平成の怪物が令和の西武ライオンズに戻ってきた。
この日の入団発表会見には39歳の帰ってきた新人の晴れ舞台を見ようと100人ほどの報道陣が集まっていた。
私もその一人。20年前にいわゆる彼の「番記者」をしていた時代があり、いても立ってもいられなくなり駆けつけた。

 

彼との出会いは1998年の夏の甲子園だった。
何気なく現場で取材をしていた準々決勝第一試合「横浜対PL学園」戦、延長17回を戦った伝説の試合であり、松坂大輔を世に知らしめることになった試合であるが、ここで私が大失態を犯す。
あまりにも試合にのめり込みすぎて、アルプススタンドでの両親インタビューや、バックネット裏に陣取ったスカウトの取材をすっかり忘れていたのだ。
本社のデスクから怒鳴られたときには試合は終わっていて、すでにスカウトは球場を去り、アルプススタンドは次試合の応援団との入れ替えが完了していた。
当時の本社の怒りはすざまじく、翌日東京から別の記者が甲子園に送り込まれ「おまえはもう休んでてよい」とまで言われたのだ。

私はかなり落ち込んだが、どうしようもない。どうやって怒鳴ったデスクを見返そうかとばかり考え、将来球界の宝になるであろう松坂大輔を「追っかける」ことに決めた。
時には一緒に横浜高校に通学し、もちろん練習には頻繁に顔を出し通っていたジムにも同行するなどし、少しづつ彼への距離を縮め、西武ライオンズ入団するころには、個人的に話ができる間柄にもなった。

平成10年12月、東尾修監督(当時)と入団会見に臨んだのは今回の会見の場所にほど近い東京プリンスホテルだった。私はそのときに彼に書いてもらったサインボールを今でも大切に保管している。年が明けて高知・春野で行われた春季キャンプ、松坂フィーバーが巻き起こり、1週間だけの予定が丸々1ヶ月の長期出張になったことを懐かしく覚えている。

新人選手合同自主トレ・99年

そして松坂大輔初登板の日、1999年4月7日の東京ドーム。
日本ハム戦に初先発で初勝利。初回、片岡選手から155キロのストレートで奪った空振り三振には体が震えた。

5月西武ドームで初対戦となったイチローからは3連続三振を奪い「自信が確信に変わりました」との名言を残した。またロッテ・黒木投手との投げ合いに敗れた彼は「次はリベンジします」という聞き慣れない言葉を使ったが、これがこの年の流行語大賞にも選ばれ、いまでは当たり前にように使う言葉となっている。ルーキーイヤーの前半戦すべての登板を記者席から見守った。
「平成の怪物」を高校生時代から約1年間にわたり
取材しつづけた経験はその後の私にとって大きな財産となった。

初年度のオールスター戦を最後に私は彼の担当を外れ異動したのだが、
ほぼ同じタイミングに起きた彼のプライベートをめぐる騒動の際の報道を巡って彼とは疎遠になってしまっていた。

あの時から約20年。「再会」した彼の表情はとても穏やかで、引き締まっていた。自身の体の衰えもきっちり自覚したうえで、記者たちの質問にひとつひとつ丁寧に答えていた。
記者の質問が一段落したタイミングでひとつ質問をぶつけようと思った。
ただ、この質問が答えにくい質問であることはわかっていて、あの時のしこりがまだ残っているならきっと「先のことはわからない」とスルーされるだろうな、という予感があったものの思い切って聞いてみた。

「松坂選手、お帰りなさい。日米通算200勝まであと30勝です。決して難しくない数字だと思いますがこれについてどう考えていますか」

「難しくない数字とは思いますが、ここ数年のことを考えると200勝は、近い数字でもないのかなと思うんです。以前はそんなに200という数字に対してそんなに考えることもなかったんですけど、僕自身も終わりというものが近づいているなかで、それと同時に達成したいという気持ちが強くなってきているのも確かです。周りは無理だという人が多いとは思いますが、自分自身あきらめることはしたくないですし、最後まであきらめず200という数字を目指してやってきたいと今は思っています。」

 

スルーされるかもしれない、と思った自分が愚かだった。
松坂投手は言葉を選びながらしっかりと答えた。もしかしたら質問者のことなど見てもいなかったかもしれない。それでも彼が丁寧に答えてくれたことがただうれしかった。
当時、その行動や言動がまさに「恐れを知らぬ若者」だった松坂大輔が約20年間で幾多の栄光と挫折を経験し、大人になって帰ってきた。

 

彼のこの日の会見は自分を飾ることなく、ありのままの自分を受け入れ、しかしギラギラとしたプロのプライドを決して忘れてはいなかった。
来年40歳のシーズンを迎えるベテランが、球界をざわつかせるかもしれない。
周りは無理だという人が多いと思うが、最後まであきらめず日米通算200勝を目指したい」という彼の言葉はそんな期待を抱かせるのに十分すぎる一答だった。
 

(フジテレビ報道スポーツ部・坂本隆之)