県内初の地ビールとして25年前に呉市で誕生した「海軍さんの麦酒」。県の内外でファンに親しまれたブランドも新型コロナの影響で生産中止に追い込まれました。

呉市の中心部にある建物。1階の店舗はかつて、100席以上の席で賑わいました。

しかし、去年の12月から休業し、現在は倉庫に変わっています。25年前この場所は呉市発展のシンボル的存在でした。

(矢野記者)

「中はこういう状況です。25年前このあたりから中継しました」

1996年5月28日、店のプレオープンの様子です。当時、呉市が建設した複合ビル「ビューポート呉」、その目玉企画として、地元の期待を一身に集めてオープンしたのが「麦酒館クレール」でした。

当時は店の奥にはビールの製造工場があり、ドイツから醸造窯を輸入。講師として二人のビール職人も来日しました。作りたての地ビールを飲める店。県内初の地ビールブランドとして、この場所は、呉市観光の期待の星だったのです。

この時期、国内では地ビールブームが起こってました。1994年に酒税法が改正され、ビールの製造免許に必要な年間製造量が、2000キロリットルから60キロリットルに引き下げられたのです。

これにより、各地の中小メーカーでも製造が可能になり、空前の地ビールブームとなったのです。あれから25年。

ピカピカの醸造窯も老朽化が進み、不具合から仕込みが難しくなりました。事業を続けていくためには新たな設備投資が必要でした。その矢先、3年前に発生した西日本豪雨災害。

呉市も被災地となり、客足が激減します。経営が立ち直れない中で、去年、コロナが襲いかかりました。

(佐々木さん)

「今年度始まる前は赤字がだいぶ増えていたが、今年度がんばってやっていこうと事業をやっていたが、やはりコロナの影響がすごく大きくて、今まで25年の間たくさんの皆さんにご利用いただきましてありがとうございます。もうその感謝の気持ちしかありません」

1月で会社は解散しました。最後に東京に出荷した樽に書かれたメッセージ。

広島初の地ビールには県外にも多くのファンがいました。

コロナ禍の1年。

また、コロナが大切のものを奪っていきました。