昭和の時代と共に消えた懐かしい遊びや日用品
昭和の時代。当時は町のそこかしこで見かけたモノや、子供も大人も夢中になった遊び、そしてどこの家庭にもあった日用品の数々。その多くは時代の移り変わりと共に姿を消した…





と、思いきや!
もう見なくなったと思っていたモノが、今でも生き残っていたのだ!その裏側には、オドロキの使い方あり!当時にはなかった新機能あり!と新たな発見が…
懐かしい品々の今を大調査する「昭和モノ遺産」!意外な魅力を再発見する。

昭和の鉄道旅行 駅弁のお伴「ポリ茶瓶」は今?
まずは、行楽などで電車に乗る時、駅弁のお伴として、いつも傍らにあった、このお茶。その名も「ポリ茶瓶」。
当時はフタの部分をコップにして熱いお茶を飲んでいた。

街でポリ茶瓶について聞いてみると…
「新婚旅行に持って行ったわね。それと冷凍ミカン買ってさ」
「これの方がうまい。持つと熱いんだよね」
「10円とか20円で付いてた。お弁当が200円の時代だからね」
と懐かしがる声が。
「ポリ茶瓶」が発売された昭和30年代は、鉄道の急速な普及が進んだ時代。新幹線の開通などと共に「ポリ茶瓶」も全国に広まり、誰もが目にする商品となった。

ところが!「缶入りの緑茶」が登場すると、「ポリ茶瓶」の需要は激減。あっという間に姿を消してしまった。
それから30年余りが経過した現在、なんと今も「ポリ茶瓶」でお茶を売り続ける弁当店があったのだ。静岡県の伊東駅で60年続く老舗の弁当店「祇園」。人気ナンバーワンは、創業当時から味の変わらない「いなり寿司」。


売り場に懐かしの「ポリ茶瓶」を発見!価格は130円だった。お店の人に聞いてみた。
ーーポリ茶瓶売っているんですね、まだ…
「昭和34年から売っています」

教えてくれた祗園の稲葉光雄(81)さんは、なんと「ポリ茶瓶」を売り始めた頃から働いているレジェンド。50年以上、ここでお茶を淹れ続けてきたそうだ。
稲葉さん:
伊東特産の、ぐり茶という茶葉です

ぐり茶とは、製茶の工程を省くことで、お茶本来の味を楽しめるようにした茶葉のこと。これを伊東の湧き水を沸かしたお湯で抽出すれば完成。結構満杯に入れています。
しかし今時、この「ポリ茶瓶」のお茶をわざわざ購入する人などいるのだろうか?弁当店の1日に密着してみると、取材開始から3時間。赤い服の女性が近づいてきた。
女性客:
おいなりさんを下さい
購入したのはいなり寿司。するとその直後。
女性客:
あぁ~懐かしいお茶だな

稲葉さん:
いかがでしょうか?130円です
なんと「ポリ茶瓶」を購入。
ーーなんで買ったんですか?
女性客:
懐かしくて。子供のころを思い出しました

さらに…ポリ茶瓶を購入するお客さんが
男性客:
昔から購入しているんで…
ーー伊東に来るたび買っている感じですか?
男性客:
そうです。親戚がいるもんでね
その後も
女性客:
コップで飲むと、ほっとする感じが…
と、次々と「ポリ茶瓶」が売れていく。
ーー1日の売り上げは?
稲葉さん:
今日は12個売れました。今日は良く売れましたね
時には1つも売れない日もあるという「ポリ茶瓶」だが …
稲葉さん:
数は少ないですけど、昔からあるものを続けたいという。それでやっています
新たに売り始める店も増加している「ポリ茶瓶」。 それは文化を残そうと奮闘する人々の支えがあったからかもしれない。

昭和の朝の定番だった牛乳箱のある光景は今?
続いては、昭和の朝の定番だった光景。
玄関の脇で毎朝覗いていた木製の牛乳箱。
昭和30年ごろは宅配牛乳が一般的。当時は賞味期限も短く、 朝に配達された牛乳を飲んでいた。

