.co.jp/sports/parado/)