東京オリンピックで金メダルを目指す24人の侍ジャパン。

ケガのために出場辞退した広島東洋カープ・曾澤翼に代わり、阪神タイガース・梅野隆太郎が侍ジャパンに追加召集された。

選出の喜びと共に語ったのは、ある同期選手への思いだった。

「引退せざるを得ない横田の分と考えると、プレーで元気づけられるような活躍をしたい」

脳腫瘍が判明し、現役引退を決意

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梅野が言う「横田」は、2019年に引退した元阪神の横田慎太郎さんのことだ。

2013年、ドラフト2位で梅野と共に阪神に入団。プロ3年目となる2016年には、開幕戦で初スタメンを飾り、球団からも将来を期待されていた。

しかし2017年2月、春季キャンプで横田さんの身にある異変が起こる。守備練習で受ける球をグラブに収めきれないのだ。

「すべてのものが二重に見えたり、ボールがブレて見えたり目がおかしかった」

横田さんを襲っていたのは脳腫瘍だった。

「まさかそんな病気とは思わず、頭が真っ白になりました」と当時を振り返る。

18時間に及ぶ大手術と、過酷な抗がん剤治療を乗り越え、育成選手として再び一軍復帰を目指すも、目には“物が二重に見える”という後遺症が残ってしまった。

そして手術から2年半が経った2019年9月22日、「目の方がぼやけることが多かったので、来シーズン続けても厳しいと思い決断しました」と悔しい表情を浮かべながら、現役引退を発表した。

引退試合で見せたバックホーム

その引退会見から4日後、大勢のファンや両親、シーズン中の一軍選手たちも駆け付ける中、育成選手としては異例の引退試合が行われた。

これは横田さんにとって、1096日ぶりの公式戦だった。

「ボールもいつもみたいに二重に見えるし、何もきれいに見えなかったんですけど、『今日は何かやってやるぞ』という気持ちはありました」

そんな中、迎えた8回。

横田さんがセンターの守備についた直後、打球はセンターめがけて飛んでいく。

「打った瞬間わからなくて、けどボールが近づいてくるのだけはわかったので。誰かに押されるようにスムーズに前にいきましたし、投げた球も全然見えなかったんですけど」

ボールが二重に見える横田さんにとって、誰もがボールを捕ることは難しいと考えていたが、ボールをしっかりとグラブに収めた横田さんは、キャッチャーめがけてバックホーム。

まさかのストライク送球だった。

絶望に立ち向かってきた男が最後に見せた“奇跡のバックホーム”だった。

試合後の引退スピーチでは「神様は見てくれていたと思いました。本当に、本当に今までありがとうございました」とチームメンバーやファンへ感謝の気持ちを述べ、涙がこぼれないよう手で目を覆った。

横田さんが2021年5月に発売した初めての著書のタイトルも、「奇跡のバックホーム」(幻冬舎)だ。

奇跡は起こせる!

引退後、横田さんが選んだのはYouTubeや書籍を通じて、自身の体験を世の中に発信することだった。

しかし、第二の人生を歩み始めた矢先の2020年9月、脊髄腫瘍が判明する。

「入院して最初の頃は何を目標に生きるのか悩んでいた」と語る横田さん。

野球があったからこそ、一度は乗り越えられた闘病生活だったが、次は何を目標にすればいいのか途方に暮れたという。

そんな横田さんを救ったのは、ある学校からの特別講師のオファーだった。

「この話をもらったのが自分が2回目の病気の治療中で、一番の目標にして入院生活を送っていました」

特別講師という“目標”を見つけ、半年間の闘病を乗り越えた横田さん。

その目標を2021年6月14日、ついに達成することができた。

大阪市立弘済小中学校分校で行われた、キャリア教育「夢授業」。この授業を企画した先生は「将来に希望がもてなかったり、そういう子達がいますので、もう一度子ども達が前を向けるように」という思いを込めている。

横田さんはさまざまなバックグラウンドを抱える子どもたちが通う、自立支援施設の学校で授業を行った。

横田さんは「目標を持って目標から逃げずに少しずつ前に進んでください。きっと幸せな日が来ると思います」と子どもたちに自らの体験を語り、「奇跡は起こせる」ことを伝えた。

1時間半の授業が終わると、横田さんの闘病を支えた歌、ゆずの「栄光の架け橋」を子どもたちが合唱でプレゼントしてくれた。

「放射線治療に歩いて行くのがきついときに、自分を何度も前に押してくれた歌だった。2回目の病気を乗り越えて、より一層人を助けたい、1人でも多くの人を助けたいと思うようになりました。自分の経験を発信して世の人の役に立ちたいと心から思いました」

同期入団で侍ジャパンに選ばれた梅野は、「相当な覚悟でいろいろな人に、自身の経験を広めている。1つのものに対して必死な横田の性格なので」と追加招集の会見で語っていた。

1つのバックホームから生まれた奇跡の物語。横田さんの新たなステージはまだまだ始まったばかりだ。