二酸化塩素の特許技術で空間除菌剤オキサイダーを開発・製造する株式会社CLO2 Lab (シーエルオーツーラボ) 代表取締役社長 安部 幸治 (あべこうじ)。


大学卒業後、印刷会社経営、二酸化塩素技術で起業、大手製薬会社へ事業譲渡・役員就任を経て、63歳で再度起業。


安部の半生と、現在の事業展開について、お伝えさせていただきます。


サマリー

印刷会社の長男として生まれる

いざ、ビジネスの世界へ

社長の息子というレッテル

二酸化塩素と運命の出会い

社員食堂の片隅で

二酸化塩素を商品に

空白の8年

息子とワンルームマンションの片隅で再起をはかる

立ちはだかる自身の特許技術

一筋の光

ようやく事業化

残りの人生をかけて

印刷会社の長男として生まれる


安部)山口県柳井市で印刷会社を創業した父のもとに生まれ、

大阪に進出した起業家の父の背中を見て育ちました。


大阪市中央区松屋町筋に印刷会社はあり、従業員は50人ほど。


同級生には商売を営む家も多く、幼い頃から商売人として生きていくんだという何となくの感覚はありました。


普段は近所の同級生と神社の境内で走り回ったり、陸上競技やサッカーにのめりこむ

毎日で決して勉強は好きではありませんでした。


ただ、5階建ての会社のビルに住居もあり、日々の生活で聞く商売の会話、

印刷機械の動く姿を見て、


「自分だったらこうするのにな」「この機械はどう動いているんだろう」と

ビジネスに興味を抱くと同時に考える癖がついていきました。

いざ、ビジネスの世界へ


安部)印刷会社で育った私は、機械の動きを見ることも好きで実際に手を動かして

触ったりもしていました。


そのために大学は印刷工学部があった千葉大学を志望しましたが、受験に失敗。


次に志望したのは神戸商船大(現在の神戸大)。合格した私は進学。


船のエンジンなどを触って、機械がどう動くのかを学ぶ日々は私にとって

刺激的でした。いまの二酸化塩素の研究とは科目も全く異なりますが。


大学を卒業した私は、意気揚々と父の会社・王亜株式会社に入社。


1977年の秋、23歳の時です。

社長の息子というレッテル


安部)社長の息子として入社した私は、社員の名前も顔も家族同様認識していました。


営業として大阪で半年ほどを過ごし、その後製造拠点の山口県柳井市の工場へ。


社会人として右も左もわからない23歳で、

柳井工場の事業本部長としていきなり20人ほどを束ねる立場を任されました。


"社長の息子"として赴任した私は、自身の感覚で業務を遂行していきました。



その結果、徐々に社員たちとの衝突や私に対する不満は大きくなり、会社を去る社員を

出してしまいました。


大学を出たばかりの若輩者の私は当時、何もわかっていなかったのです。


柳井市での赴任は3年ほどだったのですが、あの3年で私は仕事をしていく上で

最も大切なことを学んだといえます。


「企業は人なり」


それから私は社員に「〇〇しろ」と強要することはなくなりました。

二酸化塩素と運命の出会い


安部)本社に戻った私は、病気の父に代わって肩書こそ代表取締役ではないものの


実質の企業の推進力として父の印刷会社を運営しつつ、また異なるソリューションを展開する別の印刷会社を興し、両社の会社経営に向き合う日々。


そんなある日。1992年、37歳の時です。


営業部の社員が客先から持ち帰った「二酸化塩素」という黄色の液体が入った噴射式のスプレー。


「これ、におい消えちゃうみたいです!」


