リオパラリンピック車いすバスケの日本代表、土子大輔選手。

2017年には日本選手権の得点王に輝いた土子選手が選んだ“選択”とは。
 

10年間所属したチームからの移籍

 
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今年5月に行われた「天皇杯 日本車いすバスケットボール選手権大会」。
この大会で10連覇という偉業を成し遂げたのが、車いすバスケの名門「宮城MAX」だ。

土子大輔選手は、これまで「宮城MAX」と優勝を争い、10年間所属してきた「千葉ホークス」から、昨年移籍してきた。

 

千葉県に住む土子選手は現在、「宮城MAX」の練習場がある仙台市の体育館まで週に1度、車で片道4時間半をかけて通っている。

「リオオリンピックが終わったとき、もう36歳だったんですね。一度は引退を決めてはいたんです」と語る土子選手が、なぜそこまでして、「宮城MAX」に移籍したのだろうか?
 

東京2020でメダルを獲るために

リオパラリンピックでは12カ国中9位という結果に終わった日本。
「満足する結果はまだ得られていない。東京2020でメダルを獲りたい」という思いから、競技を続けることを決意した。

そしてその東京2020を目指すに当たって、「ここから自分が成長して行くのに、一番良い環境は何だろう」ということを考えた結果、一番良い環境がライバルチーム「宮城MAX」への移籍だった。

 

さらに、日本の車いすバスケットボール界のエース、藤本怜央選手が「宮城MAX」に所属していたということも移籍を決断した大きな理由だった。

藤本選手は、「もともと土子選手は千葉のチームでやっていて、凄い選手だなと尊敬もしていたので、同じチームで戦うことになるなんてことは夢にも思わなかったです。あくまでもライバルだと思っていました」と振り返る。

かつては得点王争いでしのぎを削っていた2人が、今や同じチームに。

 

プライベートでもご飯を食べに行くなど、仲の良い2人だが、「バスケットをやるからには、絶対に負けたくない相手」とお互いライバル心をむき出しにして、練習でも火花を散らしている。
 

 

「藤本選手は元々ずっと得点王だったんですね。今はチームメイトになったんで、一緒に切磋琢磨していく関係になりましたけど、やっぱり負けたくないんで」

そう語る土子選手。

2人の練習はどんな練習よりも、効果的で意味のあるもののように見えた。

目指すは2020年東京でのメダル。
日々挑戦を続ける土子選手に期待したい。
 

 

土子大輔(ツチコダイスケ)

1980年8月14日生まれ 37歳 千葉県出身 株式会社メルカリ所属。
13歳(中学2年)でバスケットボールを始め、高校・大学・社会人ともにクラブチームでプレー。26歳の時にバイクで事故に遭い右脚を大腿部から切断。
約1年間のリハビリを経て08年に名門「千葉ホークス」で車いすバスケットボールを始め、翌09年日本選手権で準優勝、また同大会でベスト5賞を受賞。
14〜16年は千葉ホークスのキャプテンとしてチームを牽引。
16年リオデジャネイロパラリンピック出場(9位)。
17年8月より宮城MAXに所属。
 

(PARA☆DO!:毎週水曜夜10時54分放送
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