金正男氏暗殺の実行役として利用されたインドネシア人のシティ・アイシャ元被告がFNNの取材に、事件に巻き込まれた一部始終を語った。経済的に厳しい生活を送っていたインドネシア人のアイシャさんは、出稼ぎのためにマレーシアに来て働いていた。そんな彼女の身の上を親身なふりをして聞き出した北朝鮮工作員は、動画撮影のたびに高い報酬を渡し、カネで彼女をコントロールしていった。

報酬は400リンギット 毎回上がった報酬

2017年1月5日、アイシャさんは工作員ジェームスの指示のもと、初めての「いたずら動画」の撮影に臨んだ。通行人に後ろから近づいて手を握るという簡単ないたずらをアイシャさんは3回行った。撮影時間はわずか20分程度ほどだったという。撮影が終わった後、ジェームスはアイシャさんに報酬として400マレーシアリンギット(日本円で約1万円)を手渡した。経済的に厳しい状況だったアイシャさんにとっては大金だった。

アイシャさん:
「最初は20分だけ仕事をして…食べ物を買うのに十分なお金をもらって、悪くない仕事だと思いました…しかし(こんな目に)」

勧誘役だったジェームス(北朝鮮工作員「リ・ジウ容疑者」)
勧誘役だったジェームス(北朝鮮工作員「リ・ジウ容疑者」)
この記事の画像(8枚)

厳しい生活だったアイシャさん

アイシャさんはインドネシアの首都ジャカルタから120キロほど離れたセランの田舎町で生まれた。家は貧しかったため、アイシャさんは小学校までしか通うことが出来ず、卒業後も低賃金の仕事しか選ぶことが出来なかった。

アイシャさんの実家
アイシャさんの実家

地元セランには仕事がなかったため、アイシャさんはジャカルタの縫製産業で働き始める。そこで出会った経営者の息子と結婚して子供を授かるも、会社が経営危機に陥り、夜逃げ同然で夫とともにマレーシアへの出稼ぎに行くことを余儀なくされた。

更に不幸は重なった。出稼ぎを初めてから約2年後、夫から突然口頭で離婚を宣告されて実家に戻らざるを得なくなった。しかし、久しぶりに戻った実家には彼女を養っていく余力はなかった。

 
 

アイシャさん:
「2010年初旬、結婚していましたが、元夫とマレーシアに行き、一緒に働かなくてはならなくなりました。最初は行きたくありませんでした、子供がまだ6ヶ月でした。でも夫と義父の会社が傾いていました」
「離婚した後、(実家に戻り)父の稼ぎが厳しいと知りました。親を喜ばせたくてバタム島(インドネシア)に行くことにしたのです。結局、マレーシアで働くことになりました」

再びマレーシアに出稼ぎに出た彼女はマッサージ店などで働き始める。稼ぎは良くて月に8万円ほどだった。アイシャさんは稼いだお金の一部を実家への仕送りに当てていた。

 
 

実家の両親は、彼女の仕送りに大いに助けられていたという。そのお金で米などの食料品や、電化製品、家具などを買うことができた。また、イスラム教の祝日でアイシャが帰省してきた際には、自分たちに新しい服を買ってくれたという。アイシャは両親にとって、親孝行な自慢の娘だった。

こうした家庭の厳しい経済状況をアイシャさんはジェームスに打ち明けていた。そして北朝鮮工作員らはその状況を利用し、彼女をカネでコントロールした。

アイシャさん:
「ジェームスは私に質問して、パスポートはあるか、どれくらいマレーシアにいるかなど私のバックグラウンドを聞きました」
「私は彼らに何回も、私が貧しい生活をしてきたと言ったのに、私の愚かさ、純真さを利用されてしまいました」

お祈りをするアイシャさん
お祈りをするアイシャさん

上がり続けた報酬

アイシャさんは「いたずら動画」の出演料として、どの程度の報酬をもらっていたのだろうか。証言によると、動画の撮影が進むにつれて、撮影時のいたずらの回数が1回になって負担が減り、報酬金額は徐々に上がっていったことが判明した。

<本人証言による報酬額>
・1月5日 いたずら3回400リンギット(約1万円)
・1月6日 いたずら1回500リンギット(約1万3千円)
・1月不明いたずら1回 500リンギット(約1万3千円)
・1月21~22日 500ドル(約5万4千円)※海外2日分
・2月3日 いたずら1回 100ドル(約1万千円)
・2月11日 いたずら1回 200ドル(約2万2千円)※誕生日プレゼント込
・2月13日 事件当日 500ドル(約5万4千円) ※未払い

アイシャさん:
「その仕事は簡単でシンプルなものでした」
「彼らの話では、前のように働く必要がないと。我々の会社で働き、良い収入をもらい、色んなものが買えます(と言われた)」

また、北朝鮮工作員らはアイシャさんの演技を褒め続けたという。ジェームスやミスターChangらは「上司がアイシャの演技がとても良かったので、ずっと仕事をお願いしたいと言っている」などアイシャを絶賛し、今後も仕事が続くことをほのめかしていた。

さらに工作員はアメリカやオーストラリアといった先進国での撮影の可能性もちらつかせ、アイシャさんを喜ばせた。彼女にとって、この仕事はとてつもなく魅力的に映っていた。
 

北朝鮮工作員ミスターChang
北朝鮮工作員ミスターChang

2月13日は「1回500ドル」に

事件当日の2月13日、ミスターChangはアイシャさんに報酬500ドルを提示する。それは通常の動画撮影の5倍にあたる破格の報酬だった。別のベトナム人女性と共に「いたずら動画」に偽装された金正男氏暗殺作戦を終えたアイシャさんは、その時は報酬はもらわず一人でタクシーを使い、市内中心部へ向かった。普段から報酬は撮影後に受け取っていたので疑問に思わなかった。

後日、報酬をもらうためにアイシャさんは何度もミスターChangに連絡したが、携帯電話がつながることはなかった。ミスターChangは事件当日、そのまま航空機に乗り込み国外逃亡していた。

そしてアイシャさんは約束された500ドルを受け取ることなく、16日にマレーシア警察に殺人容疑で逮捕された。

【関連記事:“自称日本人”の北朝鮮工作員に誘われ…金正男氏暗殺までの1ヶ月半】
【関連記事:“日本人“ジェームスが「好きだった」…心を奪われ工作員の罠に】

【執筆:FNNバンコク支局 佐々木 亮】

「隣国は何をする人ぞ」すべての記事を読む
「隣国は何をする人ぞ」すべての記事を読む
佐々木亮
佐々木亮

物事を一方的に見るのではなく、必ず立ち止まり、多角的な視点で取材をする。
どちらが正しい、といった先入観を一度捨ててから取材に当たる。
海外で起きている分かりにくい事象を、映像で「分かりやすく面白く」伝える。
紛争等の危険地域でも諦めず、状況を分析し、可能な限り前線で取材する。
フジテレビ 報道センター所属 元FNNバンコク支局長。政治部、外信部を経て2011年よりカイロ支局長。 中東地域を中心に、リビア・シリア内戦の前線やガザ紛争、中東の民主化運動「アラブの春」などを取材。 夕方ニュースのプログラムディレクターを経て、東南アジア担当記者に。