営業部の社員の高揚感あふれる表情に半ば半信半疑だった私。


その日、持ち帰った私はトイレで用を足した後、トイレにスプレーを噴射しました。


「くさくない!本当にニオイが消える!」


あの時の衝撃は忘れもしません。


当時は家庭用の消臭剤といえば、香料によるものがほとんどだったこともあり、体感を伴う消臭力に驚きました。


その後も日々のトイレで用を足す時に噴射を繰り返していましたが、数日で黄色から無色になり効果がなくなりました。


その時にはじめて、「二酸化塩素を誰でも簡単に長く使えないか」「二酸化塩素を使って商品開発ができないか」と一つの問いが生まれたのです。

社員食堂の片隅で


安部)印刷会社とは全く関係のない二酸化塩素。


興味を持った私は、印刷会社のiMacを使って情報収集を始めました。


国内で二酸化塩素に関する情報は少なく、アメリカのサイトで当時は英訳機能もなかったので辞書を片手に文献を読み漁る日々。


すると二酸化塩素は水素と酸素とナトリウムと塩素の4つの元素の組み合わせで発生することを知りました。


自ら手を動かして二酸化塩素を発生させるため、国内で集めた原料を使って、社員食堂の片隅で二酸化塩素の発生の実験をこじんまりとスタートさせました。



社員は「急に何してるんだろう?」と横目で見ていたでしょうね。


私は印刷会社に変わる新たな事業の柱になるのではないかと研究にのめりこんでいきました。

二酸化塩素を商品に


当時国内で二酸化塩素とは馴染みのないものでしたが、


アメリカでは牛肉や鶏肉の表面を殺菌する目的で使用されたりしていました。


その経緯もあり、まずは食品工場の環境衛生用として、商品を提供しはじめました。


また1996年にはO157の流行もあり、次第に二酸化塩素商品への認知がされていくようになり、商品も徐々にではありますが売れるようになっていきました。


一方、家業はというとテクノロジーの変化に伴い、印刷会社の需要は将来少なくなっていくだろうと感じ始めていました。


父は変わらず、印刷会社の代表取締役でありましたが既にこの頃二酸化塩素と出会って5年。


私は二酸化塩素事業で突き進んでいくという意思を固め特許取得手続きまで完了していました。

悲願の特許取得、そして海を渡る


安部)印刷の事業はそっちのけで、研究にのめり込んでいた私はついに特許を取得しました。


自身初めての特許である特許3110724号です。


この特許は一度生成した二酸化塩素の濃度を2年以上保持するという特許であり、ついに悲願であった長く使える二酸化塩素技術の開発に成功しました。


そこから身近に使える商品化へ向けて私は考えました。


国内では二酸化塩素は消毒剤として認可されていなかった一方、国家レベルでの基準を満たした上でこそ商品化への一歩が着実に踏み出せる。


そこで中国に渡り、中国で安全性や効果などあらゆる試験をクリアし、消毒剤として認可を取得。


それにより中国国内では、医療機器、粘膜等のあらゆる用途での消毒剤として使用することができるようになりました。

大幸薬品との出会い


安部)中国で事業が成長しつつあった私の日々のリフレッシュはゴルフ。


その中で、現在大幸薬品の社長を務める柴田氏と出会い、柴田氏の二酸化塩素に対する熱意を感じると共に私自身「自己資金の中で展開するより、大きな資本の中で商品として広めていきたい」という思いで既に開発済みであった家庭内空間除菌剤を「クレベリン」という名称で大幸薬品から販売しました。


