「筆舌に尽くしがたい」望月氏の死に、岸田氏が惜別の言葉

地元・静岡市清水区での通夜・12月22日

12月19日午前7時5分、環境大臣などを歴任した自民党の望月義夫衆院議員が肝不全のために死去した。72歳だった。今年の5月に医師から余命宣告を受けるも、徐々にやつれ始めた体を心配する声に対して「いまダイエット中なんだよ」と笑いながら応じ、政治家として1日でも長く尽くそうとした。

望月氏は、27歳の若さで地元・静岡県清水市(当時)の市議会議員に初当選し、静岡県議会議員を経て、衆議院議員となった。以来約22年、財務大臣政務官、国土交通副大臣などを務め、第2次安倍改造内閣では環境大臣に。地方・国政を合わせて44年間もの長きにわたり政治の道を歩んできたベテラン議員だった。

第2次安倍改造内閣では環境大臣に

そして、自民党の名門派閥である岸田派(宏池会)の事務総長として、会長である岸田文雄・政調会長を次の総理大臣にすべく最も尽力してきた人物でもあった。12月23日、地元で行われた告別式では岸田氏が弔辞を読み、「筆舌に尽くしがたい深い悲しみを覚えずにはいられません。かけがえのない仲間であり、同志であった」「なぜこんなにも早く逝ってしまったのか」とその死を心から嘆き、悼んだ。

告別式・12月23日

常に人と笑顔の中心にあり続けた望月氏

望月氏が国会内を歩いていると、決まって他の議員との他愛のないやり取りが交わされた。それも年齢や当選回数、所属する派閥、さらには与野党関係なく、本当に様々な議員とだ。

「な~に人の顔じろじろ見て笑ってるだよ?」
「いえ、望月先生をお見掛けするとなぜか笑っちゃうんですよ」
「失礼な人だよ~。全く(笑)」

「おや、もっちゃん、今日はやけに大人しいけど柄にもなく悩み事でも抱えてるのかい?」
「バカ言うんじゃないよ、俺っちが声掛けたらみんな(男も女も)惚れちゃうから黙ってるんだよ」

自分のことを「俺っち」と称する静岡弁交じりに笑顔で言葉を交わす望月氏は以前、「安倍総理も俺っちのことは『もっちゃん』って呼んでくれるんだよね」と語るなど、まさに周囲の誰からも「もっちゃん」もしくは「よっちゃん」の愛称で親しまれてきた。

「望月さんほど人当たりのいい国会議員はいないよ」(ベテラン議員)
「あれぞまさに人たらしっていうやつだな」(閣僚経験者)

望月氏を知る議員や関係者にその人柄を問えば、おおむねこうした答えが返ってきた。

「俺っちの特技はどうでもいい話をいくらでもできることだっけ」

望月氏はいつも誰とでも気さくに話をした。我々報道陣にも自分から話しかけ「何か面白いことあった?」とよくその笑顔を向けた。こうした人柄故に、望月氏の周りには自然と人が集まり交流が生まれた。加えて派閥に関するあらゆることを差配する事務総長という立場から、岸田派は望月氏を接点として他派閥などとの交流を図ることがほとんどであった。

「岸田に取らせると決めている」望月氏の情熱。その一方で冷静な一面も

「もっちゃん」の愛称で誰からも愛された

望月氏は以前、次期総理大臣候補の1人である岸田氏の最側近としての自らの立場を、次のようにおどけた表情で述べたことがあった。

「旦那(岸田氏)が無口だから、女房はちゃらんぽらんでちょうどいいじゃない」

いつも笑顔を絶やさない望月氏だが、表情こそ変えないものの、一瞬だけ空気が変わる時があった。それは岸田氏や岸田派の今後、あるいは自民党のトップを決める、総裁選挙といったことに話題が及んだときだ。

「俺っちに言わせれば、政策なんてものは役人に任せていれば10日と経たずできてしまうもんだよ。政治家が一番に取り組むものは政策とは別のところにあるんだ。俺っちは岸田さんに(総理大臣の座を)取らせるって決めてるんだよ」

「うちの(派閥の)やつらは腹芸のできないどうしようもないやつらばかりだけど、素直なやつらなんでね」
「やるぞ!やるぞ!なんてことはいくらでも言えるんだよ。(岸田氏のために)戦うということがどういうことか本当にわかっているのが何人いるのか」

地方議会からのたたき上げである望月氏は、離合集散がくり返され、政局において負ければ冷遇され、数の力で物ごとが動いていく政界の厳しさをよく知っている。だからこその、この言葉だ。まさに“党人派”と言われる顔をのぞかせた瞬間だった。

「ちゃんと岸田さんに物が言えるのは望月さんだけだ」(岸田派幹部)との声があがる通り、派閥内で会長の岸田氏に対して良いことも悪いこともしっかり伝えることができたのは、女房役の望月氏だけだったようだ。

「とにかく気配りができる人だった。いまの派閥内にそれができる人がいないのが問題だよ。みんな自分のことばかりだからね」(派閥中堅)

岸田氏のポスト安倍戦略への影響は?生前に本人が明かした思い

安倍首相の自民党総裁としての任期は2021年秋までで、残り2年を切る中、次期総裁候補として今後重要な時期を迎える岸田氏にとって、自らの片腕にして唯一無二の存在が失われたことによる影響は非常に大きいとする見方は多い。だが一方で、影響は限定的だとする考えを以前から持ち続けていたのが誰あろう望月氏本人だった。実は以前、岸田派において望月氏の代わりが務まるような存在が誰もいないのは問題だと、望月氏に指摘したことがあった。すると望月氏は次のように述べたのだ。

岸田派総会では司会進行を務めた・10月31日

「それは違うよ。この人がいなけりゃ絶対ダメなんて奴はいやしないよ。俺っちだっていなくなれば、誰かが代わりをやって行くんだよ。世の中そういうもんよ」

望月氏はいかなる時も輪の中心にいながら、それでいて物事を一番冷静に、そして客観的に捉えていた。だからこその一言だったのだろう。そして岸田氏も、望月氏の死を正面から受け止めようとしていた。

岸田政調会長・12月19日

「大きな功績を残し誰からも愛された望月先生を失ったことは、残された我々にとって、大きな悲しみですが、望月先生のご努力やお気持ちに報いるためにも、悲しみを乗り越え、先生の意思を引き継ぎ、前を向いて進んでいかなければなりません。望月義夫先生、本当にありがとうございました」

いつも冷静な岸田氏が言葉を詰まらせながら発した「ありがとうございました」を天国の望月氏はいつもの笑顔で見届けただろう。そして岸田氏の今後の歩みを、天から冷静かつ優しい視線で見つめ続けるに違いない。

(フジテレビ政治部 自民党担当 福井慶仁)