伊達政宗自筆の書状を確認

8月、宮城県登米市の博物館が所蔵する資料の中に仙台藩祖・伊達政宗が記した自筆の書状があることが確認された。

それは一見ごく普通の書状だが、鑑定の結果、ある人物との親子関係をほのめかす重要な記載が隠されていた。

仙台藩祖といえば、もちろん伊達政宗だが、ではその政宗に子供が何人いたかご存知だろうか。系図に残る政宗の子供は男10人、女4人の14人となるが、実はほかに2人の子供がいたという説もある。

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その2人の子供とは、政宗に仕える家臣のひとり亘理宗根とその姉のこと。
系図上は政宗の重臣、茂庭綱元と側室の間の子供だが、本当の父親は政宗だとする説があり、その真偽は謎だった。

そうした中、つい最近この説を裏付ける手掛かりとみられる書状が見つかった。

歴史研究家 佐藤憲一さん:
私の知る限り今のところこれが唯一の手紙ですね。宗根に宛てた手紙

宮城県美里町に住む歴史研究家の佐藤憲一さんだ。

かつて仙台市博物館の館長を務め、現在は政宗の研究家で知られる佐藤さんは8月、鑑定を依頼された資料の中に政宗自筆の書状を見つけた。

歴史研究家 佐藤憲一さん:
これが政宗の署名なんです。これはよほど政宗の手紙を知り尽くしていないと、政宗の署名とは思わないはずです。単に墨でぐっと引っ張っただけじゃないかと

これまでに約数百点の政宗の書状を読み解いてきた佐藤さん。依頼された書状を詳しく分析すると、そこには驚くべき内容が記されていたという。

歴史研究家 佐藤憲一さん:
これによって従来政宗の子供と言われているとしか言えなかったところが、政宗の子供であると言っていいと。そういうことを子供であることを証明するという手紙だった

佐藤さんによると、書状は政宗が亘理宗根に面会時刻の変更を伝えるもの。しかし、その端々には親子関係を裏付ける内容がしたためられていた。

歴史研究家 佐藤憲一さん:
非常に興味深いし、貴重な政宗を研究していく上では貴重な資料ですね

鑑定を依頼した登米市歴史博物館を訪ね、実際の書状を見せてもらった。

登米市歴史博物館 高橋紘学芸員:
こちらがその政宗の新発見の書状になります

慎重に取り出された書状は、新聞紙1ページほどの大きさ。

ただし、一見して政宗とわかる記載はなく、学芸員の高橋さんも最初は誰の書状なのか確証が得られなかったという。

登米市歴史博物館 高橋紘学芸員:
こちらに一番端に書いた宛先として、「了庵二番ノ子」というような耳慣れない単語が書いてあるので、私が初めて見たときに紙を触ったときは政宗の手紙かなと思ったんですけども、この宛先を見たときに政宗ではないのかなと思いました

書状を鑑定した佐藤さんの分析によると、「了庵二番ノ子」の了庵とは政宗の重臣、茂庭綱元のこと。その2番目の子供にあたる亘理宗根に、政宗が宛てた手紙であるという。

さらに、注目すべきは追伸として書かれた和歌の部分だった。

「しらじらとしらけたるかな月影に」と記した部分に、政宗が自分自身のしらじらしい思いを込めたというのだ。

宗根を実の子と知りながら「了庵二番ノ子」と記したことを、政宗が自ら「しらじらしい」と詠んだことになりる。

佐藤さんはこれこそが二人の親子関係を決定づける政宗の「告白」だという。

歴史研究家 佐藤憲一さん:
なかなか正面切っては言えない、公にはできないけれども、それでも「親子なんだぞ」ということを訴えている政宗の気持ち。それを受け止めている宗根の気持ちというものを想像できる。そういう手紙ですよね

(仙台放送)

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