埼玉県ふじみ野市でおきた立てこもり事件は3日で発生から1週間を迎えた。
散弾銃で撃たれて死亡した医師の鈴木純一さん(44)は地域の在宅医療を支える存在だったが、前日に鈴木さんが死亡確認した渡辺宏容疑者(66)の92歳の母親の弔問に呼び出されて、「生き返るかもしれない」と心臓マッサージを要求されていた。
渡辺容疑者はほかの介護事業者も呼び出そうとしていて、「母が死んでしまい、この先いいことはないので自殺しようと思ったときに、自分だけでなく先生らを殺そうと考えた」と供述している。

今回の事件は在宅医療に関わる医師らに衝撃と動揺をもたらした。在宅医療の現状と安全対策について、医療現場の最前線にいる医師らに話を聞いた。
東京・品川区の「ひなた在宅クリニック山王」の田代和馬院長は沖縄県の病院に勤務後、3年前にクリニックを立ち上げ、およそ400人の患者を医師約20人、看護師約10人で診療している。がん患者が多く、患者の最後を看取る終末期医療が多いが、コロナ禍の中で多くの陽性患者らからの診療要請にも日々応えている。

「自分たちの身近でも起こりえる」
ーー事件を聞いたときの思い
田代和馬院長:
鈴木医師が亡くなったことは胸が締め付けられるような思いでしたし、自分たちの身近でも十分起こりえることだと思いました。在宅医療をしている医師は程度の差こそあれ、リスクを感じさせるような場面というのは経験したことがあるはずで、同じように背中が凍るような気持ちだったと思います。
ーー事件後の診療で変わったことは
大きく変えたということはありませんが、クリニックの朝夕の全体ミーティングではこれまでもリスクのある患者については皆で家族を包み込めるような対応を検討してきました。急に警報ブザーを持って行くとなるとかかりつけの患者との信頼関係にも影響します。今の時点ではリスクがあると感じられたときはチームで組んで皆でみていくなど、ほどよい距離感を探っているのが実情です。
我々は基本的に医師、看護師、ドライバーで動きますが、新型コロナ対応で忙しいときは1人で対応することもあり、例えば看護師が長時間滞在する必要がないようにシフトを組んで対応するなどしています。診療時間は15~20分ほどですが、看護師が輸血などするときは数時間滞在することもあるので、ドライバーが近くで待機するなどしています。
また個人情報保護の観点から患者の詳細な情報は外部の医師には明らかにしませんが、ぼやかした上で地域の医師会に相談して地域の別の医師が対応することもあります。大事なことはひとりで抱え込まない、悩まないということですね。
母親失った喪失感から息子が激高
ーー実際にリスクを経験したことは
身の危険を感じたことまではありませんが、感情をあらわにされるケースはよくあります。どうしても我々の領域というのは死と向き合いますから、患者が人生の終焉、終末期を過ごしている時に迫りくる死というものを家族が受け入れられなくて、「やり方がおかしいんじゃないか」、「何とかして欲しい」と言われることがあります。
特に母親と息子という関係性で、母親への献身的な介護が息子の生きがいになっていて、心の大きな拠り所が急にいなくなってしまったことで、その喪失感から激高されたこともありました。
呼吸が止まった後に「心臓マッサージして延命をしてほしい」と言われたこともあり、優しく胸骨を圧迫して、治療にもう効果がないということを受けとめてもらったこともありました。
どうしても我々の患者というのは終末期にあることが多いので、治療期間は半年から1年くらいになります。比較的短い期間ですが終末期という濃い時間を共に過ごすので、医師との関係性が深まった家族が感情を高ぶらせることはあります。
我々の患者の3分の2くらいはがんで、家族が死を受け入れる病名になり得るのですが、心臓や腎臓などの病気だとすぐに受け入れられず、「治療に問題がなかったのか」と怒りに変わってくることがあります。
また我々ではなく、病院の主治医に対して「説明が下手だった」とか、「特に診察してくれなかった」などの思いを持つ場合もあります。
ーー家族の心境の変化は
我々の世界ではアメリカの精神科医キューブラー・ロスが唱えた「5段階の死の受容過程」は患者本人だけでなく、家族にも起こると言われています。最初は死の現実を受け入れない「否認」、そして医者の責任だと言う「怒り」に変わっていきます。今回の事件はこうした怒りや抑うつの過程で起きたのかもしれません。

