「誰かを殺すことになる。家にいて!」

「政府の言うことを聞いてください」重症化したマーク・マクラーグさん (40)ツイッターより
「政府の言うことを聞いてください」重症化したマーク・マクラーグさん (40)ツイッターより
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「私を見てください。息をするのも苦しい。だから政府の言うことを聞いてください」
「自分の役目を果たしてください。家にいてください」

息も絶え絶えになりながら訴えるのは北アイルランドの牧師マーク・マクラーグさん。
まだ40歳で健康そのものだった。しかし、新型コロナウイルスに感染、重度の呼吸障害を起こし集中治療室に運ばれた。

「家にいて!」泣きながら訴えるカレン・マナリングさん(39) のFBより
「家にいて!」泣きながら訴えるカレン・マナリングさん(39) のFBより

「友達とバカみたいにビールを飲みにいったり、天気がいいからと海にでかけたりすれば、あなたはウイルスを持ち帰り、誰かを殺すことになる。家族も。絶対に外に行かないで。ボリス
(ジョンソン首相)の言うことを聞いて」

南部ケント州のカレン・マナリングさん。両方の肺が炎症を起こし、集中治療室に運ばれた。39歳でジム通いが好き。健康な女性だったがそれでも感染し、重症化した。当時妊娠26週目だった。涙を流しながら人々へメッセージを撮影し、自分のフェイスブックに投稿した。

喜ばしいことに、2人はその後、回復し無事退院した。
彼らが命がけで我々に伝えようとしたのは「家にいて!」というシンプルなメッセージだ。3月末からイギリスでは、強烈なコピーの政府広報が流れ始めた。
「あなたが外にでれば、ウイルスを広めて、人が死ぬ」

「あなたが外にでれば、ウイルスを広めて、人が死ぬ」強烈なコピーのイギリス政府広報
「あなたが外にでれば、ウイルスを広めて、人が死ぬ」強烈なコピーのイギリス政府広報

現在、外出禁止措置がとられ、事実上の「ロックダウン(都市封鎖)」状態に突入したイギリス。しかし、ここに至るまでには曲折があった。

イギリスも当初は「緩やかな」制限だった

3月12日にイギリス政府が打ち出した対策第一弾は緩やかなものだった。
「熱や咳のある人は一週間自宅隔離」が主な柱で、休校やイベントの中止も行われず、社会生活の維持を優先した形だった。この時点で感染者は459人。ロンドン市内はそれまでと変わらない日常が続いていた。
しかし、この「受け身」の対策に、科学者から批判が相次ぐ。積極的な対策を取らなければ短期間で爆発的に医療崩壊を招くとの警告だ。

「何もしなければ51万人が死ぬ。緩やかな対策でも25万人が死ぬ」

3月16日にインペリアル・カレッジ・ロンドンが発表した「第9報告書」によると、何も対策が取られなければイギリスで51万人が死亡、緩やかな対策でも25万人が死ぬとされ、医療崩壊を防ぎ、死者を減らすには厳しい市民生活の制限が必要と指摘した。

(参考:3月16日付 インペリアル・カレッジ・ロンドン「第9報告書」)
https://www.imperial.ac.uk/media/imperial-college/medicine/mrc-gida/2020-03-16-COVID19-Report-9.pdf

これらの指摘を受けイギリス政府は厳しい行動制限へと舵を切る。
3月16日には不要不急の外出を控え、可能な限り在宅勤務を市民に要請。この時点で感染者は1543人。しかし、これは「お願い」ベースであり、夕方のパブでは人数が少なくなったとはいえ、まだビールを楽しむ人々の姿が見られた。
更にその週末、イギリスは、冬の終わりを告げるような暖かい休日となり、海沿いの町には大勢の人が繰り出した。

「お願い」聞かぬ市民も政府は強硬策に

「ロックダウンが近い」噂が広がりスーパーに殺到する市民…「ソーシャル・ディスタンシング」の概念が浸透していなかった 3月20日ロンドン市内
「ロックダウンが近い」噂が広がりスーパーに殺到する市民…「ソーシャル・ディスタンシング」の概念が浸透していなかった 3月20日ロンドン市内

より厳しい規制が必要と考えた政府は、20日に飲食店や劇場、遊技場の全面閉鎖を指示。そして週が明けた3月23日、ついに厳格な外出禁止措置を発動する。ジョンソン首相は決然とした口調で「国民にとてもシンプルな指示を出す。あなたたちは家にいなければならない(You must stay at home)」と切り出した。

認められる外出は、
「食料や薬品など生活必需品の購入」
「1人もしくは同居人との一日一回の運動」
「真に必要があり家でできない仕事」

友人や離れて暮らす家族とも会わないように指示が出され、結婚式も行えなくなった。指示に従わない場合は警察が取り締まる。

23日時点でイギリスの感染者数は6650人だったが、イタリアの悲劇的な状況が連日伝えられ、危機感と緊張感が高まっていた。この厳格な措置に概ね市民は従った。

「ロックダウン」で地下鉄利用者95%減混乱の中「秩序」も

店舗を閉鎖し、ウイルス検査場になったイケアの駐車場 3月31日ロンドン市内
店舗を閉鎖し、ウイルス検査場になったイケアの駐車場 3月31日ロンドン市内

その後、チャールズ皇太子とジョンソン首相の感染が相次ぎ発覚。イギリス国内の緊張感は日を追うごとに高まっていった。スーパー、薬局を除きほぼすべての店は閉鎖。町を歩く人の姿は急激に減った。4月10日付の政府資料によると、2月の初旬に比べて地下鉄の利用率は95%減少、自動車の交通量は63%近く減少し、人の移動が劇的に少なくなったことがわかる。

