教育についての国際的指標の一つとなる、World Economic Forumという国際機関が毎年教育水準のランキングを発表しているが、137カ国中、スペインは2019年67位だ。ちなみに日本は36位。

お世辞にもいいとは言えない数字だが、教育というのは歴史や習慣の全く違う国を押し並べて比較的難しいジャンルとも言える。

州によって言語教育に特色があるスペイン

スペインは自治州権限がある程度強いため、地方毎に教育の特色が出てくる。

例えば首都のあるマドリード州内では2004年よりバイリンガル教育に力を入れており、公立学校は小学校から教科の30% (国語、算数は必ずスペイン語)を英語で教えるバイリンガル校が増加している(州内小学校では約49%がバイリンガル校)。州では保育園幼稚園を含む0歳から小学校までの英語の機会増加を計画し、その結果がよければ中学以降の詰め込み英語を減らして行こうというプロジェクトだ。

このシステムになってから、子供たちの英語の発音は驚くほど良くなり、英語に関するコンプレックスを打開したと言えるが、逆に英語で習っている教科のスペイン語の単語がわからないという事態も発生する。マドリード州においてはスペイン語だけが街に溢れているので、わからない単語についても結局は自然と習得してゆくものだが、カタルーニャ 州やバスク州といった、独自の言語を持つ州はバイリンガル教育システムもその適用言語ゆえに複雑だ。

地方言語かスペイン語か選択も可能

地方文化を重視する州においては、マドリード州で英語とのバイリンガルがあるのと同様に、指導言語を地方言語かスペイン語かで選択することができ、ある一定の教科を指導言語ではない方で学ぶという前提だが、ことにカタルーニャ州では指導言語はほぼカタラン語しか選択肢がなく、独立派政党が長く議会を牽引して来た影響が明らかだ。カタルーニャ州ではスペイン語で学べる権利を主張して、親が州政府を相手に訴訟を起こしたケースも出ている。

子供たちが幼少からいくつもの言語に慣れてゆくのは、スペイン人にとっては非常に普通なことで言語に対する苦手意識というのも育ちにくいものの、こうした州毎に違うシステムだと困るのは、例えば、国内転勤のある国家公務員の家庭だ。地方転勤になりスペイン語だけしか話さないといじめられる、家庭での使用言語の違いでグループができる、など言語=文化ゆえの軋轢を、幼少の頃から感じざるを得ない場面も発生してしまう。

教育における指導言語自体が、カタルーニャ独立問題や自治州の権限拡大のための重要な土壌となることから、教育現場の言語に関する問題はスペイン全国の永遠のテーマだ。

スペインでも北欧の教育システムを望む声は強いものの、それを真似ようという動きはあまり見られない。詰め込み型、テスト重視、競争社会の縮図という教育システムは日本とあまり変わらないように思う。都市部では日本同様な私立学校や私立大学のステイタスというものもこの15年ぐらいで急に出てきた感覚だ。教育は中学まで義務教育で無料。給食は都市部では普通だが、家で昼食をとることもできるのは、スペインらしい習慣だ。

12歳までは学校送迎が親の義務

日本と大きく違うのは12歳までは学校送迎が親の義務という点だ。これは安全のための習慣ゆえ。通学送迎は、親にとっては大変な負担だが、皆その経験をしているので職場も理解が深い。金曜日の午後ともなれば小学校校庭には両親や時に祖父母まで揃って賑やかになり、子供が一目散に家族に駆け寄って抱きしめられるという風景が毎週のように全国的に繰り広げられているのは、なんとも微笑ましい。

「子供は誰のもの?」で熱いディベートが続く日々

家族の絆が強いこの国では、子供は守るべきもの愛すべき存在で、子供好きも多く、他の先進国に比べると子供が巻き込まれる犯罪は少ないようにも思う。そんな強い子供愛ゆえのディベートも発生する。

先日、ムルシア州で活発に論争が行われていたのは、「PIN Parental(親コード)」という問題。もともとは極右政党の支持なしには州予算が通らない可能性がある右党2派との交渉材料に極右党が提案したものだが、これは小中高など教育機関で行われる校外セミナーや課外講習に関して、子供の参加の是否を親が最終的に判断できる、というもの。例えばジェンダーに関する討論会、性教育に関する講習など、親が行かせない、と言えば子供は出向かいないことになる。学校施設を「政府の理念を洗脳する場所」とする親もいれば、「うちの子はLGBTiについて学ばなくても良い」「敬虔なカソリック家庭なので性教育は家でする」「親が嫌でも子供が行きたければ行かせるべき」などなど、論争は全国レベルになり、果ては「子供は誰のものか?親なのか?行政なのか?もしくは子供自身のものなのか?親はどこまで子供を教育する権利があるのか?ある一定の思想のある親が、子にその思想を引き継ぐ教育というのは自由なのか?」というテーマにまで発展し、学校の行き帰りの父兄たちも熱くディベートし合う日々が続いた。

日本では戦争体験を幼少の時から教科書で学ぶものだが、スペインでは市民戦争(1936年〜1939年)という国民同士の戦いだったゆえに、その扱いは非常に難しい。50万人が亡くなり、そのうち一般市民は15 万人を数えたという悲劇を全く公平な立場で語るのは至難の技だ。語り手はどうしてもどちらかの立場を擁護することになってしまい、教室にいるのはその二手に分かれた国民の子孫たちだ。その意味で、スペインの市民戦争の記憶というのはまだまだ続いているのかもしれない。

基礎言語といい、歴史見解といい一つにまとめるのが困難なこの国で、教育レベルが67位というのは逆に奇跡的なのかもしれない。そして、教室で教わらない人生の楽しみ方に長けている国民の気質も、この教育システムが残している思いがけない利点なのかも。

【執筆:ライター&コーディネーター 小林 由季(スペイン在住)】