9月15日に享年75歳で逝去した女優・樹木希林さん。

10月25日に放送した「直撃!シンソウ坂上」では、映画『万引き家族』の撮影舞台裏に密着した60時間に及ぶ映像を初公開。また、最後の主演映画『あん』の河瀨直美監督が、カメラの前で初めて、亡き希林さんの撮影秘話を語った。

さらに、貴重な若かりし頃の映画からプライベートに密着した映像まで、知られざる希林さんの素顔に迫った。
 

映画『万引き家族』では模索しながらの演技

 
 
この記事の画像(15枚)

2018年5月19日、第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した映画『万引き家族』は、足りない生活品を万引きなどで賄う、犯罪でつながった家族の物語。ある日、虐待を受ける近所の少女を救い出したことから、事態は大きく変わっていく。

 
 

希林さんが演じたのは、社会に馴染めずに行き場のない人々と暮らす家主の老婆・初枝。家族には優しく接するが、他人のパチンコ玉をくすねる老獪な一面も。

希林さんは複雑な人間関係を描くこの映画に悩み、決して妥協のない姿勢で役に挑んだ。

撮影前に行われた出演者の顔合わせ。
是枝裕和監督や共演するリリー・フランキーさんとともに、なぜ自身が演じる老婆は行き場のない人と暮らすことになったのか、当初の設定に無理があると訴え、その理由を希林さんなりに探っていた。

 
 

その後、老婆には夫が別の女を作り、捨てられたという過去が追加され、複雑な人生が描かれることになったが、希林さんにはそれでも納得できないことがあった。

それは、松岡茉優さん演じる若い女の子の存在。容姿端麗で頭もいいのに、家出をしてまで老婆の元に身を寄せたのはなぜなのか。希林さんは、自信が考えたアイデアを是枝監督に提案していた。

 
 

また、安藤サクラさん演じる信代と歩くシーンの撮影。設定は夏だが、実は真冬に撮影していた。

さらに、気温4.5度で寒さに耐えながら、半袖で日傘をさして出掛けるシーンに挑むことに。

 
 

希林さんは思わず、監督に対して「本当に使うんですか?なしじゃだめですか?寒くて…」などと訴え、監督から「使います」と言われると「しょうがない。カットにならなかった」とつぶやいていた。
 

 
 

この後、撮影に協力してくれたお店のリクエストに応じてサインをした希林さん。
自身の似顔絵を描いたり、店主の孫への色紙には、希林さんの孫の話も添えるなど飾らない一面を見せていた。
 

 
 

是枝監督が思わずうなった希林さんの演技

そして、監督も思わずうなったというシーンがある。

希林さん演じる初枝が「私がここ立ち退いたら、あんたいくらもらえんの?」と過去に地上げ屋をやっていた男に問いかけるシーン。監督は、「闇がある。この家を売りたくない感じ、良い顔だった。重さがちょっと垣間見える瞬間があればいいなと思っていたけど、たぶん今のがそう」と希林さんの演技を絶賛した。

すべての撮影を終えた希林さんは、「今回初めてです。撮り終ってから“足を引っ張っちゃったな”と思ったの。もっと何でもない、取り残された婆さんをやればよかった。まだ意思がはっきりしてて、策略もやりそうな感じの婆さんになっちゃった。それは私の性格からくるもので、やっているうちに是枝監督がそっちの方へ行っちゃったんだね。だから、試写会なんか恐ろしくて行かない…」と話していた。

希林さんが亡くなってから一週間後、第66回サンセバスチャン国際映画祭で生涯功労賞に当たる「ドノスティア賞」を受賞した是枝監督。
そのスピーチで「ずっとこの10年、役者と監督という関係を超えて、パートナーとして映画を作ってきた方なんですけど、彼女がついこの間亡くなられて、(受賞は)嬉しいんですけど、ちょっと悲しくなって泣いています。希林さんに教えていただいたことがたくさんあるので、良い映画を作って、みなさんに届けたいと思っています」と涙を浮かべながら希林さんに対する思いを語っていた。
 

「自分は喧嘩が好き」夫・内田裕也さんとの関係

希林さんは1973年に内田裕也さんと結婚。その後、1年半で別居するなど、波乱万丈な結婚生活はたびたび話題に。

プライベートにも密着した貴重な映像では、希林さんの死生観と夫・裕也さんへの関係を語っていた。

初めてお伊勢参りをするというドキュメンタリー番組で、近くのうどん店に立ち寄った希林さん。

 
 

お店の女将さんから記念にと差し出された法被に、希林さんは「どうもありがとう。気持ちを頂きました」と受け取らなかった。

女将さんも引くことなく、家で着ることを勧めたが希林さんは「家では着ません」とキッパリ。「もらった方が和気あいあいでいい。だけど、粗末にしたら申し訳ないからもらわない」と頑なに受け取らなかった希林さんの中には、モノに対するある哲学があった。

