パラバドミントン・豊田まみ子選手は思う。
「あと2年しかない」と。
初出場した2013年の世界選手権で優勝し、一躍シンデレラガールに。
18年6月現在、世界ランキングは3位だ。
バドミントンが正式競技となる、2020年東京パラリンピックではメダルが期待されている。
母の影響で始めたバドミントン

「私がバドミントンを始めたきっかけは、母です。母がバドミントンをしていたということもあり、母が実際にコーチになってくれて、そこから私の競技人生がスタートしました」と語る豊田選手。
バドミントンの選手だった母・みどりさんは、自分がうまくいかなかった時も、うまくいった時も常に応援してくれる存在だ。

障害のため、肘から先がなかった娘に対して「やっぱり一番最初は『なんで』っていう思いがありました。でも、まみ(豊田選手)と一緒に生活する中で、障害というのが特別じゃないっていうことを教えてもらったし、だいぶまみから勉強することがありました」と、母は素直な想いを口にする。
一緒にバドミントンをして、一緒に成長した母娘。
しかし、今、豊田選手は親元を離れ、一人で生活をしている。
東京2020のためのトレーニング

東京2020で活躍するため、豊田選手が取り組んでいるポイントが、肘から先が欠損している左腕の強化だ。
「今までは左腕を鍛えるという認識がなかった」というが、偶然テレビでパラ陸上の選手がトレーニング用の義手を使っていた様子を見て衝撃を受け、早速自分専用の義手を作った。
左腕を鍛えることで体のバランスが向上し、ブレの少ないコンパクトなスイングができるようになるという。

「1年1年やるべきことをして、しっかり結果を残して東京パラリンピックに備えていきたい」
さらに、専属トレーナーをつけての体幹トレーニング、栄養士に食事の管理を依頼するなど、2020年へ向けやれることは全てやるつもりだ。
家族に優勝する姿を見せたい

活躍を続ける娘に対して、母は運命を感じるようになったと言う。
「まみがこの左手で生まれてきた意味というのが、ここにあったのかな。あの左手で生まれて来てくれたことが、意味のあることだったんだっていう風に思います」
「メダルはいいんです、本当に今の活躍で十分なんです。あの子がバドミントンで世界と戦っているっていうその姿だけで私は十分です」、そう笑顔で語る母。
しかし、豊田選手は「家族が見ている前で優勝する姿を見せたいなっていう思いは凄くあります」と意気込む。
自分のためにも、母のためにも、東京2020での活躍を誓う。

豊田まみ子(トヨダマミコ)
1992年4月11日福岡県生まれ 26才 ヨネックス所属。
先天性左前腕欠損。
小4からバドミントンを始め、健常者に混じってプレーしていたが、高校時代にパラバドミントンへ転向。
大学3年生の時、パラバドミントン世界選手権で優勝を果たした。
2020年東京パラリンピックからパラバドミントンは正式競技採用が決定。
メダル候補として注目を集めている。
(PARA☆DO!:毎週水曜夜10時54分放送
https://www.fujitv.co.jp/sports/parado/)