76年前の太平洋戦争末期、凄惨な地上戦が行われた沖縄では今も地中から戦没者とみられる遺骨が出土する。激戦地の南部・糸満市では先月下旬から今月にかけて新たに8柱の遺骨が見つった。

青森県在住の遺骨収集ボランティア浜田哲二さんは20年に渡って沖縄に通い、旧日本軍の生存者の証言や資料を元に遺骨を収集している。

先月から今月にかけて糸満市にある旧日本軍が使用していたとされる陣地壕で大人6人、子ども2人の合わせて8柱の遺骨を見つけた。

▽浜田哲二さん「軍人の靴がこれだけ出ているということはこのご遺骨は兵隊のものではないかと」

この他にも軍が支給していた歯ブラシや軍服のボタンとともに、名前の掘られた万年筆も見つかった。

▽浜田哲二さん「私たちが持っている部隊の名簿、(中川という名前が)お二人いらっしゃるんですけど、ここで亡くなっていないんですよ首里で亡くなっているんです」

浜田さんは遺骨を遺族のもとに返すため国にDNA鑑定を申し入れている。

▽浜田哲二さん「申し入れと同時に名簿に載っている、この場所で亡くなった戦没者、そのご遺族を一軒ずつ訪ねて『DNA鑑定やらないですか』と働きかけをしていきます」

全国紙の記者だった浜田さんが遺骨収集を始めたきっかけは、沖縄を訪れたときに出会った遺骨収集ボランティアからかけられた言葉だった。

▽浜田哲二さん「『君たち新聞記者は、そういう戦後50年60年のときだけきて騒いで帰ると。だけど君の足の下にはまだ遺骨が埋もれているんだよ』と。『もし心あるなら、一つでもひとかけらでもいいから掘ってあげたらどうだ』と言われて、まさにその通りだと思って」

こうした遺骨が出土する沖縄本島南部の土砂が普天間基地の移設計画に伴う辺野古沿岸部の埋め立てに使われようとしていることに「戦没者への冒涜だ」と怒りの声が上がっている。

県庁前では遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんがハンガーストライキを敢行した。

▽浜田哲二さん「沖縄の南部の土砂には遺骨がたくさん混じっているんじゃないかというものなんですけど、まさに見ていただいた通り、この裏の山にもまだたくさんいらっしゃると思いますし。その土砂を安易に使えるかどうかは。これを見ていただければおのずと見えてくるんじゃないかと思います」

手作業で一つ一つの遺骨を掘り出すには手間と労力がいる。

▽浜田哲二さん「全身遺骨で出てきたら誰でもわかりますよね。でも小さな破片、石と変わらないような状況だと果たして見分けられるのかどうか。私は不可能だと思うんですよ。だから間違いなくそうしたものが選別されずに土砂として持っていかれるんじゃないかと」

遺骨の収集を続ける中で、浜田さんは生き残った人の証言に耳を傾け、遺族と接してきた。

▽浜田哲二さん「(遺族は)帰ってこられるの待っているんですよ80歳、90歳になった高齢者の家族が『兄に帰ってきてほしい、遺骨でもいいから』『靴の裏でもいい、なんでもないから帰ってきてほしい』という声を聴いてきているんですよね」

戦没者の遺骨、1柱でも多く遺族のもとに返すことが自分にできることだと力を込める。

▽浜田哲二さん「今も遺骨がまだ出るんだよと。今も遺骨だけじゃなくて遺留品も出るんだよと。それを思うと具志堅さんが沖縄で亡くなった戦没者が無慈悲な形で飛行場の礎になるのが許せないように、私たちはそうした遺族の声を聴いていますので。まず掘って、やはり帰っていただく。その実務的なものを私たちは担っていければと考えています」

今回見つかった8柱の遺骨のうち骨の大きさから2柱は子どもであることが推測できる。

▽浜田哲二さん「大人の遺骨や遺留品が出てきて兵士だなと思ったんですが、最後の方に子どもの骨が出てきて驚きました」

軍の陣地壕になぜ子どもの遺骨が眠っていたのかはわからない。

▽浜田哲二さん「(遺族が)見つかったらいいね、子どもだからな。ぜひ子どもの骨もDNAを抽出して何とか返してあげたいなという思いはありますね」

浜田さんは遺骨の帰る場所があることを静かに祈った。