先日ニューヨークへ旅立たれた眞子さん、皇室であった時代には山陰へも度々訪れていました。
しかし象徴としいう存在の今の皇室とは別の時代、約110年前、戦前に山陰を訪れた皇室と地域の人との交流をうかがわせる貴重な一枚の写真が、松江で発見されました。
その写真にどんな意味があるのか取材しました。

その一枚の写真が撮影されたのは松江城の前。

(松尾記者)
「写真の場所はこのあたりですか?」

(松江市史料調査課 稲田信 副主任行政専門員)
「松江城天守の西面で、写真撮影はこの石垣の前の方で撮ったものだと思う、色々と調査したが、全国的に見つかったことがなく、全国的に貴重なもの」

これが、110年前のこの場所で撮影された写真。
松江市の担当者が全国でも例がないというその写真に写っているのはのちの大正天皇です。

最前列中央に映るのが皇太子時代の大正天皇、右隣には当時の島根県知事松永武吉がいっしょにうつっています。

(松江市史料調査課 稲田信 副主任行政専門員)
「こちらがこの度見つかった写真です。真ん中にのちの大正天皇となる皇太子の嘉仁親王、この松江を訪れていた」

なぜこの写真が貴重なのか?

(松江市史料調査課 稲田信 副主任行政専門員)
「色々と調査したが、全国的に見つかったことがなく、全国的に貴重なもの」

大正天皇は天皇としての在位が15年、わずか48歳の若さで崩御され最も短い時代として知られています。
その生涯でこうした地域の人との集合写真が見つかった例は他にないというのです。

今の開かれた皇室しかし100年以上前皇室は、今と違い、天皇を中心に神格化されていった時代。
そうした状況の中にあってうつされた写真には、皇室と一般の人たちとの距離の近さが現わされていました。

写真の発見を受け、市が調査したところ全く同じ写真が別の場所からも。

(八雲本陣記念財団 木幡均理事長)
「6日にこちらでお見えになって、お昼ご飯をたべていらっしゃいますが、これが大正天皇(皇太子)を囲む集合写真だとわかったのは最近の事」

見つかったのは松江市の旧家です。
当時、行啓の時に立ち寄られる昼食会場として大正天皇をお迎えしたといいます。

(八雲本陣記念財団木幡均理事長)
「私どもの家で、ご昼食を取られてここから出雲にお向かいになる時のお見送りの時の写真。大勢の方がお見送りにお見えになった」

木幡家を出発して出雲方面に向かわれる前、皇太子を目当てに、当時、木幡家の前に多くの人々が集まっていた記録が残っています。

(松江市史料調査課 稲田信 副主任行政専門員)
「同じ写真が木幡家で見つかったことは山陰道行啓時の集合写真であることをさらに高めたという発見になる」

皇室と山陰の関わり、皇室と山陰の、今に繋がる歴史の1ページ見つかった写真は「山陰道行啓」として鳥取から島根を訪れた際と見られますが公式な写真の記録は残っておらず、今後の調査が待たれます。