コンサートホールにこだまするピアノの音色。
聴衆の心をつかんでいく…。

聴衆;
心が開くというか、すごく感動しました。

聴衆:
私も、くも膜下出血で左半身が動かないので、神様からのプレゼントと思える日が来たらいいなと思った。

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ニューヨークを拠点に世界で活躍するピアニスト、西川悟平さん。

18年前に患った難病の影響で、動くのは7本の指のみ。
7本指のピアニスト」と呼ばれている。

西川悟平さん;
第二の故郷・倉吉市でコンサートをできるとは思っていなかった。夢が叶う瞬間だと思います。

西川さんは2020年5月、倉吉市で開くコンサートに特別な思いを寄せている…。

2019年9月、西川さんの姿は兵庫県内の小学校にあった。
ツアーの合間に全国各地の学校を訪問し、自らの経験を伝える活動を続けているのだ。

西川悟平さん;
手がない人もいるじゃない。7本も指があるって思ったら、ありがとうって感謝の気持ちになって、そうなったら病気が翼になって。世界中でピアノを弾いているんだよ。

特に力を入れて訴えているのは・・。

西川悟平さん;
無理だと言われても、やってみなきゃわかんないということをわかってほしい。

大阪出身の西川さんがピアノを始めたのは15歳の時。
プロになるには遅すぎる年齢だという。

西川悟平さん;
むっちゃ頑張った。1日に8時間、10時間と練習しましたし。

24歳でニューヨークに渡ってデビューを果たし、ピアニストとしては順調な人生を送っていた。

しかし、26歳のとき突然の病が襲う。

西川悟平さん;
曲がっちゃうんです、この3本が。弾こうとした時だけ曲がっちゃう。だから今2本で弾くんだけど。右手もそうだった。今はだいぶ広がったけど。

ジストニアという神経疾患で、西川さんの場合は指が自由に動かせなくなった。
医者からは、一生ピアノは弾けないと宣告されたという。

西川悟平さん;
一生治りませんと言われて、うつ状態にはなりましたよね。

西川悟平さん;(ピアノを弾きながら)
(当時は)こんな曲は弾けなかった。
1音、1音 指に形状記憶(するように練習)していって。スムーズにできるまで、7年くらいかかった。

気が遠くなるような努力の末、「7本の指」で演奏できるようになり、今やアメリカの有名ホールでも度々コンサートを開いている。


2019年9月西川さんがこの日訪れたのは、鳥取県倉吉市。

墓参りをする西川悟平さん;
お久しぶりです。おじいちゃん、おばあちゃん。
まさかここに一人で来るとは思わなかったな。

曾祖父・曾祖母の墓参り。母方の祖母が倉吉市出身だったため、幼いころは毎年夏休みに訪れていた第二の故郷なのだ。
特に印象に残っている場所が…

西川悟平さん;
打吹公園!
母が癌で亡くなったんですよ。14年前かな。最後に、ここを歩いたんですよ。

14年前に亡くなった母の美子さん。
亡くなる直前、最後に家族で出かけたかった場所が思い出深い倉吉市だった。
打吹公園にも何度も足を運んだ。

西川悟平さん;
曲が仕上がったら、最後に母に聞いてもらっていた。病気になったときは「ピアノが無理なら他の仕事すればいいやん!」とか。そんな感じだった。楽になりました。後で聞いたら悩んでくれていたらしいけど。

母・美子さんは、病気を乗り越える力にもなった存在だという。

西川悟平さん;
もし僕がニューヨークでしている姿が、日本のテレビ・新聞に出れば、お茶の間で見られる。また舞台復帰して表に出ようという気になった。
皮肉なことに、母も父も亡くなってからテレビに出たんです。

今回の倉吉訪問は、2020年にその思い出の地で開催されることが決まったコンサートの会場視察のため。

西川悟平さん;
きれい!お客さん近い!母が見たら腰抜かすよ!できたらいいなとは思っていたが、今回実現して、夢が叶う瞬間です。

2020年、倉吉で披露される西川さんの演奏。
人を惹きつけるその魅力は…

西川悟平さん;
1個ずつを丁寧に弾くしか、今の僕に方法はない。そうするといやがおうでも、だんだんと1個1個の音が丁寧になっていく。やわらかい音から歌っている音まで、いろんなパターンを表現できるようになった。

母への思いを7本の指に込めて…
2020年春、西川さんの夢がまたひとつ叶う。

(山陰中央テレビ)

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