殺される悲しみと殺す悲しみ

 
 
この記事の画像(6枚)

子供を持つ人なら誰でも、親から虐待を受けて子供が亡くなるという事件のニュースを見るたびに、涙が出るだろう。僕もそうだ。

幼くてまだ一人では生きられない子供が簡単に命を奪われる悲しみとともに、親がモンスター化し、あるいはモンスターにマインドコントロールされ我が子を殺してしまう悲しみである。

法廷内の優里被告 (イラスト:石井克昌)
法廷内の優里被告 (イラスト:石井克昌)

東京・目黒の船戸結愛ちゃん虐待死事件で、17日、東京地裁は母親の優里被告に懲役8年の判決を言い渡した。

8年は重いなと思った。被告は夫の雄大被告から心理的DVを受け、「強固な心理的支配下」にあったと主張していたし、そう見えたからだ。

判決は「強固に支配されていたとは言えないが影響はあった」と述べて、マインドコントロールとは認定しなかった。裁判員裁判だったことも量刑が重かった理由だろうか。

子供の虐待死について児童相談所(児相)や警察など行政の対応の甘さを指摘する声が多いが、特に慢性的な人手不足に悩む児相に責任を押しつけるのは酷だと思う。

懲戒権を削除するしかない

やはり法律を改正して、子供に危害を及ぼす親は子供から引き離せるようにするしかないのではないか。

6月に児童虐待防止法が改正されたが、民法の「懲戒権」の見直しは先送りになった。懲戒権とは「親が子の利益のために必要な範囲で子を懲戒できる」というもの。しつけのため親は子を叩いてもいいのだ。目黒の事件でも両親は「しつけのためだった」と言い訳をしている。

懲戒権を削除すれば危険な親を子から引き離すことが容易になる。ただし子が他人に危害を与えたり、危ない目に遭ったりした時に言い聞かせてもわからなかったらどうするのか、という問題はある。

亡くなった結愛ちゃん
亡くなった結愛ちゃん

しかし、しつけの前にまず子供を殺さないことだ。今のままでは子供の虐待死はなくならない。

記憶する限り両親に叩かれたことは一度もない。学校でも教師にゴツンとげんこつをもらったくらいだ。僕は暴力とは全く縁のない人生をこれまで過ごし、娘に対しては今までも、そしてこれからも、叩くことはない。自分は恵まれ過ぎていたのか。いや、それが当たり前でないといけないではないか。

心のコントロールを失った親から子供を安全な場所に避難させるのは社会の大人たちの義務だ。それは子供の人生を終わらせない、ということだけでなく、親を地獄から救うということでもある。

目黒の事件の裁判で裁判長は母親に対し「人生をやり直して下さい」と言ったが、子を殺した母が人生をやり直すというのは容易なことではないのだ。

【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】
【イラスト:さいとうひさし】

「平井文夫の還暦人生デザイン」すべての記事を読む
「平井文夫の還暦人生デザイン」すべての記事を読む
「虐待ゼロへ」すべての記事を読む
「虐待ゼロへ」すべての記事を読む
平井文夫
平井文夫

言わねばならぬことを言う。神は細部に宿る。
フジテレビ客員解説委員。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て報道局上席解説委員に。2024年8月に退社。