ラグビーW杯決勝の一コマに見るタイミング

人間いくつになっても勉強だと言われるが、先日は14歳の中学生に教えられた。30年来の付き合いになる同期のご令嬢だ。

それはラグビーW杯の決勝「南アフリカvsイングランド」で南アフリカがダメ押しのトライを決め、試合時間残り数分でのひとコマ。優勝国に与えられるエリス杯に南アフリカの文字を刻みつけるシーンがテレビに映った。私も見た。そして流した。しかし彼女は流すどころか、堂々と心の真ん中に置いた記憶としてはっきり言った。

「試合が終わる前なのに、あれは良くない」

残り時間と点差を考えれば、逆転はあり得なかった。だから結果から見れば間違いはなかった。自宅でVTRを再生したところ、わずか3秒の映像。それでも彼女にとっては納得できないことだった。

試合が終わってから優勝国を刻むべきだという彼女の主張は、正誤の問題とは別に至極真っ当である。

そして考えてみれば、このことはW杯後半年も経てば話題にのぼることもないだろうし、W杯の直近であれば試合内容そのものや日本代表の活躍の方が注目されていた。“W杯熱”が落ち着き、総括や細部に目が向く絶妙のタイミングでいい話を聞いたと思った。効率ばかりを追求する現代社会への警鐘、と言っては言い過ぎだろうか。

長期政権記録の日に釈明…「政治とタイミング」の奇遇

桂太郎を抜き憲政史上最長の総理大臣在職日数となった安倍首相(11月20日) 
桂太郎を抜き憲政史上最長の総理大臣在職日数となった安倍首相(11月20日) 
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ことほど左様に、20日に憲政史上最長の総理大臣在職日数となった安倍首相にとっても、そのタイミングは絶妙ならずも奇遇だったというほかない。野党が「桜を見る会」で追及を強め、その日の新聞各紙にもこの問題が大きく報じられていたからだ。

首相自身、記者団への応対に笑顔はなく「第一次政権の深い反省」「薄氷を踏む思い」といった言葉が並んだ。平時であれば謙虚さの演出ともいえただろうが、あの状況下では国民に理解を求める必死さと受け止める向きもあったに違いない。記者とのやり取りに20分も時間を割くこと自体、危機感の表れとみるのが自然だ。歴史的快挙の日に、政権の問題の説明を強いられるその心境は推して知るべしだ。

野党の総理主催「桜を見る会」追及チーム
野党の総理主催「桜を見る会」追及チーム

長期政権の立役者

一方、その日の夜に放送されたBSフジのプライムニュースでは、安倍政権が長期に至ったのは、旧民主党政権の崩壊を受けて誕生したことがその理由のひとつだとする指摘が有識者から相次いだ。

「政治改革に途中で飽きて、民主党政権が倒れたところでやめたという感じになった。特別なことはしないでほしいというところに安倍さんがうまく乗っかった」(東大名誉教授・御厨貴氏)
「期待を持って選んで、監視してというサイクルが民主党政権の崩壊とともに壊れた。大きな不満がないということ」(法政大教授・山口二郎氏)

旧民主党政権(鳩山元首相・菅元首相・野田元首相)
旧民主党政権(鳩山元首相・菅元首相・野田元首相)

「安倍政権がいい」という積極的支持派に加え、「安倍政権でもいい」「(旧)民主党政権でなければいい」という消極的支持派と「無関心層」の底堅さが続いているとみられる。

ポスト安倍の話が公然と語られるのも、衆院解散の憶測がくすぶるのも、安倍政権でなくとも「自民党政権」は継続するという安心感が政府与党内にあるためだろう。安倍首相が衆参の国政選挙で6戦6勝したのは、バラバラな野党が、反自民・非自民の受け皿になれず、一貫して低空飛行を続けていることも大きな要因のひとつである。

安定に潜む驕り?

これまで総理大臣が頻繁に入れ替わり「決められない政治」などと揶揄されてきた中、安倍首相が安定政権を築いたことを評価する声は少なくない。「安倍政権が何かをしてくれたというよりも安定志向、続くことが価値を持ってしまう。長期継続がレガシー(遺産)だ」(山口氏)という指摘もそのひとつだ。ただ、この長期政権が緊張感の欠如や驕り、果ては国力の低下などに繋がることは避けないといけない。

野党の奮起や自民党内の活性化がすぐに実現するほど楽観は出来ないだろうが「目に見えない国民の不満はマグマのように溜まっている」(自民党関係者)との声もある。安定の裏に潜む惰性や飽き、無関心から脱却するタイミングは果たして来るのだろうか。

(フジテレビ 政治部デスク 山崎文博)

山崎文博
山崎文博

FNN北京支局長 1993年フジテレビジョン入社。95年から報道局社会部司法クラブ・運輸省クラブ、97年から政治部官邸クラブ・平河クラブを経て、2008年から北京支局。2013年帰国して政治部外務省クラブ、政治部デスクを担当。2021年1月より二度目の北京支局。入社から28年、記者一筋。小学3年時からラグビーを始め、今もラグビーをこよなく愛し、ラグビー談義になるとしばしば我を忘れることも。