“被爆二世”…親も子どもも抱える葛藤

「被爆二世」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
「被爆二世」とは、両親または親のどちらかが原爆の被爆者であり、その親が「長崎」で被爆していた場合は1946年6月4日以降に生まれた子どもを指す。
その数は、30万人から50万人とも言われている。
二世たちは、原爆の放射線は次の世代にも影響するのではないかと、ずっと健康面での不安を抱えて過ごしてきた。
70歳ですい臓がんを患った「被爆二世」の男性の思いとは…

丸尾 育朗さん、72歳。

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母親(被爆当時24歳)が長崎で被爆していて、終戦から2年後の1947年10月に生まれた。
現在、「長崎県被爆二世の会」の会長を務めている。

丸尾さんは小学1年から3年まで、原爆落下中心地から北に約600mの場所にある長崎市の山里小学校に通っていた。

小学校時代の丸尾さん
小学校時代の丸尾さん

戦後の山里小は、当時はまだ被爆した校舎を使用していて、運動場の脇に残っていた防空壕は子どもたちの遊び場となっていた。

山里小学校の古い写真
山里小学校の古い写真

丸尾 育朗さん;
その中でどういった人たちが死んだとか、頭になかったんです。その頃はまだ

原爆の熱線の影響で表面が泡だった「被爆瓦」や変形したガラス瓶を、浦上川など学校の周辺のいたるところで目にしたといいう。

丸尾 育朗さん;
当たり前じゃないんですけど、それが当たり前だったんです。全部がそれですから

「被爆二世」という言葉に初めて触れたのは、高校を卒業後、職場の労働組合に入ったとき。
被爆二世が若くして白血病など被爆者と同じ病気で亡くなっていることも、この時知った。

親の被爆体験を聞き取り、証言集の発行にも携わったが、被爆二世にとって、自分の親と向き合うことは覚悟が必要だった。

丸尾 育朗さん;
子どもが病気した場合には自分のせいだと思って、親は言えなかったと思う。子どもからすれば、親が被爆者だから自分が病気になったという葛藤がものすごくあったんですね

身近な“被爆二世”が相次ぎ病に倒れ…そして自身も

2000年には従妹を くも膜下出血で、翌年には同僚も50代という若さで亡くした。
元気だった周囲の被爆二世たちが、突然病に倒れる姿を目の当たりにして、放射線の影響は親だけの問題ではないとの実感が積み重なっていく。

丸尾 育朗さん;
人に対しては二世にも影響があるんですよって言いよったけど、自分に出るかどうかはあんまり心配してなかったんです…歩くのが遅くなったんですよ、ものすごく

70歳を前にした2017年の春。
丸尾さんは、すい臓がんの「ステージ2B」と診断され手術を受けた。
前の年の12月に受けた血液検査で異変が出て、不安を感じたそうだ。
被爆者だった母親も、2011年に末期のすい臓がんと診断され、ひと月後に帰らぬ人となっていた。

丸尾 育朗さん;
僕にも来たかなという気持ちはあった。やっぱり二世の関係は、被爆の影響が絶対消えんから。そういった意味では、やっぱりちゃんとした保障をしてほしいというのがある

充実した支援や正しい理解求め、活発に活動

被爆二世は年に一度、無料で健康診断を受けられるが、がん検診は含まれず治療費も自己負担。
1988年に発足した全国被爆二世団体連絡協議会は、国に対し原爆の放射線の遺伝的な影響についての調査や援護を求める活動を続けてきた。

しかし、被爆者と比べ被爆二世の問題は世界的にもあまり知られていない。

被爆二世 平野 伸人さん;
被爆者は被爆者になりたがるでしょう。でも、被爆二世は被爆二世になりたがらないんです。それは援護とか差別とか…いろんな状況がこうしたんです

全国被爆二世団体連絡協議会・崎山 昇 会長;
私たち被爆二世は、親が受けた原爆放射線の遺伝的影響を否定できない状況に置かれている『核の被害者』です

2017年、丸尾さんをはじめ全国二世協のメンバーは、長崎地裁と広島地裁で裁判を起こした。
被爆者援護法を改正して、被爆二世の健康診断の制度づくりにつなげたいという思いがある。

丸尾さんは放射線の影響をしっかり捉えてほしいと考えている。

丸尾 育朗さん;
被爆者の子どもたちの影響についてもちゃんと知ってもらうことで、核兵器の存在をなくしてもらいたいという気持ちがあるから、被爆二世の健康問題を訴えていく

丸尾さんは今後も、被爆二世の存在や置かれている現状を、イベントや交流会などを通じて世界の人に訴えていくつもりだ。

(テレビ長崎)

テレビ長崎
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