2019年、日本で行われたラグビーW杯。

年が明けてもその人気は衰えることなく、1月12日に開幕したラグビートップリーグには、全8試合に11万人以上が駆けつけた。

1月30日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、今や国民的人気を集めるラグビー日本代表の稲垣啓太選手、福岡堅樹選手、堀江翔太選手がこれまで明かすことのなかった真相を語ってくれた。

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稲垣啓太が天然芝を母校に寄付

いまやバラエティ番組にも引っ張りだこの稲垣選手。彼は母校に天然芝のグラウンドを寄付したというが、その理由は。

新潟に生まれ、中学まで野球一筋。当時から現在とほぼ同じで186センチ、116キロと恵まれた体型。兄の影響で、たまたま始めたラグビー。その後、ラグビーの超名門・新潟工業高校に入学。

相手のタックルをものともしないW杯での豪快なトライは、高校生の頃から健在。一際大きな体を持つ稲垣選手は高校3年生の時にはU-20日本代表に選ばれるなど、大活躍した。

当時、稲垣選手を指導した樋口猛監督も「(体が)ものすごく大きかった。顔は真ん丸で肩幅が広くて。こんな中学生がいるのかという感じでした」と振り返る。

稲垣選手を指導した樋口猛監督

「(監督は)僕のラグビー人生としての基盤を作ってくれた方。今でも一番大事にしている部分は、その基盤ですし、基礎」と語るように、高校での経験が世界で活躍する土台になっているという。

しかし、2019年、そんな名門ラグビー部に危機が訪れる。毎年20人以上が入部しているのに、昨年の新入部員はわずか7人だったというのだ。

このままでは将来廃部の危機になってしまうと思い至った監督は、部を存続させるため、グラウンドを天然芝にすることで新入部員を集めようとした。

その思いで業者に見積もりを出してもらったのだが、その金額は300万円。公立高校が簡単に払える金額ではなかった。お金の工面に悩む監督に対し、奥さんは「稲垣君、ベンツ乗っていたわよ。お願いしてみたら?」と言ったという。

この何気ない一言を聞き、監督がすぐに稲垣選手へと連絡を取るとその場で快諾。「金額は聞きませんでした。そういう計画があるなら全部出しますよ、と。1000万円でも払ったと思います」と稲垣選手は話す。

新潟工業高校のラグビー部員たち

こうして稲垣選手は、昨年母校のグラウンドを天然芝にするため、300万円を寄付。金額も聞かずに寄付を決めた理由を「人工芝に比べて、天然芝は怪我が少ない。膝の大事な靱帯(じんたい)を切ってしまったという選手を何人も見ている。だからこそ、未来ある若い子達の怪我を天然芝でなくせたら、それは素晴らしいことなんじゃないかな」と思い、寄付を決めたという。

そんな稲垣選手に監督はもう一つお願いがあるようで、「芝を育てているとスプリンクラーが足りない。どうやってお願いしようかなと思っているんですけど、スプリンクラーがもう一つ欲しい」とVTRを通してちゃっかりおねだりしていた。

五輪とW杯に出て医師の道へ

W杯で50メートルを5秒8の俊足を世界に見せつけた、“快足フェラーリ男”福岡堅樹選手は、W杯終了後のインタビューで、「15人制の代表はここで最後。何一つ、後悔はありません」と驚きの発言をしていた。

東京オリンピックを最後に、ラグビーを引退し、夢だったという医師の道を志すと宣言。なぜ、“医師の道”に進むのか。

福岡出身の福岡選手は、父親が歯科医、祖父も内科医という“医者一族”に生まれた、誰もがうらやむ超エリート。そのため、福岡選手も幼い頃から漠然と「医者になりたい」という思いを抱いていた。

ラグビー好きの父親の影響で5歳からラグビーを始めるが、勉強はもちろん、ラグビーでもエリート一家ならではのルールが。それは、試合から戻ると、撮影した映像を再生しながら父親と行う反省会。

この成果は今も発揮されているといい、福岡選手は「『なぜ、こういうプレーをしたのか』を自分でその理由を説明して、理性的に教えてもらったので、今でもそれが根幹となっている。プレーに関しては常に冷静に反省して、次に生かすようにはしている」と話す。

福岡選手の母校は、偏差値70以上の県立福岡高校。ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典栄誉教授を生んだ超進学校だ。超エリート高校に進学し、ラグビーでは高校日本代表候補に。福岡選手は、まさに文武両道の道を歩んでいた。

当時、どんな思いで息子を見守っていたのか。父・綱二郎さんは「勉強も大事ですが、勉強以外にも打ち込めるものを見つけて、それを頑張るということは必ずプラスになると思っていた」と振り返る。

そして、大学受験のとき、福岡選手は医師になるための勉強をしながら、大学でもトップレベルのラグビーを続けたかったため、2つの夢を満たす筑波大学の医学群を受験するも、まさかの不合格。今から9年前、福岡選手は人生初とも言える大きな挫折を味わったのだ。

