基地で被災した航空自衛隊員

大竹慎一(おおだけしんいち)さん(54)。
群馬県出身の大竹さんは、1984年航空自衛隊に入隊した。

航空自衛隊 松島基地 大竹慎一 准空尉(54);
子供たちが空を見上げて喜んでくれる姿は、同じ自衛隊の中でも直接、肌で感じることができるので

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これまでにブルーインパルスや戦闘機の整備などに携わってきた大竹さん。
子供たちの笑顔を見られることが、一番のやりがいだという。

仙台報道 梅島アナウンサー;
大竹さん、この場所は?

大竹慎一 准空尉(54);
当日、隊員が避難した場所です

3月11日、松島基地にいた大竹さん。

大竹慎一 准空尉(54);
雪も降っていましたので、寒さもあったけれど、やはり目に入ってくる恐怖。言葉を失ったような感じでした

石巻湾に近いこの基地は2mの津波に襲われ、戦闘機や救難機など28機が水没した。
駐機場や格納庫も飲み込まれ、基地には多くの車両が流れ込み、壊滅状態に。
幸い勤務していた隊員約900人は無事だったが、基地は機能を失った。

大竹慎一 准空尉(54);
もう先もわからず、自分たちは今からどうするのかもわからずという感じでした

それでも隊員たちは、自衛隊の任務を果たすため復旧活動にあたる。

その結果、津波によって使えなくなった滑走路は、3日後には整備が完了。
支援物資の輸送ができるようになった。
そして、被災家屋の復旧や炊き出し支援など、傷ついた町のために懸命に励む日々を送った。

連絡がつかない家族がいる中…

大竹さんも、他の隊員と同様だった。
ただひとつ、「連絡がつかない家族がいる」ということを除いては。

大竹慎一 准空尉(54);
おそらく、この辺りになると思うんですけれど

この場所にあった特別養護老人ホーム「不老園」で、長男の伊吹さんを亡くした。
20歳だった。介護士を目指し働き始めたばかりのことだった。

大竹慎一 准空尉(54);
利用者さんのベッドを2台くらい運びながら避難をしていたらしいんですよ。そこに津波が襲ってきて、一緒に流されたという話を聞きました。おそらく施設の中で使っていたカーテンだと思うけれど。それにくるまれた状態で砂にまみれて。そういう表情でしたね

野蒜海岸にほど近く、松島湾を臨む施設は、津波に飲み込まれ多くの犠牲者が出た。

被災直後の「不老園」の様子

あの日から…9年。
心の整理はついていない。

ブルーインパルスで描く、広く伝えたい記憶

しかし大竹さんは、オリンピックの聖火が到着する20日、東松島の空に五輪マークをブルーインパルスが描くことで、あの日の記憶を広く伝えたいと考えている。

大竹慎一 准空尉(54);
残されても、つらいことを乗り越えた人たちがたくさん頑張っていますので、そういう姿を、本当なら一緒に見たかったけれど、そういう人たちが頑張っていることも伝えてあげたいなと思います

(仙台放送)