聖火ランナーとして長崎を走る石原さとみ…きっかけは?

東京オリンピックの聖火ランナーとして、女優の石原さとみさん(33)が5月8日に長崎を走る。

石原さとみ
東京都生まれなんですけど「一番の転機の場所はどこですか?」と聞かれたら長崎県です

東京出身の石原さんが「長崎を走りたい」と強く思ったきっかけは、ある被爆者との出会いだった。その被爆者とは本多シズ子さん(86)である。

本多さんは長崎市の「恵の丘長崎原爆ホーム」で暮らしていて、部屋には石原さんのポスターや写真を飾っている。

ーーこの写真覚えていますか?

本多シズ子さん:
覚えてる

ーーこの時うれしかったですか?

本多シズ子さん:
…うれしかった

12年前の2008年、石原さんはドキュメンタリー番組の撮影で本多さんの元を訪れた。その後も年賀状を送りあうなど交流は続き、2015年に石原さんがプライベートで原爆ホームを訪れ、2人は7年ぶりの再会を果たした。

石原さとみ
(原爆の)被爆者の本多シズ子さんという方と、私が10代の頃にお会いして、戦争の体験とかたくさん聞いたんですね。「自分には何ができるんだろう」とすごく考えてしまいました。ですけど、数年後本多さんに長崎までプライベートで会いに行ったんです。その当時撮った写真、色紙、お手紙とかを「宝物なんだ」って…「生きていてよかった」って言ってくれて…わたしは、誰かの心を少しでも明るくできるような、励ませるような人になりたいって、その時決心したんです

恵の丘長崎原爆ホーム 本多さん担当 鹿山 彰さん:
2人とも握手しあって、石原さんも本多さんも一緒に泣いてたんじゃないですかね。久しぶりの再会だったので、石原さんと本多さんは、なにか縁が…共通するものがあると思う

本多さんは石原さんと再会した5年ほど前までは旅行に、バレーに、芋ほりにと、とてもアクティブなおばあちゃんだった。今年で86歳。徐々に耳が遠くなり、もの忘れも増えてきた。

決して忘れることのできない原爆の記憶

それでも決して忘れられない、癒えることのない傷が今も残っている。

ーー原爆の話をもう1回してもいいですか?あんまりしたくないですか?

本多シズ子さん:
…思い出したくない

1945年8月9日。当時11歳だった本多さんは、爆心地から1.8キロ離れた長崎市本原町の浦上養育院で被爆した。

本多さんは当時をこう綴っている。

「草履の鼻緒作りをして遊んでいた時、一瞬、あたりがピカッと光ったかと思うと同時に、私の身体はガラスを割り、外へ放り出されていたのです」

「私はその日以来、床に伏して足の痛みと戦いました。そのうちに青いものを吐き、なんにもしないのに髪が抜け出し、半分しか残りませんでした」

「私は父と母を知らずに、そして生まれつき右足が短く、身障児として育ちました」

「私…一度でいいから「お父さん、お母さん」と呼んでみたかった」

「石原さん、頑張ってください」

本多シズ子さん:(2006年)
かあちゃん、かあちゃん うちば うちば 置いてどこにいったとね

本多さんの被爆体験をもとにした「被爆劇」。本多さんは、2000年ごろから子供や修学旅行生の前で自ら演じてきた。

両親がいない悲しさや、被爆を理由に小学校の同級生などから受けた壮絶なイジメなどの体験を多くの人に見て、感じてほしかったのだという。

被爆から75年。平和を願う本多さんの想いは多くの子ども達に、そして石原さんにも確かに届いている。聖火ランナーを務める石原さとみさんに自らの思いを託す。

本多シズ子さん:
石原さん、頑張ってください

(テレビ長崎)