「ラグビーW杯のおかげで震災のお礼を直接言うことができた」

宴のあとの鵜住居スタジアム・12月撮影
この記事の画像(7枚)

吹きすさぶ北風、岩手・釜石はもう完全に冬だった。
宴のあとの鵜住居(うのすまい)復興スタジアム。
ワールドカップ用に増設されたゴール裏の仮説スタンドはもう完全に撤去されていた。
2ヶ月前1万4千人以上が集まった熱気が嘘のようだがこれが現実だ。

今年一番盛り上がったスポーツイベントといっても過言ではないW杯ラグビー、大会を振り返るうえで忘れてはならないのが人口わずか33000人ほどの岩手県・釜石市でW杯が開催されたこと。W杯が行われた全国12会場のうち唯一新設されたのがこのスタジアムであり、ここが東日本大震災からの復興の象徴となったことだ。
大会を振り返ることはもちろん、これからのことを考えるのが大事ということで釜石の若手代表のひとりともいえる釜石高校3年・洞口留伊さんに話を聞いた。

釜石高校3年・洞口留伊さん

「9月25日、鵜住居のスタジアムにあんなにたくさんの人が集まったことは震災のときからは考えられない光景だったし一番感動しました。いろんな国からいろんな人が来たことは信じられない気持ちで本当に圧倒されました。震災を乗り越えたという気持ちになりました。W杯のおかげで釜石を訪れた人たちにもお礼ができました」

今回の大会を一言で表してもらうと彼女は「感謝」の二文字を口にした。
「W杯に関わった全ての人に感謝したいし、釜石を知ってくれた人に感謝を伝えかった」

台風19号で無念の試合中止 彼女が即座にとった行動とは?

実は釜石では、グループリーグ2試合が予定されていたのだが、台風19号の影響で「カナダVSナミビア」戦が中止、釜石で行われたW杯の試合はわずか1試合となってしまったのだ。
ずいぶんショックだっただろうと思い、この質問をしてみると意外な答えが返ってきた。
「もちろん最初は試合を楽しみにしていた分、すごく残念に思ったのですが、それ以上にカナダやナミビアの選手が釜石などでボランティアをしてくれて・・・ワールドカップラグビーって試合だけじゃなくてこういう思いがけない出来事があったことで選手のやさしさを見ることができたし、試合が中止になってしまったことも含めてとてもいい大会だったな、と思うようになりました」

実はこの試合の中止が決まってからの洞口さんの行動も素早かった。

「これで落ち込んでいたままではこれまでの自分と一緒だと思って、すぐに友人たちと連絡をとってボランティアをしようということになりました。当日、避難勧告が解除されるまでのあいだにラインなどで作戦会議をして、解除された瞬間、一斉に集まって倒れ込んでいた木や枝を動かしたり、皆が安全に歩けるように道路の清掃をしたんです」

「そして釜石は世界とつながった」

キックオフ宣言 このスタジアムを通じて釜石と世界はつながる

屈託のない笑顔で話す洞口留伊さん。彼女について少し説明が必要かもしれない。
彼女はW杯の前年の8月、鵜住居復興スタジアムのこけら落としのセレモニーで満員の観衆を前に「キックオフ宣言」というスピーチをした。
「私は釜石が好きだ。海と山に囲まれた自然豊かな町だから・・・」で始まるそのメッセージは、偶然そこにいた私だけでなく多くの人の心を揺さぶった。
このスタジアムがあった場所はかつて自身が通っていた小学校と通うはずの中学校があったが津波で全て失ってしまったこと、そしてW杯が釜石で開催される意義について語ったのだ。
「地元代表としていま、私がしなければならないことは、あのとき、釡石のために支援をしてくれた日本中の、そして世界中の人たちにあらためて感謝の思いを伝えることだと思う」
「このスタジアムを通じて釜石と世界がつながる」

そして「宣言」通り彼女はW杯招致活動、大会を通じて釜石を訪れたサポーターや外国人観光客に対し冒頭の写真にあるように震災の現実や復興ぶりを直接語りかけ、あのときの感謝を自らの言葉で伝えることができた。彼女自身、特にウルグアイの選手の家族とのふれあいなどもあり、世界の人と「つながった」と実感できたという。

「世界の人とつながったと実感」

釜石のスタジアム維持費は年間4千万円 今後どうする?

さあ、W杯は終わった。これからのことを話そう。鵜住居復興スタジアムは2021年3月までは釜石市で運営してそれ以降は外部委託する方針。年間の維持費は4000万円ほどだという。
釜石市鵜住居復興スタジアムマネージャーの増田久士氏は今後のスタジアム運営について、「将来的には町の人がここに集まって世間話や仕事の話ができるような場にしたい」と市民広場的な活用法を探りながらも「公益性とスポーツビジネス両方を重視し、このスタジアムに新しく価値を見いだしてくれる人や団体を探したい」と広くアイデアを募集する意向も示している。

洞口さんも同様に釜石はラグビーの聖地であり町のシンボル、スタジアムがいつまでも輝いて欲しいと願っている。
「震災前はスタジアムがあった場所に私が通っていた小学校があったんです。震災で離ればなれになったクラスメイトもいます。当時はスマホもなかったし、連絡先がわからず今も会うすべがないんです。そういうことも含めてこのスタジアムは皆が集まれる場所になってほしい」

「町のシンボル、スタジアムがいつまでも輝いていて欲しい」

「2020年は外から釜石を発信していきたい」

現在高校3年生の洞口さん、4月からは大学で学ぶことが決まっている。

私は震災時小学校3年で、当時は詳しい事情はわかりませんでしたが、震災について勉強していくと実は救える命が救えなかった事実がたくさんあることがわかりました。こういった理不尽な死をなくすために大学で防災を勉強し、将来は世界に貢献したいと思っているんです」

同時に「去年のキックオフ宣言をしたことで将来のビジョンが大きく変わったんです。それまではキャビンアテンダントに憧れていたんですが、W杯を通じて、特にキックオフ宣言の反響が大きかったこともあって、いろんな人と関わりながら話し合いながら自分の言葉でメッセージを発信し伝える仕事、例えばアナウンサーのような職業につきたいと思うようにもなったのです。
憧れはフジテレビの久慈暁子アナウンサーです。尊敬しているとともに同じ岩手出身なので親しみを感じます」とも語ってくれた。

最後に20年後、30年後にもう一度W杯が日本で開催されたらどう大会と関わってみたいかという質問をしてみた。

「私はラグビーで人生が変わった。ラグビーという競技に出会えてよかった。もし、仮にもう一度日本でワールドカップが開かれることになったら今度は運営に携わるような立場で関わりたい」

4月からは生まれて初めて釜石を離れ、神奈川県内で大学生活を送る予定だ。
来年の夢、目標を書いてもらった。これまで釜石から発信していた彼女が2020年は外から釜石を、震災を、ラグビーを発信していくことになる。

将来の夢「釜石の魅力を広める!」

(フジテレビ報道スポーツ部・坂本隆之)