工夫こらし観光のシンボルに

房総半島の南東部を東西に向かって延びるいすみ鉄道は、外房に近い大原駅から内陸の上総中野駅まで、全14駅のおよそ27キロを約50分かけて走っている。

いすみ鉄道の本社がある大多喜駅のホーム

開業以来厳しい経営に立ち向かってきたいすみ鉄道は、奇抜なアイデアで観光誘致してきたことでも知られる。

千葉県沖で捕れた伊勢エビなどの素材を使ったイタリア料理を堪能できる列車を走らせるなど、工夫が凝らされていて、いすみ鉄道そのものが、房総半島の観光シンボルにもなっている。 

困難乗り越え、2020年も桜の中を走る

例年より2020年は早咲きと予想されていた沿線の桜は、3月半ばには堅いつぼみのままで、全く咲く気配さえ見せていなかった。菜の花畑はきれいに咲いたものの、例年に比べれば量は少なかったという。2019年10月房総を襲った台風19号は、地元の小学校や特別支援学校の児童が菜の花の種を蒔いた後に直撃したため、一部種が流出してしまったためだ。

台風の被害に加え、コロナウイルス感染拡大によって、団体客のキャンセルが相次ぎ、例年より8割も観光客が減ってしまっている。

そんな中でも3月の末には満開の桜が咲き誇り、黄色の菜の花とピンクの桜のコラボレーションを生み出した。

どこまでも広がる田園風景を一両の電車が走り抜ける光景は、時を忘れさせる。線路に沿っておよそ27キロにわたって続く桜の道は三分から五分咲きまで、さまざまな表情を見せていて、1ケ月ほど楽しむことができる。

桜と鉄道、両方がよく見渡せる土手には、例年、平日でも地面が見えなくなるほど多くの鉄道ファンが押しかけ、場所取り合戦が繰り広げられる。今年は自粛の呼びかけもあり、鉄道ファンとみられるアマチュアカメラマンの姿はあるものの、その数は圧倒的に少ない。

東総元駅付近の人気撮影スポット

運転士が勧める沿線風景は?

いすみ鉄道運転士 渡邉直哉さん

いすみ鉄道の運転士、渡邉直哉さんに、お勧めの沿線風景を聞くと、答えは意外だった。 

それは田植えの準備時期だという。県内でも有数の米所でもあるいすみ市では、田植えの時期に、一面水が張られて、風景が水に反映し“水鏡の風景”が展開するという。

6月、沿線はアジサイに包まれる。また、稲刈りを迎えるお盆の頃には、黄金色の稲が実る日本の原風景が展開する。                     

渡邉さんは、コロナウイルス感染の影響を危惧していた。通常1車両で運行しているいすみ鉄道も桜の季節には、団体客対応のために、2両に増結している。例年、団体、一般の乗客含め2両が一杯になるが、今年は1車両で足りるほどだという。

渡邉さんは、桜を見に来たいにもかかわらず、外出を自粛している人のために、インターネットを使って自ら撮影した映像を公開している。沿線の満開の桜を映像で届け、遠くにいてもいすみ鉄道に思いを馳せてもらいたいと思っている。そしてコロナウイルスが収束した暁には、笑顔の乗客を乗せた車両で桜の中を走り抜けたい。いすみ鉄道の車両は、今日も人々の希望を乗せて走り続ける。

取材後記

取材のきっかけは去年の台風19号だった。観光被害を受けた房総のいすみ鉄道の復興を、満開の桜に囲まれる素晴らしい風景で表現したい。鉄道会社ならではの、工夫された観光誘致方法も紹介したいと思い取材を始めた。

その後、コロナウイルス感染の状況が日々刻々と変化し、美しい桜を取材して放送するだけの内容では納得いかず悩んだ。結論が見えないまま、たどり着いたのは大多喜町やいすみ市の「今」を、ありのままを伝える事だった。

地域の人や地元広報誌の記者に話を聞き、目の前に見えている美しい景色が、目の前には見えない人の努力によって生み出されていることが分かった。いすみ鉄道の人ばかりではない。地域の人やボランティアが、丁寧に桜を育てている。取材を重ねる毎に、思いもよらないエピソードが次々と出てきたことで、多くの人に支えられていることが良く分かった。 

桜の季節だけではない。夏も秋も冬も、いすみ鉄道は、みんなの思いを乗せて走っている。何があっても、何もなかろうとも。

今、世界が見えない敵に向き合っている。この困難を乗り越えたとき、房総はきっと同じ表情をして我々を迎えてくれるに違いない。自分にとって鉄道はそれまで移動手段でしかなかったが、取材を終えるといつの間にか、いすみ鉄道のファンになっていた。

執筆:菊池雄大(ビデオエンジニア)

撮影:三浦修

(動画は「Live News it!」3月31日に放送されたもの)