街でも高齢の方からは昔を懐かしむ声が…
「牛乳入れ。記憶にあります」
「ほとんどの家が(牛乳配達を)とっていましたよね」
「竹ぼうきで親に言われて道路を掃除した後、牛乳瓶をとって家に入るのが日課だった」
しかし時代は変わり牛乳箱はとっくにお払い箱、と思いきや。
新潟県村上市の工場「キバコヤ」では…
ーーこちらで牛乳箱を作っているって聞いたんですけれど?
「キバコヤ」中島洋巳社長:
ええ。まだ作っていますよ

中に入ると。
ーーすごい!たくさんあるんじゃないですか!
そこには、懐かしい牛乳箱がズラリ!
中島さん:
昭和30年代からうちで作った牛乳箱を並べているんですね

ーーMILK HOUSEっていうその白いの面白いですね?
中島さん:
デザインにこだわる牛乳屋さんがあるんだよね

ここはかつて、中島さんのお父さんが営む木造船の工場だった。

しかし、船の材料となる強化プラスチックが登場し、木造船の発注が激減。 倒産寸前にまで追い込まれてしまった。
そんな時に作り始めたのが、この牛乳箱。

材料は、当時から変わらず、スギの木。 それを組み合わせて箱の形にしていく。
造船業の確かな技術で作られた牛乳箱はすぐに評判となり、全国から注文が殺到。 多いときは、月に5000個も作っていた。

ところが、昭和50年ごろ、紙パックが登場すると宅配牛乳が減少。 さらに保存力がある宅配ボックスが新登場。それは奇しくもプラスチック製。
中島さん:
うちの親父もプラスチックに変わるんで、ドン底になって、親子2代でガクッてなって…

親子2代でプラスチックで大打撃を受けた中島さん。
こうして木製の牛乳箱は姿を消すかと思われたが…なぜ、今も作り続けているのか?
中島さん:
部屋の飾りとして欲しいという方が出て来たんで、毎週のように注文が入るんで、作り続けています

群馬県太田市でこの牛乳箱を購入して、喫茶店で使っているという方を訪ねると。
澁澤浩治さん:
ここに置いてあるんですけど、リモコンとかをまとめて入れている
牛乳箱にリモコン。さらに、うちわを入れるケースとしても使っていた。

澁澤さん:
木の香り、木で作られた物があると、ほっとする
と、語る 店主の澁澤浩治さんの本業はグラフィックデザイナー。牛乳箱の魅力にとりつかれ、喫茶店で、販売までするようになった。
その購入者の使い方も、植物のプランターにしたり、車に取り付けて、小物入れにしたりと様々。
こうして、牛乳箱は、今も使われ続けている。

昭和の空を彩ったアドバルーンは今?
続いては、昭和の空をカラフルに彩った、アドバルーン。
アドバルーンの歴史は古く、大正時代に揚げられていた「広告気球」が起源といわれている。
昭和30年代には、最盛期を迎え、東京だけで年間1万本が掲げられるなど、かつては、非常に身近な存在だった。

しかし、様々な広告媒体の登場や、高層ビルの増加による広告効果の低下などで、
次第にその数は減っていった。
実は、アドバルーンをもとにした新たな広告が、今、脚光を浴びていた。
驚きの進化を遂げた、最新型アドバルーンの正体とは。
空中に浮かぶ垂れ幕。それを持ち上げているのは、なんと、ドローン!


「JUIDA」岩田拡也常務理事:
気球の代わりにドローンを使った、“アド・ドローン”という広告媒体です。ちょっと、発音しにくいんですけど

新たなドローンの活用法として開発中の「アド・ドローン」。
コンセプトは「自由に動く広告」
動くモノに目が行く人間の性質を利用した高い広告効果。

さらに、人件費や保管費などの面でコストを抑えられるなどのメリットがあるとのこと。
岩田さん:
2020年の東京オリンピックで、外国のお客様がいっぱい来られる所に飛んで、お迎えするなどの演出を実現したい
昭和の時代を象徴する、懐かしい品々。その中には、今も変わらず愛されるモノもあれば、新たに生まれ変わったモノもある。先人達が生み出した知恵は、色あせることなく、光り続けていた。
(プライムニュース イブニング7月11日放送より)