数々の試合をこなすアスリートだが、彼らにとって忘れられない試合や現役最後の試合もあるだろう。
 
5月26日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、ドラフト1位で近鉄バッファローズに入団し、“いてまえ打線”の中心選手として活躍した金村義明さん、バレーボール全日本のメンバーとしてロンドン五輪に出場し、28年ぶりの銅メダル獲得に貢献した迫田さおりさん、Jリーグ・浦和レッズのストライカーとして活躍した福田正博さん、現在はスーパーフライ級で4階級制覇を目指している八重樫東選手らが登場。印象的な名シーンの裏に隠されたエピソードを明かした。

引退試合で1億円をゲット!?

 
 
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引退を表明した選手をチームやファンが華々しく見送る引退試合は、これまでにさまざまな名シーンが生まれてきた。
 
そんな引退試合でJリーグ史上最高の観客数を動員したのが、元浦和レッズの福田正博さん。
 
現役生活14年を浦和レッズに捧げた福田さんのためだけの引退試合が2003年に行われた。5万人以上のサポーターたちが集まり、スタンドはレッズカラーの赤一色。
 
試合には小野伸二さんや岡野雅行さんら浦和レッズのOBや現役選手、海外からも多くの選手が参加した。白熱したプレーでファンは盛り上がり、試合終了後の引退セレモニーでサポーターたちは涙を流した。
 
この引退セレモニーでは、福田さんの脱いだスパイクが宙に浮くという演出も。これについてMCの浜田雅功さんに問われると「いいでしょ!」とドヤ顔。「スポーツ選手は日本の場合だとユニフォームを脱ぐことが多いですが、サッカーの場合はスパイクを脱いでロッカールームのフックに掛けるというのがあるんです。それが引退のメッセージ。それをクラブの関係者がスパイクを脱いだだけじゃ分かりにくい、何かに掛けなきゃいけない」と考えた結果、生み出された演出だと明かした。
 
そんな福田さんは、選手にとって「引退試合は退職金」だと告白。「Jリーグの引退試合は、人件費や設営費などの諸経費以外の収入は引退する選手に行くという決まりがあるんです。ある意味、引退試合は退職金というか功労金なんです」と話し、浜田さんらを驚かせた。

 
 

さらに福田さんは、「そこで売られているグッズとかも、売上の何パーセントかは入ってきます。僕は完売です!もらった額は1億円。全部の収益は1億7000万円くらいあったので、経費を抜いて…」と、自身の引退試合で高額の“退職金”を手にしたことを明かした。
 
ただ、引退試合は選手なら誰でも開催できるわけではないという。Jリーグには2つの規定があり、最後に所属したチームで、チームが開催を許可した場合にのみ行われるのだ。
 
その理由を福田さんは「チームにとっては自分たちに利益がないから、そこまでの思いがなかったらチームはやりたくないんです」と話した。
 
福田さんの引退試合には、そうそうたる顔ぶれの海外選手も出場。彼らに対するギャラについては「一銭も払いませんでした!」としながらも、「ヨーロッパでは呼んだ人にお金を払うのではなくて、お金は引退した選手のところに行くべきだという考えなんです。そういう思いを込めてやった引退試合なんです。だから、ヨーロッパの人は嫌がらないですよ。むしろ名誉なことだと思ってます。お前のために協力するよって。その代わり、お金ではなくて、銀のお皿に出場選手の名前を彫ってもらって、一人一人にプレゼントしました」と明かした。

命を掛けたロマゴンとの一戦

 
 

現在36歳、4階級制覇の偉業を目指すボクシングの八重樫東選手。どんな相手でも真っ向勝負で挑む姿に付いた異名は“激闘王”。
 
そんな八重樫選手の名シーンは、2014年のWBC世界フライ級タイトルマッチのローマン・ゴンサレス戦。
 
“ロマゴン”と呼ばれるゴンサレスは、当時39戦全勝でKO率85%を誇り、全階級で体重差のハンデがない場合の最強を示すランキング「パウンド・フォー・パウンド」で堂々の1位にも輝いている。
 
