2018年7月、中国・四国地方に大きな被害をもたらした西日本豪雨。愛媛県の山間にある西予市野村町では、市街地を流れる川が氾濫し、多くの建物が被災した。

一部の住民は、濁流に呑み込まれて住居を失ったり、心に傷を負ったりといった理由で、やむをえず町を離れていった。一方、野村の町で生きていこうと決意した人びともいる。

市街地にある商店街の幼なじみである大塚昌司さんと岡澤志朗さんは、浸水した店舗の再建に向け、それぞれに決断を下す。また、被害が大きかった地区に住んでいた大塚憲さんは、仮設住宅で暮らしながら自ら自宅をリフォームし、いつか帰る日を目指した。

豪雨から3人は、どんな再スタートを切り、不安や葛藤とどう折り合いをつけていったのか。後半では、2018年末から2019年夏までの約半年間を追う。

【前編】川の氾濫で住宅450棟が浸水、5人が死亡。西日本豪雨で被災した野村町で、3人の住民が決めた“再スタート”


野村の町で江戸時代から続く伝統行事「乙亥大相撲」

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11月27日。野村の人たちにとって大切な日がやってきた。江戸時代から続く伝統の乙亥大相撲だ。今回で167回目の開催。乙亥会館が被災したため、会場は野村公会堂に変更となった。

地元地区の選手を応援しようと集まってくる住人たちのなかには、憲さん、キクエさん夫婦の姿もある。乙亥大相撲では、西予市内の子どもから大人まで、多くの参加者による取り組みのほか、人気の力士も登場し、会場を盛り上げる。

大塚写真館の店主・大塚晶司さんは、裏方として運営を手伝っていた。カメラも持参し、熱気溢れる会場の様子を写真に収めていく。

「会場はちょっと残念だったけど、いい写真になったと思いますよ。熱気は今までの倍かな。がんばらなければいけないというみんなの気持ちを、レンズ越しにも感じます」(大塚さん)

その頃、理容オカザワの主人、岡澤志朗さんが向かっていたのは、乙亥大相撲が行われるはずだった乙亥会館だ。

浸水し、使えなくなった土俵。洗っても取れない、館内の泥の跡。

被害の爪痕が残る乙亥会館では、被災当時の様子を収めた写真が展示されていた。

展示写真の中には、理容オカザワの店内を撮影した1枚も。「ここら辺にハサミがいっぱい置いてあったから、その下の方に落ちている可能性がある」と、岡澤さんは当時の様子を振り返った。

あの日、岡澤さんは、押し寄せる濁流で多くのものを失った。お金で買えるものは、まだいい。

「お金で買えないものも流れてしまった。その痛手が、結構大きいんです。その結果、今まで通りの作業ができないことも多いので、店を再開してからずっともどかしい思いをしています」(岡澤さん)

乙亥大相撲が無事に終わり、商店街では力士らを招いて慰労会が始まった。

酒を酌み交わす岡澤さんと大塚さん。大塚さんが「乙亥のお酒は美味しいなあ」と漏らす。2人は、こうして今までも励まし合ってきたのかもしれない。

「また頑張れるでしょう、助けていただけるでしょうという気持ちで、自ら頑張って行きます」(大塚さん)

仮住まいでも、家族勢ぞろいで迎えた新年

2018年末、リフォームが続く大塚憲さん(72歳)の自宅に、向かいの小玉畳店からできあがったばかりの畳が運び込まれた。店主の小玉恵二さん夫妻の手で、一枚、また一枚と新しい畳がはめ込まれていく。

「ああ、うれしい」

それを見ていた大塚キクエさん(71歳)は、思わず声を漏らす。床の間はまだできあがっていないが、神棚を運び込み、鏡餅を飾った。

「広い畳の部屋で、大量の乾いた洗濯物をたたむのが、私の一番の幸せなのよ。うれしいわ。由紀ちゃんありがとう。恵ちゃんありがとう」(キクエさん)

一方、憲さんは病院にいた。持病の肩の痛みが悪化し、手術を受け、入院していたのだ。手のギプスを外すことができないため、年末年始は病院で過ごす予定だという。

憲さんはテレビのある棚から市の広報誌を取り出すと、小玉畳店のインタビューが掲載されていることを教えてくれた。

「これ、前の畳屋さん。野村にはもう一軒しか畳屋がなくなったから、やっぱり仕事を始めたら活況が出るよな。機械を入れるときには子どもが帰ってきて手伝ったりしていたけど、今、三島地区で寝泊まりしてるのは小玉さんの二人だけだから、とっても寂しいはずだ。夜は暗いしな。できるだけ早く帰りたいんだけど、わしも」(憲さん)

2019年1月1日。
憲さんの仮設住宅には、お正月を一緒に過ごそうと家族や親戚が集まった。最年少は、被災のときにお腹にいた5カ月の赤ちゃん。

仮設住宅の中には、憲さんの姿もあった。病院にいる予定だったが、家族や親戚が帰って来るというので、帰宅したそうだ。「野村で正月を迎えられたというだけよかった」と明るい表情。

仮住まいだが、家族勢ぞろいの正月。孫たちも「狭いけど、楽しい」と笑う。今年のおせちはできあいでも、全員で食卓を囲めば、にぎやかな団らんのひとときに。新しい年を迎えられて、ほっと安心した顔の憲さん。キクエさんも「みんな元気でそろったことがええわいね」と微笑んだ。