イギリス政府4月10日の資料 車や交通機関の利用は劇的に減少
イギリス政府4月10日の資料 車や交通機関の利用は劇的に減少

生活面では「ロックダウンが近い」との情報が出回って以後、やはり買い占めが発生。イギリスでもトイレットペーパー、消毒用品、石鹸が店頭から姿を消した。パスタや小麦粉も中々手に入らなかった。23日の「ロックダウン」突入以後はますます品薄感が高まった。

商品の消えたスーパーマーケット ロンドン市内
商品の消えたスーパーマーケット ロンドン市内

しかし各スーパーは「同じ商品は一人一品、ないし2品に限定」「開店直後は医療従事者、高齢者専用」などの対応策でより多くの人に必要な品物が届くようにした。その結果、当初の品薄感は解消されつつある。

またスーパーに客が殺到して感染リスクが高まるのを防ぐため、ソーシャル・ディスタンシング=「他者との距離」を保つよう徹底。お客はスーパーの外で2メートルの間隔を持って並び、店舗規模に応じた人数しか店内に入れない。スーパーに勤務する人たちも懸命にウイルスと戦っている。

スーパーに入る際には距離を取って並ぶ。「ソーシャル・ディスタンシング」だ。 3月28日・ロンドン
スーパーに入る際には距離を取って並ぶ。「ソーシャル・ディスタンシング」だ。 3月28日・ロンドン

「音の消えた街」に響く「木曜夜の拍手」

つい1か月ほど前までロンドン市内は様々な国の人が行きかい、パブでは時間がたつのも忘れて語り合う人たちであふれていた。今はソーシャル・ディスタンシングの指示を多くの人が守り、前から人が歩いてくれば自然と距離をとる。
新型コロナウイルスの猛威は街の風景を一変させた。賑やかで時に騒々しいまでの「音」がロンドンの街から消えた。

「他の人と2メートルの距離を保ってください」告知がいたるところに…ロンドン市内
「他の人と2メートルの距離を保ってください」告知がいたるところに…ロンドン市内

そんな中、唯一、街に音が響き渡る瞬間がある。3月26日からは毎週木曜の夜8時にNHS(イギリスの無償の医療制度。公立病院の医師や病院関係者もこの中に含まれる)のスタッフへ拍手を送る国民的イベントが始まった。
人々が自宅の窓やベランダ、玄関先から数分間、医師や看護師などウイルスとの闘いの最前線に立つ人々に向けて拍手をする。
もちろんソーシャル・ディスタンシングの時代なので、他者と近くで触れあうことはない。
しかし、静まり返ってしまった街に拍手が響き渡るこの瞬間、人々が生きていて、それぞれの家族の営みが今でも確実に存在していることを実感する。

この記事を書いている日曜午後(4月12日現在)、イギリスの死者が1万人を超えたとの一報が入ってきた。向かい側に住むイギリス人男性はベランダ越しに「残念だが、これから数週間、死者は日増しに増えるだろう」と言った。
答えのない話だが、外出禁止措置がもう少し早ければ、どれだけの命が救われたのかと私は思ってしまう。

遂に死者1万人超  「医療崩壊」を防げるか

人口10万人あたりの集中治療室の数はドイツが29.2、イタリアが12.5、スペインが9.7に対してイギリスは6.6とされる。人工呼吸器もドイツは25000台を保有しているがイギリスは8000台だった。そこで、イギリス政府は最大4000床の集中治療室を設置可能な臨時病院「ナイチンゲール病院」を設置。また家電大手ダイソンなど、異業種も含め産業界に人工呼吸器の開発、増産を目指す計画を立て、重症患者対策の急増に備えようとしている。
政府は「イギリスはイタリアの数週間後を追いかけている」と位置づけている。
医療崩壊を防ぎ、犠牲者の数を少しでも減らすことができるかイギリスは正念場を迎えている。

【執筆:FNNロンドン支局長 立石修】

立石修
立石修

テレビ局に務める私たちは「視聴者」という言葉をよく使います。告白しますが僕はこの言葉が好きではありません。
視聴者という人間は存在しないからです。僭越ですが、読んでくれる、見てくれる人の心と知的好奇心のどこかを刺激する、そんなコンテンツ作りを目指します。
フジテレビ取材センター室長、フジテレビ系列「イット!」コーナーキャスター。
鹿児島県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。
政治部、社会部などで記者を務めた後、報道番組制作にあたる。
その後、海外特派員として欧州に赴任。ロシアによるクリミア編入、ウクライナ戦争などを現地取材。