そもそも髙木と小平は戦いの場が違う

世界スプリントで髙木美帆(25)が初優勝した。連覇を狙う小平奈緒(33)を抑えての優勝。「ついに髙木が小平を超えた」。その点で、確かに大きなニュースである。ただ、小平との勝負のほかにも、非常に大きな価値があることを伝えたい。

今回髙木が優勝した「世界選手権・スプリント部門」は短距離の世界一を決める大会で、今季で51回目にあたる。日本の優勝者は史上2人だけ。ディフェンディングチャンピオンの小平奈緒(通算2回)と黑岩彰(同2回)。髙木は今回そこに名を連ねた。

スピードスケートの世界選手権は、3種類ある。そのうちの2つ「世界スプリント選手権」と「世界オールラウンド選手権」(後述)が、今季一大会に統合されて行われた。
「世界選手権・スプリント部門」はこれまでの「世界スプリント選手権」にあたる。短距離種目である500mと1000mを2回ずつ滑り、2日間で合計4レースのタイム換算ポイントで優勝を争う。一方「世界選手権・オールラウンド部門」はこれまでの「世界オールラウンド選手権」にあたり、こちらも合計4レースで争うが、500m、1500m、3000m、5000m(男子は500m、1500m、5000m、10000m)と、中長距離を含む4距離となる。

一般に、ワールドクラスのスピードスケート選手は、強化の過程で「短距離」と「中長距離」のグループに分かれ、おおかた世界スプリント選手権と世界オールラウンド選手権のいずれかで世界の頂点を狙う形になる。500mや1000mなど短距離で世界記録を出した小平の主戦場は明らかに前者である。
一方髙木は典型的な短距離型の選手とは言い難い。必ずしも明確に線引きできるわけではないが、髙木は、どちらかと言えば中長距離型のカテゴリーの一人として強化・活躍してきた選手である。その最大の成果が、2季前の世界オールラウンド選手権総合優勝である。
つまり、髙木と小平は、元々戦いの場が違うのである。

「2冠」の価値を裏付ける“規格外の挑戦”とは

世界スプリント選手権と世界オールラウンド選手権の両方に出場する選手も、希にだが存在する。その中で「2冠」を達成した女性選手は史上4人いる。最近では2007年のアニー・フリージンガー(独)がその一人だ。残る3人は1980年代~70年代まで時代を遡る。男子選手は、80年レークプラシッド五輪で金メダルを独占した、怪物エリック・ハイデン(米)が成し遂げたくらいで、非常にレアケースである。いずれの場合も、驚くほど卓越したスケート力がなくして、その結果はあり得ない。

また、強化方法が常に進化し、求める結果に応じて細分化され、そして競技の質が向上していく、という循環の中で、“二刀流的”な勝利が困難さを増すのは、どの競技にも共通する傾向である。高度に進化したスケート技術が、突出した身体能力に凌駕される時代ではない昨今、主戦場ではない大会に出場するのは、挑戦的な姿勢ととれる。

実は髙木は、昨季、まだ日程が別々であった世界スプリント選手権と世界オールラウンド選手権の「同一シーズン2冠」を狙った。過去においてこれを達成したのは、前述のエリック・ハイデンだけ。女子は前人未踏である。髙木の結果はいずれも総合2位で、日本ではそれほど大きな報道にはならなかった。
しかし、オランダで世界スプリント選手権に出場した翌日の飛行機で時差のあるカナダに渡り、その週末開催の世界オールラウンド選手権に出場する強行スケジュールは、そもそも常軌を逸している。そんな劣悪な条件下、いずれの大会も表彰台に上ったことは、スケート界からすれば驚愕の事実である。当然ながら、この鉄人のような戦いぶりは、昨季のスケート界のビッグニュースになった。

今季も、世界スプリント選手権と世界オールラウンド選手権が別々に行われていたら、髙木のそんな活躍をまた観られただろうに・・・と肩を落としたスケートファンは少なくないと思う。

その1年後の2020年2月、髙木は「世界選手権・スプリント部門」を制し、「2冠」を手にした。世界スプリント選手権と世界オールラウンド選手権が一大会に統合されてしまったため、“同一シーズンで達成”の野望は果たせなかったものの、二つ目の冠は、それを獲得するに相応しいアスリートのもとに渡った。

