ディープインパクト。日本競馬史上最強馬、そして世界の競馬サークルにも存分に名を知らしめた最初の日本産馬です。現役時代、無敗でクラシック3冠をはじめ、幾多のレースを制した時の豪脚もまた、彼の魅力を語るに事欠きません。

いわば「二度と現れない」馬ではありますが、その出現には偶然とともに必然もあったように思えるのです。それは彼が生まれた時代背景です。

「ダービー馬からダービー馬を」

かつてから日本の競馬サークルは世界に範を求めていました。歴史なら競馬の本場であるヨーロッパ、他方スピードのある血統を重視するトレンドはアメリカへとその目は東西の大陸に向かいます。

当時日本国内で生まれた種牡馬は、先の東京オリンピックの頃に3冠を制したシンザンなど一部だけ。「ダービー馬からダービー馬を」のスローガンは当時国内産しか出走できなかった最高峰のレース・日本ダービーの名を挙げて日本の競馬界の夢でもあったのです。

それでも馬主が魅力をより感じるのは海外からの輸入種牡馬の産駒たち。その一頭に「ノーザンテースト」という馬がいました。導入したのは当時の社台ファーム
この馬が長くリーディングサイアー=産駒の活躍がナンバーワンの座を占めます。産駒がいい成績を挙げれば、その後の産駒は高値で売れる。その資金で良質の“花嫁”=繁殖牝馬を買い、それをノーザンテーストと交配して売る。こうした好循環が生まれ社台ファームは勢いを増していきます。

ディープの父 サンデーサイレンスが日本へ

一方で産駒が増えればそれだけ、ノーザンテーストの娘も増えるわけで、現役引退後の彼女たちをどの種牡馬と交配させるか?となり、血筋の違う種牡馬の導入にも資金を投入。
リアルシャダイやトニービン、競馬歴の長い人には懐かしい馬名かもしれません。ついで社台ファームが目をつけたのが「サンデーサイレンス」(以下SS)。

アメリカの2冠馬であるSS、好成績を挙げているのですからおいそれと馬主が手放すはずはない。人間でサラブレッドと形容するなら家柄の良さを表すものですが、馬の世界はすべてがサラブレッド…つまりその中でも差が生じます。
種牡馬、つまり血を残すという意味においてSSは評価が高くなかった。それが日本への譲渡につながりました。アメリカでは主なレースはダート戦、SSもダートのレースしか経験はありません。

もし産駒が、芝が主流の日本のレースにまったく適合できなかったら?そんな声をいきなりかき消します。
94年、最初の世代がデビューした夏。札幌3歳ステークスでSS産駒がワンツーフィニッシュ、さらにその世代最強を決める暮れの朝日杯ではフジキセキが優勝(どちらも芝で開催)。想像を上回るスタートダッシュを見せました。

翌年は皐月賞とダービーをそれぞれ別のSS産駒が制覇。SS旋風なる言葉が生まれ、そしてその中から鋭い末脚(すえあし)を繰り出すものが目立ち始め、ディープインパクトが完成形とした戦法の萌芽が出ていました。

「僕にとってヒーローみたいな馬」全てのレースに騎乗した武豊騎手
「僕にとってヒーローみたいな馬」全てのレースに騎乗した武豊騎手
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SS産駒がセリで1億円超え続出も…ディープは7000万円で落札

時が重なるように馬の販売方法も革命を迎えます。
かつては牧場と馬主が個人的に値段を決める“庭先取引”が主流。それを社台ファーム創始者・吉田善哉氏亡き後の牧場を継いだ3人の息子たちは誰でも参加できるセリの開催に舵を切りました。

98年の第一回「セレクトセール」ではSS産駒の当歳馬(その春生まれたばかりの馬)で1億円超えの購買が続々誕生。仔馬のなかからは3年後にクラシックレースを制すなど、SS産駒の評価はさらに上がり、そして価格もつり上がっていきました。

2002年のセレクトセール。上場番号202番のSS産駒に2億円を超える値がつきました。どよめく場内。その数分後に出てきたSS産駒の牡馬。場内はさきほどの余韻さめやらず、こちらは7000万円でハンマーの音が響きます。お買い得と言えるような値段ですが、馬体はお世辞にも見栄えがするとは言えない小柄。そう、彼こそがのちのディープインパクトなのでした。

購買した金子真人オーナーはその前年にも全兄(父も母も同じ)を9700万円で買っており。ここまでなら十分予算内だったことでしょう。ちなみにその兄は後のブラックタイド。「キタサンブラック」の父となっています。

2000年代を迎えた時点で、すでに社台ファーム改め社台グループは兄弟が切磋琢磨する時代になっており、次男勝己氏が指揮を執る“ノーザンファーム”は馬で稼いだ資金をその次の世代へ投入していきました。生産から育成、調教、牧草、飼料、人材、繁殖牝馬そして医療体制など。
ディープインパクトがデビューへ向かう頃には、強い馬を生み出し、鍛え、より強くして競馬場へ送り出すシステムが構築されていたのです。

ディープインパクトが種牡馬になり、送り出したダービー馬はディープブリランテを皮切りにキズナマカヒキワグネリアンそして今年のロジャーバローズまで5頭。かつてのスローガンは全く色あせて見えます。

そして海外の大オーナーからもディープインパクトの血を求めて交配の申し込みが相次ぐほどになりました。この春体調不良で種付けを中断したままとなったディープインパクトですが、来年生まれる産駒は、その海外からの申し込みによるものが含まれているようです。
なおサラブレッドは自然交配が原則。人工授精は禁止されているので来年生まれる産駒が文字通りラストです。

馬房で見せた身体の柔らかさ

今年の凱旋門賞は10月6日。すでに一次エントリーは締め切られていますが、実は海外でデビューした産駒が含まれています。日本からは菊花賞と天皇賞を勝っているフィエールマン。ディープインパクトの偉業完結には、自身が成し遂げられなかった凱旋門賞制覇を産駒が達成するかにかかっています。

ディープインパクトの現役時はみなさん見ていると思うので昔話ばかり思いつくままに書きましたが…馬房で様子を見ていた時に、突然後ろ脚で耳のあたりを掻きだしたのは驚きました。あの身体の柔らかさ、そしてセリでは高く評価されなかった小柄な馬体が、SSの血を得てあれほどの爆発力を生じさせたのです。

2016年ディープインパクトと撮影
2016年ディープインパクトと撮影

名馬が生まれる条件は人間がある程度作れるが、やはり個体の力は大きい。そして今日も次の名馬を求めて、ホースマンが動いているのはかつてと同じ。令和の時代、いや21世紀中にディープインパクトに迫る馬は出てくるでしょうか。

福原直英
福原直英

フジテレビアナウンサー