浪人中はラグビーもできず、勉強も手に付かない日々を過ごし、全てが中途半端になってしまうと悩んだ福岡選手が見出した選択肢は3つ。

(1)医師の道とラグビー両立のため2浪覚悟で筑波大医学群を受験
(2)ラグビーがあまり強くない他の大学の医学部を受験
(3)ラグビーを優先して筑波大の医学群以外の学部を受験

こうして悩んだ末に選んだのは、ラグビーへの悔いを残したくないという思いから、選んだのは(3)の道。医学群ではないものの、ラグビーの強さに定評のあった筑波大学に進学する道を選んだのだ。福岡選手の決断に、父は「もし、どうしても医者になりたいと思ったら、その時はサポートする」と返したという。

「プロになるときには引退のタイミングを決めていました」と語る福岡選手は「日本代表ですが、世界でのトップにはなれない。逆に勉強だけとっても東大の医学部とかに受かるような人たちには勝てない。勝負どころを考えたとき、両方をやっている人は日本にいないんです。オリンピックとW杯に出て、そこから医学部に行き直す人はいないので挑戦したい」

引退を決めた福岡選手を同じ日本代表の堀江選手は「次の道も素晴らしい!」と背中を押す。一方、稲垣選手は「俺も応援しているよ、その道を。でも認めてはない」と、らしいエールを送り、「いずれはチームドクターに。選手より速いチームドクターで」と福岡選手の未来に期待を寄せた。

父に見せたかったW杯での活躍

2019年のW杯ではスクラムの中心となるフッカーとしてチームを牽引し、優勝候補のアイルランド戦ではマン・オブ・ザマッチにも選ばれた堀江選手。

五郎丸歩選手らとともに2015年のW杯のスポーツ史上、“世紀の番狂わせ”と言われた南アフリカ戦の勝利の立役者で、日本代表を10年に渡り支える大ベテランだ。

そんな堀江選手は、W杯を半年後に控えていた2019年3月に、父・慎一さんをがんで亡くしている。余命数ヵ月と宣告された父親との親子の絆について語ってくれた。

1986年、4人家族の次男として大阪に生まれた堀江選手がラグビーを始めたのは小学生の時。サッカーを辞めて太り始めた息子を心配した親の勧めで、ダイエットのために始めた。

一方、父親は着物の営業マンとして全国を飛び回っていたため、忙しさからかラグビーのグラウンドに現れることはなかったという。

ダイエットのために始めたラグビーで才能は開花させた堀江は、帝京大学に入学し、主将としてチームをリード。大学卒業後は、その後のラグビー人生を変える、本場・ニュージーランドへの留学という大きな決断をする。

母親は留学に大反対するが、父親は「自分が決めた道だ、行ってこい」と堀江選手の背中を押した。この経験が生かされ2009年には日本代表に初選出された。

しかし、ラグビー選手として最高の道を進もうとしていた矢先、父親が大腸がんに。最も進行している状態のステージ4だった。堀江選手は「余命数ヵ月…数日になるかもしれないといきなり言われて。マジか、という感じでした」と振り返る。

余命を告げられ父親は仕事を辞めて、本格的な闘病を開始。これが堀江選手と父親の絆を強めるきっかけとなった。「がん治療をして入退院を繰り返しながら、合間を見て試合を見に来てくれました。それだけが楽しみだったみたいです。おやじとは試合後に会って『試合良かったよ』とか話をしました」。

仕事が忙しく、それまでは堀江選手の試合を見に行くことができなかった父親だったが、実は試合の写真をいつも持ち歩き、応援していたという。

さらに、堀江選手は幼なじみの女性と結婚し、長女が誕生。息子の活躍と可愛い孫が父親の生きがいになっていた。この時、余命数ヵ月の宣告を受けてから3年が過ぎていた。

そんな父親のさらなる生きる目標は、堀江選手がW杯に出て活躍する姿を見ること。

2015年、イングランド開催のW杯に向け、日本代表レギュラーを勝ち取るべく、必死に努力を重ねた堀江選手は、この大会で副キャプテンを任され、南アフリカ戦での歴史的勝利に貢献。時差で深夜の放送にも関わらず、父親は息子の活躍を見守っていたという。この時、がん発覚から6年が経過していた。

しかし、2018年春、がんが大腸から肺や肝臓にも転移し、手術を施しようがない状態になっていた。だが、父親には翌年に迫ったW杯日本大会でグラウンドに立つ息子の姿を見るという目標を持っていた。抗がん剤での治療も始め、副作用で苦しむ父親の姿に、堀江選手は「頑張ってくれているので、俺も頑張らなあかんと思いながら、トレーニングしていた」と話す。

しかし、W杯まで半年に迫った2019年3月、父親は亡くなってしまう。

父親に見せたかった2019年W杯日本大会での活躍。堀江選手は「親父のためだけというようなキレイな話ではない。現実はいろいろな人に感謝して、親父のためにやるかどうかは、生きていようが死んでいようが変わらない。常に試合が終わった後、始まる前は『上にいてくれていたら嬉しいな』と思いながら試合して、終わった後も『見ていてくれたのかな』と思っています」と明かす。

日本ラグビー快進撃の裏には、堀江選手と父親の10年にわたる奇跡の闘病生活で築かれた絆があった。

(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)