当時、ロマゴンは階級を上げて3階級制覇を目指していたが、その圧倒的な強さから世界中のチャンピオンたちに対戦を拒否されていた。
 
八重樫選手が所属するジムの大橋秀行会長は「ロマゴンから試合の話が来ているけど、どうする?と(八重樫に)確認したら、即答で『やります』と答えて。(答えるまでの)間がちょっとでも躊躇してたら断ろうと思っていたけど即答でした」と振り返る。
 
八重樫選手も「誰かがやらないといけないし、誰もやりたがらないのであれば、ここでロマゴンをやっつけたら一発逆転」だと考え、試合に挑んだという。
 
しかし、ロマゴンとの対戦に向けて命の危険を感じた八重樫選手は、会長に生命保険の増額をお願い。さらに、自分に何かあったときに備えて会長に家族を託した。
 
そして運命の試合。序盤は劣勢の中、八重樫選手もひるまずに果敢に挑んでいったが、第3ラウンドでダウンしてしまう。だが、「パンチくらって倒れたし、もういいかなって打ち合ってやろうって。その一つのスイッチになったのがあのダウン」と振り返る。
 
壮絶な打ち合いの末に、最後はレフェリーストップで試合終了。八重樫選手は敗れてしまうが、会場では敗者を称える盛大な拍手が巻き起こった。

 
 

試合の映像を見た浜田さんは「なんでやりますと言ったの?」と質問。「一番強いヤツと一番強いヤツが戦うのがボクシング。誰の挑戦でも受けるのがチャンピオン」と答える八重樫選手に、浜田さんは「かっこいい!」と目を輝かせた。
 
だが、そんな八重樫選手はゴンサレスに怒っていることがあるという。
 
「あの試合で僕はチャンピオンだったので負けてベルトを取られたんですけど、まだ団体からロマゴンにベルトが贈られる前で、でも、『母国に帰ってお披露目をしたいから、ベルトを貸してくれ』と言われて、気持ちよく戦ったので貸したんですけど、後日、ジムにロマゴンからベルトが送られてきて。ベルトって僕の顔が両サイドにバッチで入っているんですけど、そのバッチが壊れてて…びっくり…」と衝撃の事実を明かした。
 
浜田さんが「抗議の電話とかしなかったの?」と聞くと、「電話番号知らないし…」と落ち込むも、「この話をしたのは初めてなので、ロマゴンの関係者の方が見ていたら電話をください」とアピールした。

メダル獲得の裏に親友の存在 

 
 

2012年のロンドン五輪で28年ぶりのメダル獲得に貢献した元日本代表の迫田さおりさんは、ロンドン五輪の3位決定戦を挙げた。そして、その活躍の裏には元日本代表の石田瑞穂さんの存在が大きかったことを明かした。
 
迫田さんにとって石田さんは、親友で同じポジションを争う良きライバル。ロンドン五輪の有力候補だったが、代表メンバーから落選してしまい、サポートメンバーとしてチームに同行した。
 
しかし、サポートメンバーは選手村にも入れない。石田さんは、用具の片付けや荷物の運搬などチームを全面的にサポートした。
 
そんな石田さんだが、開会式直前に、母親が倒れたという知らせが入り、急遽帰国してしまう。当時を振り返った石田さんは「結果的には試合が始まる前に帰ってきてしまったので、申し訳ない気持ち」と明かした。
 
そこで迫田さんは、親友のために絶対に勝つと心に決め、石田さんの背番号13番のユニフォームを自身のユニフォームの下に着て試合に出場。そこには、「石田と一緒に1本でもボールに触って、1秒でも長くコートにいるんだ」という気持ちが込められていたという。
 
だが、スタジオで「もし、自分がサポートメンバーになったら…」という聞かれると「私だったら断るかな…」とし、「ユニフォームも着れない、コートにも立てない、けど来ないか?と言われたら、選手として悔しいと思ってしまう」と正直な気持ちを明かした。だからこそ、「ミホ(石田選手)は素晴らしい選手なんです、同期なんですけど、嫉妬してしまうくらい…」と話した。
 
さらに、“いてまえ打線”の近鉄バッファローズで、中心選手として活躍していた金村義明さんは、伝説に残る1988年10月19日のロッテ対近鉄のダブルヘッダーを振り返った。


 

『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送