釜石でのW杯開催に込められた 大切な意味
この記事の画像(9枚)静かな波が打ち寄せる岩手県・釜石市の大槌湾。周辺の海抜はゼロに近く、以前から水害に弱かったため、そこに隣接する釜石東中学校と鵜住居小学校の防災意識は高かった。震災による津波で壊滅的な被害を受けたが、その時学校にいた生徒たちが全員避難し助かったことから「釜石の奇跡」と呼ばれた地でもある。ある子供が「学校で教わったことを実践しただけだ。奇跡ではない」と言ったこともまた注目された。その経緯は三陸鉄道・鵜住居駅に様々な資料や教訓とともに残されている。
地元の子どもたちも取り組んだ「ワンチーム」
この2つの小中学校の跡地に建てられたのが、ラグビーW杯で東北唯一の試合会場になった釜石鵜住居復興スタジアムである。
地元の人たちにとっては単なる会場ではなく、被災地復興の象徴でもあり、海外を含めた様々な支援に感謝を表明する絶好の機会にもなった。
小中学生たちは「自分たちの元気になった姿を見せることで“恩返し”の場にしよう」と心をひとつにし、多くの人々を歓迎し、W杯に臨んだという。
W杯の前哨戦となった日本対フィジー戦も、W杯本番のフィジー対ウルグアイ戦も、こうした準備のもと、鵜住居スタジアムで行われた。会場では地元の小中学生が感謝と絆の歌を歌い、またスタンドには釜石お馴染みの大漁旗が躍った。
日本代表は、この地が特別な意味を持つことを全員が共有し、文字通り「ワンチーム」となって戦った。
収容人数1万5000人という小さなスタジアムながら、その数字では計れない価値が、これらの試合には込められていたのだ。
あいにく、台風の影響でカナダVSナミビア戦は中止を余儀なくされたが、そのカナダの選手が、地元の感謝の気持ちに応えるように、復旧のボランティア活動に参加した。
試合をするだけではない、またラグビーという枠にとどまらない、人と人の助け合いの精神が、国境を越えて釜石を温かく包んだ時でもある。
復興への道のりとラグビーがもたらす“希望”
冬の凍てつく寒さに耐えながら復興への歩みを続ける、釜石をはじめとする東北の人たち。
1日1日を懸命に生きる彼らの道のりは決して順風満帆でも、楽観できるものでもない。W杯による周辺の経済効果も一時的なもので、労働環境は依然として厳しいという。地域人口の減少は続き、過疎化は深刻の度合いを増している。重要なインフラのひとつである三陸鉄道は、台風被害で運航停止の憂き目に遭った。
それでも地域の人たちがラグビーを支え、またラグビーによって地域が支えられていることもまた事実で、関わり方は違えど、何らかの形で「釜石のラグビー」を希望や励みにして人々は懸命に前を向き、未来を掴もうと奮闘しているような気がする。
冒頭の絵は、鵜住居スタジアムのすぐ近くにある宿「宝来館」の玄関先に飾られたものだ。湾の対岸に位置する大槌の方から贈られたもので、その躍動感に圧倒される。
W杯の熱狂が終わった今も、釜石駅に隣接した建物内には、W杯や地元の新日鉄釜石(現釜石シーウェイブス)にまつわる資料などが展示されている。
W杯出場国の国旗や開催された様々なイベント、訪れた有名選手の写真などが並ぶ中、それぞれの思いを綴ったノートには、ラグビーを心から楽しみ、W杯開催の喜びや感謝を述べる 、子供たちの純粋で、素敵な言葉があふれていた。