当初はOEMという形での商品提供でしたが、大幸薬品の要望もあり、

会社ごと合併を経て、私は大幸薬品の専務取締役に就任。


クレベリンの製造の指揮はもちろん、全国のドラッグストアでの取り扱いを展開する営業社員を束ね、従事しました。


クレベリンは好調に推移し、現在では大幸薬品の事業セグメントの中で、感染管理事業は大きなウエイトを占めるまでに成長しました。

空白の8年


安部)大幸薬品の専務取締役を退任となった私は、当時54歳。


これまでの激務の時間とは対照的に悶々とした日々を送ることになりました。


日々、ゴルフや近所のスナックに通う刺激のない毎日。


退任の翌年の2010年。


空間除菌商品は各社から販売され、その中で二酸化塩素製品に対して国民生活センターからの指摘や消費者庁からの措置命令などがありました。


そういったニュースを横目に何もできないもどかしさが募っていました。


このこともあり、少しずつではありますが、「もう一度、正しい二酸化塩素商品を開発したい」という思いが膨らみはじめました。

息子とワンルームマンションの片隅で再起をはかる


安部)私の子供たちは4人。長男、長女、次女、次男です。


長男には別事業の社長を任せていました。


次男は東京で働いていましたが、「どうだやらないか」と声をかけました。


「事業はなにをするの?」と聞く次男に間髪入れず、「二酸化塩素にかける!」と答えました。


次男は苦笑いしながら「またやるの」といいつつ、了承してくれました。



こうして、電車の高架下の築40年近くの物件で息子と再起を図ることを誓い、

2017年に株式会社CLO2 Lab ( シーエルオーツーラボ ) を設立。


私は62歳になっていました。


立ちはだかる自身の特許技術


安部)二酸化塩素商品の開発はこれまでも企業向けや一般消費者向けへと取り組んできましたが私が開発した8つの特許技術に勝る新たな技術はなかなか発見することができませんでした。



研究の現場から長らく離れていた私は、ブランクを感じながらも研究を続ける日々。


これまでより「もっと長持ちさせたい」、「もっと快適に使ってもらいたい」という思いを形にするべく息子と研究をつづけました。


サンプル数はゆうに1000を超えていました。


一筋の光


安部)自己資金で研究に取り込む毎日。


収入はなく、オフィスの家賃と研究費だけがかさみ、資金を切り崩しながらの日々。


私は一刻も早く画期的な技術を開発し、新たな特許を見出す必要に迫られ、焦りも徐々に募ってきました。


会社を設立して半年。


二酸化塩素濃度を自在にコントロールできる画期的な技術にたどり着きました。


これまでの空間除菌剤で課題とされてきた使用開始時に感じやすい成分臭を軽減することができたと同時に、使用開始時における二酸化塩素濃度の急上昇を抑えることで、持続期間の長期化を実現できることもわかり、ついに初めての特許を出願することができました。


無事特許庁から特許認定の連絡を受けた時、夢のような技術をつかんだ私と息子は

これまでの苦労を噛みしめるように喜び合いました。


そして、「オキサイダー」が誕生することになったのです。


ようやく事業化


安部)コロナ禍において、空間除菌剤の需要は高まり、「オキサイダー」を購入頂ける

企業やお客様は増えました。売上高も昨対比5倍と好調に推移し、感謝しています。


会社としての規模も拡大し、私と息子で始まった会社ですが、現在社員数は37名(2021年11月8日現在)になりました。



「オキサイダー」は全国のドラッグストアでの取り扱いも徐々に拡大し、2021年10月には俳優・的場浩司さんを起用したTVCMの放映をスタートしました。


×


オキサイダーは空間除菌剤としてはもちろん、圧倒的な消臭効果が魅力的な商品です。


これからもあらゆるシーンで活用できる商品として、ご使用頂きたいと思います。

残りの人生をかけて


安部)67歳になった私の趣味はゴルフ。でも常に、頭の中は仕事のことでいっぱいです。


残りの人生はもちろん正しい二酸化塩素商品の開発や普及にかけます!


そのためにも体を動かし健康には気をつけたいと思っています。


二酸化塩素との出会いは私の人生を大きな航海へと導いてくれました。


何度も座礁し、転覆しそうになりつつも何とかここまで来られました。



船頭は今は私ですがいずれ、息子に舵取りを任せることになるでしょう。


会社は台湾やインドで特許を取得。二酸化塩素技術を用いた新製品の開発でさらに2件の特許を出願するなど新たな航海が続いていきます。


また佐賀県の医療施設からオファーがありコロナ病棟での実証試験も始まりました。


力尽きるまで研究に勤しみ、二酸化塩素の技術を世のため、社会のために届けていく。


これが私の最後のチャレンジです。




■オキサイダー

https://oxider.jp/


■会社概要

株式会社CLO2 Lab ( シーエルオーツーラボ )

代表取締役:安部 幸治

本社:兵庫県西宮市相生町11-9 クレインビル3F

事業内容:二酸化塩素製品の開発・商品開発支援およびコンサルティング




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