震災の津波で家族が犠牲に 「なぜ娘が死ななければ...」

午前6時、夜明け前の閖上漁港。漁船が漁に出る準備を始める。

仙台放送・寺田早輪子アナウンサー:
何隻ぐらい、ここから出ていくんですか?

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
ここからは、アカガイ船だけで10艘

宮城県名取市閖上出身の菊地篤也さん(57)は、アカガイ漁を始めて41年のベテラン漁師。漁港から約8kmの漁場に向かう。

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アカガイ漁師・菊地篤也さん:
もう少しで日の出(太陽が)上がってくるから

仙台放送・寺田早輪子アナウンサー:
漁のポイントは決まっている?

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
決まっていない。かっこいいこと言うと、長年の勘で「この辺かな」とか

菊地さんは、東日本大震災の津波で船を流された。震災の2年後、新たな船でアカガイ漁を再開。

今は、次男の佳祐さん(30)と一緒に漁に出ている。

無線:
時間です。操業開始してください

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
よし! やれー

「マンガン」と呼ばれる漁具を下ろし、海底のアカガイをとる。

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
マンガンを下ろして、引っ張って、何十分と時間がある。すると、今でも思い出す。「あの時こうだったよな」とか、「あの辺だったなぁ...」とか

菊地さんの母親・とも子さん(当時67)と、当時、中学2年生だった長女・ななみさん(当時14)。

震災当時、閖上の自宅にいた2人は、避難場所だった閖上公民館に避難したが、津波に襲われ、とも子さんは、逃げ込んだ閖上中学校で低体温症のため亡くなった。
ななみさんは、閖上大橋の下から助け出されたが、病院に運ばれる途中、息を引き取った。

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
「寒い所にいて、見つかって良かった」と。でも、ちょっと経つと、「何でうちのななみが死ななければならなかったの?」って思うんだよね

「海ではなく、津波が悪いんだ」 一大決心で再び漁へ

家を流され、船を失い、家族を亡くし。「漁師はもう辞める」と決め、震災後は、閖上でがれき処理の仕事をしていた。

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
「船は…漁師はいいわ、これで」と思っていたが、港に全然、船がいなかったのが、一艘、二艘と増えていくんですよ。「船が増えてくるなぁ」と言っている時に、違う俺が出てきて、「やっぱり船…漁師だよな」。海が悪いんでない、津波が悪いんだ。一大決心して船を造ると

仙台放送・寺田早輪子アナウンサー:
菊地さんにとって「海」とは?

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
「オギャー」って生まれた時から閖上で育って、閖上漁港、船が自分の仕事場になって。かっこいいこと言うと「故郷」

籠いっぱいのアカガイ。この日は、久しぶりの大漁だった。

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
食べておいしいのは、このくらいの(大きさ)。一番おいしいかな

次男の佳祐さんは震災後、船に乗るようになり、お父さんを支えている。

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
「福山雅治のようなお父さんです」って

菊地さんの次男・佳祐さん:
大変な仕事なのに、頑張っているなって尊敬します

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
(佳祐さんはどんな存在?)やっぱり大事だよね。子どもを3人もうけて、上と下が亡くなって、佳祐一人だけ

菊地さんの全てが閖上の海に 家族を支えてきた漁

菊地さんの長男・祐介さん(当時18)は17年前、通っていた高校のマグロ漁の実習中に突然亡くなった。

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
まさか、まさかだよね、2人もね。死ぬ間際までしゃべっていたわけでなく、突然だから、長男の時も、ななみの時も。再会した時にはひつぎの中に納められていて

妻の和子さんは、借金をして再び船を造ることに最初は反対したという。それでも、夫の思いを受け入れた。

妻・和子さん(57):
「私も仕事しているから、食べていけなくはない」と言ったが、「それでもいい、漁をする」と言うから。お互い前を向かないとやっていけないから。感謝はしていますよ

前を向いて、再び海へ…

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
(ななみさんは)3人の中で一番魚が好きな子だった。「お父さん、きょう、舌平目煮て」とか。舌平目なんてハイカラな言葉は使わない。閖上ではベロベロって言う。「お父さん、ベロ煮て」って。女の子だと、父親って甘くなるんだよね

家族を支えてきたアカガイ漁。菊地さんにとっての全てが閖上の海にある。

アカガイ漁師・菊地篤也さん:
(ななみさんは)「せっかく造った船なんだから頑張れよ!」と言っているんでは。「おっ父! 頑張れよ!」と言ってると思うよ

(仙台放送)