小沢氏が立憲民主との合流失敗を批判

国民民主党と立憲民主党の合流は失敗
国民民主党と立憲民主党の合流は失敗
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国民民主の小沢一郎氏が「このままの状況でいけば野党は自民党に勝てないどころか惨敗に終わる」と述べて、立憲民主との合流が失敗したことを批判した。

小沢氏は主宰する政治塾で講演したのだが、講師として参加した共産党の志位委員長が「私たちは閣外協力でもよい」と述べ、野党連合政権では閣内に入ることが前提であることを明らかにしたのには驚いた。共産党が閣内に入ることを国民は受け入れるのか。

小沢氏は11日付の読売新聞のインタビューでも相変わらず歯切れが良かった。合流について「政策は違ったっていい」「名称は立憲民主。みんなが嫌と言えば変えればいい」「候補者を一本化しても党が違えば結果は参院選と同じ」と極めて明快だ。政治のプロから見ると「小沢さんの言うことは一理ある」のだろう。

だが一般の有権者が聞けば「は?何言ってんの?」と思うのではないか。特に「政策は違ったっていい」のくだりは全く受け入れられないはずだ。

小沢氏の絶頂は30年前

FNNワシントン支局から生中継で番組出演する小沢一郎氏
FNNワシントン支局から生中継で番組出演する小沢一郎氏

今から30年ほど前の1991年に僕がワシントン勤務だった頃、小沢氏は海部政権の幹事長として訪米したが米国の新聞は「改革者来る」という見出しで小沢氏を熱烈歓迎した。米国人の記者に「オザワってどういう政治家?」と聞かれ、なぜか誇らしかったことを覚えている。世界が彼を見ていた。あの時が小沢氏の絶頂だった。

2年後小沢氏は細川護熙氏を首班に自民党からの政権交代を成し遂げ、自らは「影の総理」として君臨する。しかし1年経たないうちに政権は崩壊し、自民に奪い返されてしまった。

1993年8月細川政権誕生
1993年8月細川政権誕生

有権者は「2度だまされた」ことを許さない

小沢氏は2009年に鳩山由紀夫氏を首班に再び政権交代を成功させるが、鳩山氏は9か月後に退陣、小沢氏はその後民主党政権の消費増税に反対して離党した。またか、と思った。

つまり有権者は小沢氏に「2度だまされた」と思っている。最初の細川政権の時は許したが2度目はダメだろう。政策が違う人たちが政権を取ってもすぐに破綻する、ということは小沢さんが身をもって教えてくれたのだ。2度も。いやもう1度やってみたら?と言う人はよほどのお人好しだろう。

だから今回の合流協議で立憲の枝野氏も国民の玉木氏も互いに相手にすり寄ることをしなかった。なぜならすり寄ったら終わりだからだ。そういう国民の気分を彼らはわかっている。そこを小沢氏はわかってない。

小沢氏の時代は終わった

小沢氏は平成の日本の政治に大変大きなインパクトを与えた。平成を代表する3人の政治家を挙げろと言われれば小沢一郎、小泉純一郎、安倍晋三だろう。小沢氏の評価は分かれるが僕は時代が生んだ天才だったと思う。「小沢、小泉、安倍」の並びは、「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康」の並びになんだか共通点があるようにも見える。ただ小沢氏の時代は終わった。今は静かに去るべきではないか。

この3人の並びは「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康」の並びになんだか共通点がある
この3人の並びは「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康」の並びになんだか共通点がある

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【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】

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平井文夫
平井文夫

言わねばならぬことを言う。神は細部に宿る。
フジテレビ報道局上席解説委員。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て現職。