実は、髙木は既に2年前、世界の“尊敬”の対象に

もう一つ重要なことがある。それは「世界オールラウンド選手権者」に向けられた世界のスケートファンの「尊敬」の気持ちである。
今季は、世界オールラウンド選手権114回目にあたる。この大会は、国際スケート連盟が設立された1892年当初から続くもので、連盟設立前にも(今となれば)非公式の選手権大会が行われていた。歴史が非常に古いのである。よって、スピードスケートに親しんできた人々にとっての「最強スケーター」は「オールラウンドの勝者」である。私自身、些末な取材経験から、ヨーロッパのファン達が選手に抱くリスペクトの意識を肌で感じた記憶がある。また、ある日本のスケート指導者は以前次のように話してくれた。「ちゃんと滑る技術がなかったら10000mなんて(長距離は)、体力だけでは絶対に滑れない」。この一言からは、「長距離王者=スケート技術を極めた者」という意味合いが伝わってくる。
そんな価値観の中、髙木は、既に2季前の時点で、世界から最高のリスペクトを受ける存在になっていた事実も、ここで強調しておきたい。

ところで、スプリント大会の価値についても少しだけ言及しておく。短距離種目のスピード感は、観る者を大いに魅了する。現在、短距離種目では、400mリンク1周にかかる時間は最短で23秒台。これは、転倒せずにカーブを回りきるスケート技術の限界との戦いである。レースが気象条件に左右されない屋内リンクが世界各国に造られ、器具の進歩や整氷技術の向上などと合わせ、滑走速度が上がっている。小さなカーブを回ることはますます困難になり、一層スリリングさが増している。更に短距離は、一瞬にして勝負が決するだけに、小さなミスが命取りとなる。そんなプレッシャーの中、4本全てのレースでパフォーマンスを発揮するには、とても高度な身体的技術的条件が求められるのである。

また、記録との戦いも重要である。勝負とは別のモチベーションを選手に与えることになると同時に、観客に対しても新たな観戦ポイントが提供されることになる。
こういった、いくつもの要素が、スケートの楽しみの幅を広げている。

更に、五輪におけるスピードスケートの注目度の高さは周知の通り。五輪は、種目毎に優勝が決まる「距離別」の大会形式である。国際スケート連盟は、「オールラウンド」「スプリント」に加え、「距離別」も1996年から世界選手権の一つに位置づけた。これが冒頭に述べる3つ目の世界選手権だ。
今季の世界距離別選手権は、今回オールラウンドとスプリントが統合されて行われた世界選手権の2週間前に、アメリカ・ソルトレイクシティーのリンクで行われた。このリンクは高地にあり気圧が低いため、世界記録を出しやすい「高速リンク」として知られている。しかも今回は、2年後の北京五輪と同時期開催であった。実は、日本チームは、この世界距離別選手権で最高のパフォーマンスをすることを今季のテーマに掲げていた。髙木も同様である。世界距離別選手権の結果や反省も、今回の髙木の「2冠」達成に関係していると考えるのが自然であろう。

最後にほんの少しだけ、今回のレースに触れておく。スケート史に名を刻む「2冠」の可能性を強く匂わせたレースは、大会初日の500mではないだろうか。「あれは想定外だった」という声も関係者から聞こえてきている。
小平と髙木の選手としての特徴から考えると、レースの距離が長い方が髙木に有利である。現状をわかりやすく整理して言うなら、1000mを境に、それより短い500mは小平が強く、反対に長い1500mは高木に分がある。従って、500mにおける勝利は髙木にとってボーナスとなり、大会全体を優位に進められたと考えられる。2日目最後の1000mも、2位小平に対しある程度のリードを確保し、逆転されるリスクが大きくない中でのレースになった。フィニッシュ直後の髙木の表情も、喜びを爆発させるというよりは、描けていたイメージが現実になったことを静かに確かめているように見えた。

そんな大会で、小平の強さを感じたシーンもいくつもある。そのうちの一つは2日目の500。小平が髙木に一矢報いた場面だ。このとき小平は髙木と同走。序盤はほぼ並ぶ展開だった。いくつかの状況から、後半リードするのは髙木と思ったが、レースを制したのは小平だった。小平のタイムは、37秒46。初日の髙木を上回る今大会最速だった。決してベストのコンディションではないであろう小平だったが・・・。そこに小平の「格」を感じる。
髙木は、レース後のインタビューで、「小平さんが前を滑っていて、意識しすぎて滑りが乱れたところもある」と答えている。一方小平は、大会後のインタビューで、総合優勝を逃した悔しさを素直に表現しつつ、高い目標を持ち続けていることを窺わせた。細かい分析は他に譲るが、小平の強さをこんなところからも感じる。今後も北京五輪に向け、二人は互いを高め合う存在であり続けると、心から思う。

「世界スプリント・オールラウンド選手権2020」は3月14日(土)深夜2時15分~3時50分OA
(※一部地域を除く)

(フジテレビ報道キャスター・奥寺健)