憲さんは、孫たちと一緒に真新しい畳が入った自宅にも赴いた。畳の部屋で電車の模型を走らせる孫たちを、憲さんは笑顔で見守っている。

「やっぱり畳の部屋はええなあ」(憲さん)

新しい畳と続くリフォーム、そして不安

4月18日。すっきり晴れた春空の下、キクエさんが自宅のベランダで洗濯物を取り込んでいた。キクエさんが畳の入った部屋で過ごす時間は、少しずつ増えていた。

しかし憲さんとキクエさんの自宅は、いまだリフォームが続いている。台所も風呂場もできていないため、ここに寝泊まりすることはできないのだという。

そのためか、キクエさんの気持ちはまだ落ち着かないままだ。
「仮設住宅に住んでいる人、みんながまだ落ち着かないって言ってますよ。家が壊れたり、将来の見通しがまだ立ってなかったりする人もいるし」

無事にギプスの取れた憲さんは、今日もリフォームの作業。実は、キクエさんにはもう一つ、気がかりがあった。

それは、憲さんが以前患った膀胱がん。
「膀胱がんで膀胱を取って、人工の膀胱になってます。本人は忘れてるかもしれないけど、私の頭ではどこかに引っかかっている。家のことと、主人の病気のことと、両方でモヤモヤがおさまらないのかもしれない」(キクエさん)

憲さんの心中には、別のわだかまりがあった。気付けば自宅の二階の窓から、自宅前の道路から、穏やかに流れる肱川を見つめている憲さん。その言葉には、未来を信じたい気持ちと、不安に思う気持ちが入り交じる。

「もうダムも緊急放流なんてしないだろう? 新聞に、また大豪雨になったら40戸が浸かるって書いてあった。40戸って言ったら、またうちも入るのかなと話していたんだけど…」

被災から10カ月。「まだ町にカメラを向けられない」

大塚さんが写真館を再開したのは、年末のこと。店内には、豪雨被害で唯一残ったカメラが展示されている。祖父のカメラに見守られての再スタートだ。

このカメラがあると、力がわくのだそうだ。祖父や父親が使っていたカメラなので、「一緒に頑張らないといけないよ」と声をかけてくれるような気がするという。被害でついた泥はあえて落とさず、残したままにしてある。

4月。大塚さんは、新年度の野村高校の卒業アルバムに載せる写真を撮り始めた。

学校の風景や生徒たちの様子を撮影するうち、いつもと変わらない桜の花に感じ入るものがあったようだ。

「桜とか自然といった不変的な存在には、改めて畏怖の念を持つなあ。豪雨被害なんて経験をすると、今年もまた普通に花が咲くことのすごさをよりいっそう感じますよね」(大塚さん)

常にカメラとともに歩んできた大塚さん。周囲からは、豪雨の記録を撮っておいたほうがいいと言われている。しかし、「実は一枚も撮ってない」と大塚さんは明かした。

「本当は今、一番な力を発揮しないといけないときなんですけどね。しっかり撮っていればよかったんですけれど、未だにカメラを向けることができない。逃げていることは自分でもわかってるんですけど…」

被害のことを思ったり、話したりするだけで涙が出てしまう。皆で集まったときにお礼の言葉を言おうとして、上手く言葉が紡げないこともあるという。消化しきれない悲しみが、大塚さんの手を止めてしまうのだろう。

野村で重ねた幼なじみ2人の50年、そしてこれから

大塚さんは岡澤さんに誘われ、地元の桜を見に行くことになった。車を降りるとすぐに、立派な桜が目に飛び込み、思わず「桜すごいなあ、きれいだなあ」とカメラを向ける大塚さん。

「家で細かいこと考えていてもいけないな。外に出向いて、こういう風景を見ないと」
饒舌な大塚さんに、静かに笑ってうなずく岡澤さん。

山を上っていくと、2人の眼下に生まれ育った町が広がる。穏やかな肱川と、被害に遭って取り壊された家々。目の前には、変わっていく街の姿があった。

ふいに大塚さんが「災害の写真撮った?」と尋ねる。「二日目ぐらいから、ようやく撮れた」と即答する岡澤さん。大塚さんは「ああ……」と平静を装ってうなずくが、その顔には動揺が浮かんだ。

展望台に上がる途中で、大塚さんは言った。

「町を撮っといてみようか」

町にカメラを向ける。盟友の言葉が背中を押したのかもしれない。被災して初めて見る、ファインダー越しの野村の町の風景だ。

「大塚写真館と岡澤理容店を撮っておこうか」

大塚さんは、さらに続けた。

シャッター音の後、大塚さんが小さくつぶやく。

「これで記録には残ったぞ」

桜が満開を迎えた野村ダムには、あの豪雨の日とは違い、穏やかな湖面が広がっていた。

あの豪雨から10カ月経った5月13日。商店街に寄り添う2店舗のうち、理容オカザワの元店舗の取り壊しが始まった。もう1店舗の大塚写真館から、店主の大塚さんが出てくる。

「今日中にはなくなってしまうのかな、もう全部。さびしいですね、やっぱり。壊すとなったらあっという間なんですね」と大塚さん。

理容オカザワの被災後の姿は、もう大塚さんの写真にしか残されていない。

一方の岡澤さんは、新店舗で散髪中。大塚写真館のディスプレイには、新しく撮影された野村の人たちの笑顔。そろって再スタートした幼なじみの2人は、これからもともに支え合い、少しずつ前に進んでいくのだろう。

【前編】川の氾濫で住宅450棟が浸水、5人が死亡。西日本豪雨で被災した野村町で、3人の住民が決めた“再スタート”