娘の遺骨が両親のもとへ
東日本大震災から9年。
行方不明だった娘の遺骨が、2019年に見つかった大久保三夫さん(67)と妻の恵子さん(62)夫妻。
東日本大震災の発生から9年がたった2020年3月11日。
三夫さんの手には小さな箱があった。
大久保恵子さん:
きょうは本人がここに乗っているからね、いつもは思い出だけだけど
大久保三夫さん:
初めて外に出すし、抵抗もあったんだけど。3月11日くらいは(外に)出してやるかなと思って
大久保さんの長女・真希さん(当時27)。
あの日、山元町の常磐山元自動車学校で勤務中に津波に巻き込まれ、行方不明になった。
一人娘の真希さん…その帰りを待ち続けた2人に知らせが届いたのは、2019年10月のことだった。
山元町の沖合いで、真希さんのあごの部分の骨が見つかった。
実に8年7カ月ぶりの再会だった。
大久保三夫さん:
早く何か出てこないかなという日が続いていて、それがいつの間にか8年7カ月。こうやって娘が戻ってきた。本当にもう離したくないですよね
大久保恵子さん:
やっと帰ってきてくれてうれしい。ただそれだけです。夢でもいいから、「わたしはこういうふうにして、こういうところにいたんだよ」ってしゃべってくれないかなって思ってます
帰ってきた娘と過ごす3月11日
3月11日、真希さんとともに初めて訪れた、真希さんのお墓。
家族の元に戻ってきてから5カ月。
今も遺骨は墓に納めていない。
大久保恵子さん:
真希ちゃん、初外出
大久保三夫さん:
まだ入れないよ
大久保恵子さん:
去年は行方不明だったからすごく悲しくて、娘を亡くしたつらい日だけだった。亡くなったのは事実で悲しいけど、悲しみよりも帰ってきてくれた方が、今はうれしい
大久保三夫さん:
生身で帰ってきてくれたくらいうれしい。こうやって娘がいるの。それがわたしたちの正直な気持ち
娘の帰りを待つうちに、9年の歳月が過ぎた。
大久保三夫さん:
本当に変わった、変わった。ここはすごい。変わり方がすごい
自動車学校があった場所の景色も、変わり続けている。
そこに立つ慰霊碑。真希さんが最期にいた場所。
遺骨が戻ってからも、ここを訪れる頻度は変わらない。
大久保三夫さん:
見つかってからは、ここに来る回数が少なくなるかなと思ったんですけど、変わりないんだね、やっぱり
大久保恵子さん:
ここで亡くなった方はいっぱいいるので、娘だけではなくて、そういう人がいるということを忘れないためにも、ここに足を運んで、花をあげたりする重要な場所ですね
自分たちと一緒にお墓に
大久保さんは当初、3月11日を「区切り」として、真希さんの遺骨を墓に収めようと考えていた。しかし、手放す決心はつかなかった。
大久保三夫さん:
そばに置いて、常に見ていると無理なんですよ。入れられないんです。いつもそばに置いておきたい。わたしたちも、(この先)長いことはないと思うので、(自分たちと)一緒に(お墓に)入れようかなと
大久保恵子さん:
最初は納骨しようと思ったんですけどね。こういうふうに言うからね。そこまでは一緒にいたいと思っている
離れていた空白の時間を取り戻すように、2人は真希さんとの時間を噛みしめて、これからを過ごしていく。
(仙台放送)