「叩きのめす」 ジョンソン首相の「本気度」

「これはハッタリではない。叩きのめしてやる(whack it)」ジョンソン首相側近はこう語ったという。

日本でもNHKの受信料については様々な議論がなされているが、2月16日付のイギリスの日曜紙「サンデー・タイムズ」はジョンソン政権がイギリスの公共放送=BBCの受信料「廃止」を検討中と報じた。

ジョンソン首相が検討中とされる「案」の骨子は以下。
・受信料を廃止し、課金制度に移行する。
・現在10ある全国放送チャンネルを削減、所有する61のラジオ局の大半を売却
・ウェブサービスの縮小
・キャスターやジャーナリストの副業禁止

BBCは1922年に民間企業としてラジオ放送を開始し1927年に公共放送に改組。
世界で最も伝統ある公共放送局として、多くの国の公共放送のモデルとなった。
また1989年に世界初のデジタル放送を開始するなどテレビの技術革新も牽引してきた。

近年はインターネットへの進出も積極的に取り組み、2007年に開始したウェブサービス「BBC iPlayer」ではイギリス国内において、インターネットを通じてBBCの放送を視聴でき、放送後もスポーツや映画を含め、ほぼ全ての番組を再生することが可能。画面もモダンで使いやすい。

タブレット端末やスマホでも視聴可能な「BBC iPlayer」見たい番組を見たい時に選べる
タブレット端末やスマホでも視聴可能な「BBC iPlayer」見たい番組を見たい時に選べる
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BBCの財源は主に「TVライセンス」と呼ばれる受信料だ。テレビを所有する一世帯当たり年間154.5ポンド(およそ2万2000円)が課される。2019年の受信料総額は36億9000万ポンド(およそ5280億円)。受信料が廃止されればBBCの経営は大打撃を受ける。

記事に登場する首相周辺の人物は「BBCはチャンネル数が多すぎる。ウェブも巨大だ。刈り込むことが必要だ」と話す。「ジョンソン首相はBBCに対して厳しい改革が必要と考えている」と「本気度」を強調する。

官邸にて政権メンバーと会議するジョンソン首相
官邸にて政権メンバーと会議するジョンソン首相

「破壊行為だ」与党内からも反論

この報道を受けて、様々な反論が起きた。2月17日付の全国紙「タイムズ」によると元筆頭国務相のダミアン・グリーン氏が「文化への破壊行為だ」と批判。また下院のメディア担当委員長だったダミアン・コリンズ氏も「受信料廃止はBBCに打撃を与え、国家としてのイギリスにもダメージを与えるだろう」と警告した。

これに先立ちジョンソン政権は2月初めに、これまで受信料の未払いは「違法」とされ刑事罰の対象だったが、これを見直す考えを発表。BBCを「敵視」する姿勢が鮮明化している。この背景には、ジョンソン首相ら保守党内のEU離脱派の「BBCが離脱派に批判的な報道を行っている」との猜疑心があると指摘される。EU離脱派の集会を取材していてもBBCの報道を厳しく批判する声をよく聞いた。

BBCは中立を旨とする報道機関であり、政府からの独立は制度上保障されている。しかし存続の検討や理事長の任命権など、政府の権限は大きい。

2020年1月31日 EU離脱を祝う離脱派市民たち ロンドン中心部
2020年1月31日 EU離脱を祝う離脱派市民たち ロンドン中心部

激変するメディア環境 時代の「空気」を睨むジョンソン首相

イギリス国民の間にBBCの受信料制度に否定的な見方が広がりつつあるのも確かだ。2019年12月に調査機関Public Firstが行った調査では、受信料の廃止について
「強く賛成…46%」
「ある程度賛成…16%」
「少し賛成…12%」
と、程度の差はあるが合計で74%が「賛成」と答えた。

18歳から24歳の若年世代の78%が廃止を支持する一方で65歳以上の支持は64%だった。

(出典:http://www.publicfirst.co.uk/wpcontent/uploads/2019/12/PFLicenceTables.pdf

また、本格的なインターネット時代を迎え、イギリスでもメディアの選択が激変している。

イギリスの情報通信庁(Ofcom)がまとめた2019年の報告書によると、18歳から34歳までの一日あたりのメディア視聴時間は以下のようになっている 。

① ユーチューブ…1時間4分
② ネットフリックス…40分
③ Itv (民放局)… 17分
④ BBC第一放送…15分
⑤ アマゾンプライム…9分
⑥ チャンネル4(民放局)…8分


⑩BBC第2放送…4分

(出典:
https://www.ofcom.org.uk/__data/assets/pdf_file/0019/160714/media-nations-2019-uk-report.pdf

ジョンソン首相は、時代の「空気」を読み、市民の支持を得ることに長けている。今回の「受信料廃止案」も「BBC憎し」だけではなく、様々な計算の延長線上にあると思われる。ただし、BBCは2027年まで特許状(Royal Charter)を得ていて、現在の受信料制度を原則として維持できる。

オックスフォードサーカス駅近くにあるBBC本部
オックスフォードサーカス駅近くにあるBBC本部

歴史の舞台にも…「BBCはイギリス文化そのもの」

BBCの報道チームは70か国、125都市に拠点をおき、世界各地のニュースを克明に伝えている。BBCワールドニュースは現在200以上の国と地域で視聴可能であり、大きな影響力を持つ。

第2次世界大戦中、フランスのド・ゴール将軍はナチス侵攻を受けて、イギリスに亡命。ロンドン中心部オックスフォードサーカスにあるBBC本部から「フランスの抵抗の炎は消えない」と歴史的な演説を行い、仏国内に残されたレジスタンスに徹底抗戦を呼びかけた

1940年6月 フランスのド・ゴール将軍はBBC本部で歴史的演説を行った
1940年6月 フランスのド・ゴール将軍はBBC本部で歴史的演説を行った

BBCはイギリスのみならず世界の現代史と共に歩んできた。

私の知人の、あるイギリス人女性は「BBCはイギリスの文化そのものだ」という。「報道のみならず優れた映画やドラマ、コンサートを世界に発信してきた。イギリスの文化大使の役割なのだ」と話す。受信料が廃止され課金制度が導入されれば、商業主義に陥り、営利目的ではない上質な番組が作られなくなると懸念している。

剛腕首相の誕生、そして急激に進むメディア革命はイギリス「伝統の放送局」にも大きな影響を及ぼしつつある。

【執筆:FNNロンドン支局長 立石 修】

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立石修
立石修

テレビ局に務める私たちは「視聴者」という言葉をよく使います。告白しますが僕はこの言葉が好きではありません。
視聴者という人間は存在しないからです。僭越ですが、読んでくれる、見てくれる人の心と知的好奇心のどこかを刺激する、そんなコンテンツ作りを目指します。
フジテレビ取材センター室長、フジテレビ系列「イット!」コーナーキャスター。
鹿児島県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。
政治部、社会部などで記者を務めた後、報道番組制作にあたる。
その後、海外特派員として欧州に赴任。ロシアによるクリミア編入、ウクライナ戦争などを現地取材。