終末期が進行して死期が近づいてくるとどうしても食べること、飲むことができなくなり、薬も飲めなくなってしまうんですね。場合によってはむせてしまうので、無理に薬を飲ませなくてもいいと我々が話すと、亡くなった時に「あのとき薬を飲ませなかったからこうなった」などと言われることもありました。
ーーそうした状況で呼び出されたことは
我々にとっては死亡確認し、お言葉をかける時が弔問でもあるので、あらためて弔問に伺うということはほとんどありません。
我々が行くことで怒りを増幅しかねないと判断した時は、電話で根気強くお話しします。その時には納得はされませんでしたが、しばらく経ったあとに「あの時はひどいことを言ってすみません」と挨拶に来られて、我々も「あれはお母さまへの愛情が自然にでたんですよ」とお声がけしたことはあります。
医師たちの使命感
田代和馬院長:
私自身、在宅での終末期ケアが使命だと思って在宅医療に取り組んでいます。近い将来やってくる死を家族が受け入れて、自然の摂理の一場面として穏やかに、そして「本当にここまで生きていてよかった」、「今まで頑張ったね」というような気持ちでその瞬間を迎えられるように最大限のサポートをしています。
スタッフの約半数は沖縄の病院で共に研修した仲間で、沖縄には多くの離島があり、その島には自分しかいないし逃げられないという環境でもあったので、患者への思いも非常に強いです。
沖縄での経験で、もう治療法がなくて「末期です」という説明をして、病院から自宅に帰ってもらった患者が元気に過ごしていることがよくありました。だから末期というのは「もうだめだ」じゃなくて、「まだまだ元気なんだ」という「ま」と「気」の「末期」で、元気な時間をしっかりサポートしてあげれば、比較的長い時間を充実して過ごすことができると思うようになりました。そういう医療やりたいと思ったのが在宅医療に関わるきっかけでした。
在宅医療というのは24時間365日、かかりつけの患者からの電話を受けて、場合によっては往診しないといけない。例えば前日の夜に眠れていなくても患者にとっては関係ないので、「来て欲しい」というニーズにすぐに答えないといけない。負担は大きく、なり手も少ないですが、患者の元へ行って喜怒哀楽を共にすることはとてもやりがいがあります。
東京は便利な都会ですが、車がないので遠くの病院に通えなかったり、1人暮らしだったりということもあって、在宅医療を必要としている方が数多くいます。
私は「攻める在宅医療」と言っていますが、患者が「何とかしてほしい」と言うのなら救急室でやるようなこともやるし、その結果として起こることは責任を持ちます。それは新型コロナの対応も同じで、「あなたの健康を守ります」という姿勢を続けています。大変ですがやりがいもあるので、東京で始めて良かったと思っています。

ーー在宅医療で心がけていることは
家族からの連絡で多いのは、「全然起きなくてご飯も食べなくて水分も取らないので心配です」というものです。我々は診療の最初の段階で、「いつか必ずこうなります」と説明しています。患者の体の声を代弁するのが我々の仕事ですから、患者の横でメモを書きながら説明すると家族も納得します。
説明や治療を通じて家族が安心して、患者の人生という壮大な物語が終わった瞬間を家族から「お疲れさま、ゆっくり休んでね」と言えるような状況になればと思っています。
例えばがんの末期患者は、いつかがんの勢いが体力を上回るようになります。体ががんの勢いを抑えられないとなると、体はがんと戦うことをやめて楽になろうとします。だから末期を終えて終末期に入るとがんの勢いを止めるために食事をやめちゃうんですね。その過程を最初にメモにして渡しておくと、いざそうなったときそのメモを振り返って、「ああ、そうだった」と感情的にならずに受け入れてもらいやすいということはあります。

ーー今後の在宅医療は
まさに現在のコロナ禍で軽症者が入院せずに自宅で療養していることもそうですし、これから日本が超高齢化社会を迎える中で、病床が不足することが心配されています。治療が必要な人から入院できるようにまず地域で患者をみて、在宅医療をしていくことは避けて通れません。
「在宅でみるべき患者は在宅でみて行くんだ。ただ我々の守備範囲を超える患者は病院にお願いしよう」というような地域で協力した在宅医療の重要性はこのコロナ禍であらためて認識されたと思います。

今回の事件で、「在宅医療に興味があった医師が怖くなってしまった」と言うことは確かに聞きます。ただそれは鈴木先生が望んでいることではないと思っています。熱意を持って在宅医療に取り組まれていた鈴木先生のご意思を、同じ在宅医療に取り組む医師たちが引き継いでいかなければならないと考えています。
「危険を感じたら逃げる」
一方、夜間や休日の急な発熱などで自宅に診療に駆けつける「ファストドクター」では、事件を受けて医師らに「身の危険を感じたときは診療機器などすべてを置いて直ちに逃げるように」という注意喚起をした。

また往診バッグには防犯ブザーが装着されていて、診察時間が30分以上になると医師らの携帯に安否確認の電話が入り、医師やスタッフの位置情報をGPSで確認できるシステムもある。

これまで診察をめぐっての行き違いなどはあるが、本部にあるコンタクトセンターで診療に関する説明を行っているので、深刻なトラブルは起きていないという。
クレーマー情報の共有

またふじみ野市などを所管する東入間医師会の関谷治久会長は、「クレーマーなどの情報は患者のプライバシーや病院などの評判に関わるので、こうした事件が起きないと表に出でこず、医者同士の共有ができていない」と指摘する。「医師会でも情報の共有や警察との連携を協議するが、全国レベルでも必要だ」と話している。

【執筆:フジテレビ 解説委員室室長 青木良樹】
【イラスト:さいとうひさし】