「五大要求は一つも欠かせない」の合言葉

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香港トップの林鄭月娥・行政長官が刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正案の撤回を正式表明した。しかし民主派の市民らからは「遅過ぎた」「他の要求には一切答えていない」などとむしろ失望が広がり、混乱が収束する気配はない。

6月中旬の大規模デモを受け、林鄭長官は「改正作業を再開しない」と事実上の廃案を表明したものの、完全撤回は明言しなかった。その後さらにデモが激しくなると、7月上旬に「改正案は死んだ」と述べ、デモ発生から約3ヶ月後の今になってようやく「撤回」を表明した。この後手後手の対応が墓穴を掘ってしまった面がある。

この間、デモ隊には「五大訴求 缺一不可(五大要求は一つも欠かせない)」というスローガンがすっかり定着してしまった。

デモ隊が掲げる五大要求とは
①「逃亡犯条例」改正案の完全撤回
②警察の暴力行為を調査する独立委員会の設置
③デモ参加者の逮捕取り下げ
④デモの「暴動」認定取り消し
⑤普通選挙の実現
である。

デモ隊はこの数か月間このスローガンを何百回何千回と叫び続けてきた。デモ隊にとっては「一つも欠かせない」要求で、このうち1つを勝ち取ったというよりは他の4要求が受け入れられなかった、という受け止めが広がっている。

このスローガンが定着してしまったこともあり、今や「逃亡犯条例」だけの問題ではなくなっているのだ。

最大の原動力は警察への怒り?

地下鉄内での警察による暴力的な取り締まり
地下鉄内での警察による暴力的な取り締まり

さらにこの間連日のようにデモが続き、何度も警官隊とデモ隊の衝突が起きた。
その結果、デモ隊が警察の暴力的な取締りに怒りを募らせることになり、最近では警察に対する怒りが抗議活動の最大の原動力となっていると言っても過言ではない。実際はデモ隊側が警察を挑発したり、襲撃したのに対し、警察が反撃しているケースもかなりあるが、警察官が市民を殴打するような映像がネットで出回ると、さらにデモ隊側の怒りが高まるという悪循環に陥っている。こうした対立が数か月にわたり続いたことが問題解決をより困難にしてしまった。

謎すぎる譲歩

中国政府は10月1日、建国70年の記念式典と軍事パレードを予定しており、その前に香港情勢の沈静化を図りたいのが本音だ。香港政府がこれまで「完全撤回」をあえて明言しなかったのは、交渉カードとして温存していたとの見方もあった。今回事態打開の見通しもないままあっさりとカードを切ってしまったのは謎の対応と言わざるを得ない。林鄭長官は話し合いの場を設けるとの意向も示したが、信頼関係がない中で一方的に呼びかけたところでデモ隊側に歩み寄るような機運はない。デモが沈静化する気配はなく、10月1日はより大規模なデモが予想される。

「戒厳令」「武警・解放軍投入」現実味は?

事態の収拾に向け、香港政府は行政長官に強大な権限を与える「緊急状況規則条例」の発動をちらつかせている。集会、通信、交通、報道などを幅広く制限することが出来るもので、事実上の「戒厳令」とも言われている。また、香港のミニ憲法にあたる「香港基本法」には中国の人民解放軍や武装警察の投入が可能になる規定も存在することから、中国の部隊による実力行使によって解決を図るのではないかとの見方もある。しかし、筆者は香港の現状を見る限りその可能性は限りなく低いと考えている。

中国の武装警察と公安警察によるデモ鎮圧訓練
中国の武装警察と公安警察によるデモ鎮圧訓練

これらの規定はいずれも戦争や革命のような政権転覆の危機に瀕したような状態を想定したような内容だ。しかし現在の香港では、連日の抗議活動によって社会生活にも影響は出てはいるものの、混乱は局地的かつ限定的であり、市民生活は概ね平穏と言える。仮にこうした非常措置に踏み切った場合、香港は現在の国際的、経済的地位を失うリスクがある。一方、中国政府にとっても武力介入すれば国際的な批判によって天安門事件以上のダメージを受ける恐れがあり、失うものが多すぎる。

また強制的な措置に踏み切った場合、香港市民の反発は必至だ。中途半端にやれば、火に油を注ぐだけになりかねず長期間に渡って力づくで抑え込まなければならなくなる。それこそ「一国二制度」は死滅するに等しい。

催涙弾や火炎瓶が飛び交う衝突現場を何度も目にしたが、恐らく大陸の武装警察であれば、有無を言わさず力で鎮圧し、デモ隊を一網打尽にするだろう。しかし、香港警察の場合、「過剰暴力」との批判を気にしてか、デモ隊の「排除」に重点を置いており、拘束するにしても一部に留めるなどそれなりに慎重に対応しているようにも見えた。警察力が足りず抑え込めないというよりは、警察批判の世論に配慮しながら対応しているという印象で、「武警の力を借りれば即解決」という単純なものでもなさそうだ。

先日、林鄭長官が非公式の場で語った音声が明らかになり、「中国政府も香港政府も10月1日までに事態を鎮静化できるとは考えていない」などと語っていたことが判明した。双方が対話の糸口すらつかめていない以上、事態の長期化は避けられない見通しだ。

【執筆:FNN北京支局 高橋宏朋】

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高橋宏朋
高橋宏朋

フジテレビ政治部デスク。大学卒業後、山一証券に入社。米国債ディーラーになるも入社1年目で経営破綻。フジテレビ入社後は、社会部記者、政治部記者、ニュースJAPANプログラムディレクター、FNN北京支局長などを経て現職。