綺麗に整理された自宅に戻ると、すぐさま掃除を始めた希林さん。掃除に使う雑巾は、Tシャツや靴下などの洋服の切れ端を使っているという。「着れなくなったものあるじゃない、それで最後に始末をする時の達成感というか快感、これは主婦の特権だね」と誇らしげに語った。

「形になって残るものはめったに欲しいとは思いません。やっぱり物の冥利ってものを考えちゃう」
希林さんなりのモノに対する哲学だった。

 
 

また、「人と喧嘩をするのが、いさかいを好む女という感じで、興奮してくることが好きだった。自分が喧嘩が好きなんだな~っていうのは、夫である内田裕也と結婚してから。自分の中にこれだけ激しいものがあるんだというのはわかったんですけどね…」と、裕也さんへの思いを明かす。

「他人から見ると、私がちゃんとしていて、夫がめちゃくちゃという風に見えるんですね。実際にそうなんですけど、仏典の中に釈迦が自分に背いて邪魔ばかりしている提婆達多(だいばたった)というのがいるわけですが、それがいたおかげで、自分はこれだけのものを悟ることができたというくだりがあります。自分にとって不具合だなっていうものの出会いはすべて、その時の提婆達多だったと私が受け取るものですから。

もう一つ深く進んで行くと、私の中にどうにもならない混沌とした汚れみたいなものが内田さんというカッカカッカしているものにぶつかって、清められているみたいな。そういうものなんでね、ありがたいと思っているんです」
 

最後の主演映画…河瀬監督の忘れられないエピソード

57年の女優人生の中で、出演した映画は100本以上。

幅広い演技力と個性的なキャラクターで映画界では欠かせないバイプレイヤーとして活躍した。

しかし、主役を演じたのは実は2作品だけ。最後の主演作は映画『あん』(2015年公開)。

希林さん演じる元ハンセン病患者の徳江は、どら焼き店で働き始めるが、ハンセン病だったという噂が街に広まり店を去ることとなる。

 
 

その映画『あん』で監督を務めたのが河瀨直美さんだ。

今回初めてテレビの前で亡き希林さんの知られざる女優魂を語ってくれた。

この映画には、実際に原作の中でモデルにしていた元患者の方がいるというが、希林さんは何のアポもなく突然会いに行ったという。河瀨さんは「樹木希林ですと言って、普通に面会者としてその方に会いに行かれた」と希林さんの行動力に驚いたという。

希林さんが一人で訪れた場所は、鹿児島県。モデルとなった上野正子さん(91)に希林さんが来た時の様子を聞くと「あんまり綺麗な格好していらっしゃらなかったから。その辺の村のおばちゃんかと思って、『どなたですか?』と何度も聞いたんです。そしたら『あなたを見に来たのよ、あなたに会いに来たのよ』とおっしゃるから、変なおばちゃんだねと思って」と明かした。

そして、河瀨監督には希林さんとの忘れられないエピソードがあるという。

 
 

希林さん演じる徳江が「私たちは、私たちには生きる意味があるのよ…」と言う映画のクライマックスともいえるシーン。

実は、撮る予定にはなかった映像だったが、まるで息をしているかのように木から湯気が出ていることに気付いた希林さんは監督の元へ行き「撮っちゃダメ?」と訴えたことがきっかけとなった。

河瀨監督は「まさにあれば、“樹木希林監督”が撮らせたというか、カメラマンを連れて『私を撮りなさい』と言って撮ったんです。奇跡が起こる瞬間なんですね」と振り返った。

 
 

常に最高の作品にしたい、そんな希林さんの強い思いがあったからこそ、映画を象徴するシーンが生まれた。

最後の主演映画を通して間近で見ていた河瀨監督は「今はまだ近くにいてくれている感じ、あんまりいなくなったとか思えなくて、いつもいてくれてるって感じがするんですね。木にもたれているあの顔で、希林さんは逝かれたのかな」と語った。

この映画を最後に、主演をすることはなかった希林さん。

 
 

亡くなる2カ月前のインタビューで希林さんは次のように話していた。

「やはり、“時が来たら誇りを持って脇にどけ”。どこかの児童文学者が書いた言葉なんだけど、年齢というものはそういうものじゃないかと。次の世代に譲っていく、これは絶対に必要なことだと思います。

私は元気じゃないからそういう気持ちになりましたけど、元気で80歳、90歳まで俺は現役で頑張る、その気持ちは大事ですけど、譲らないというのは私は好きじゃないので、自分に言い聞かせているわけ。“もう時が来たら誇りを持って脇にどけ”いい言葉だなと思って、いつもそれは頭にある」

 

 
 


「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54