取り調べを受けることなく帰国した北の漁民

10月7日午前9時頃、北朝鮮漁船と思われる鋼鉄船が水産庁漁業取締船「おおくに」(約1300トン)に衝突し、沈没する事件が起きた。沈没した北朝鮮船には、60人ほどが乗船していた。

「おおくに」は、船上から救命ボート、救命いかだを下し救助にあたったが、救助された北朝鮮漁民は、別の北朝鮮船に収容され取り調べを受けることもなく帰国してしまった。

水産庁の取締船に救助される北朝鮮の漁民(提供:第9管区海上保安本部)
水産庁の取締船に救助される北朝鮮の漁民(提供:第9管区海上保安本部)
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国連による経済政策が続く北朝鮮では、慢性的な食物不足が続いている。食料確保のため北朝鮮政府や軍部は、出漁を漁業戦闘と鼓舞し、漁民を荒れた海に半ば強制的に送り出している。

昨年、日本の海域に漂流、漂着した北朝鮮漁船は200隻を超える。この漁船が全て海難事故に遭遇したのなら、2000人近くの命が海の中へ消えたことになる。

日本海への出漁は命がけである。

今年の秋の漁期には、例年以上の北朝鮮漁船が、日本海の中心部にある好漁場「大和堆」に出没している。

北朝鮮沿岸部では、500隻ほどの中国漁船が北朝鮮政府に金銭を支払い、漁業を行っているため、北朝鮮漁船は漁場から締め出されている。

大和堆で度々目撃されている北朝鮮の漁船
大和堆で度々目撃されている北朝鮮の漁船

取締りを強化するロシアに対し、日本では・・・

さらに、ロシアの排他的経済水域においてはロシア沿岸警備庁による不法操業の取り締まりを強化している。今年に入り、ロシア沿岸警備庁は銃も使用する警備態勢を敷き、600人以上の北朝鮮漁民が、ロシア海域で漁を行ったため身柄を拘束されている。そのため、ロシア海域に入ることはできない。

行き場の限られた北朝鮮漁船は、遠いが好漁場である大和堆を目指して来るのだ。

水産庁の取締船に衝突した北朝鮮の漁船(提供:水産庁)
水産庁の取締船に衝突した北朝鮮の漁船(提供:水産庁)

日本の排他的経済水域内で不法操業を行う北朝鮮漁船に対し、海上保安庁巡視船と水産庁漁業取締船は、放水銃を使い海域から排除してきた。放水銃は木造の小型漁船には効力を発した。しかし、北朝鮮側は、放水銃の影響を受けない鋼鉄船を前面に立て漁船団を送り込むようになった。

放水を行い警告する水産庁の取締船(提供:水産庁)
放水を行い警告する水産庁の取締船(提供:水産庁)

日本が狙われるワケ

また、昨年、水産庁漁業取締船が北朝鮮の漁船からの中から銃で威嚇される事件が起きた。さらに今年の8月には、海保巡視船にも銃口が向けられている。北朝鮮漁船団は、武装しているのだ。

この事件後、北朝鮮当局は、日本海の北朝鮮の漁場から不当に漁場を取り締まる日本船を排除したという内容のコメントを発表した。大和堆も北朝鮮の管轄海域だというのだ。

海上保安庁は武器を備えているので、武装した北朝鮮漁船団に対処することもできるが、水産庁漁業取締船には武器の携行は許されていない。水産庁は極めて危険な状況で、不法操業の取り締まりを行っているのだ。特に今回の事案に係った取締船「おおくに」は、民間から傭船した船で、取締管理官などの担当官以外の操船に当たる船員は民間人であり、危険にさらすことはできないのだ。

そのような状況下で今回の衝突事件が起きた。

北朝鮮漁船は取締船に接近し、急旋回の後、前方に立ちはだかった。よけ切れなかった取締船の船首部分が、北朝鮮船の左舷と衝突した。おそらく計画的に北朝鮮船は、漁業取締船の前を横切ろうとしたのであろう。航行ルールでは、他船を右に見る船に衝突回避義務がある。つまり、取締船側が避けなければいけないことになる。急に右方向から進入された取締船の船員は、動揺したことだろう。航行安全上考えられない行動である。そして、北朝鮮船は取締船に近付き過ぎたため、衝突に至ったようだ。

新潟の港に戻った水産庁の取締船「おおくに」
新潟の港に戻った水産庁の取締船「おおくに」

通常、北朝鮮の漁船は一隻で行動することは無く、敢えて取締船を威嚇もしくは、挑発する為に接近してきたと想定される。北朝鮮国内向けプロパガンダのため、日本の取締船に北朝鮮船が果敢に挑み、海域から排除する光景を撮影していたのかもしれない。もしくは、不法操業船の活動を支援のため、一隻で取締船の行動を妨害していたことも考えられる。

しかし、北朝鮮漁船は沈み、乗員は帰国してしまったため本来の目的は闇の中へと消えてしまった。

船首部分には衝突された時の傷のようなものがみられる
船首部分には衝突された時の傷のようなものがみられる

排他的経済水域では、沿岸国は漁業に係る警察権を持つことが認められている。そこで、水産庁漁業取締船に、漁業取締だけに限定した司法警察権が与えられている。しかし、水産庁は海上で発生した殺人や傷害、器物破損など漁業に直接かかわらない事件に対応する警察権は持たない。

今回の事象では、事故に遭った取締船の船籍国である日本の海上保安庁が検分を行い、衝突の原因を明らかにすることが望まれた。しかし、北朝鮮側は近くに漁船団が待機していたのであろう。海に投げ出された60人の乗員を速やかに回収し退去している。
今後、北朝鮮はこの事案に対し、抗議をしてくることが予想される。その時には、映像等の証拠を整理し、正当性を主張しなければならない。

さらに今後、北朝鮮漁船の排他的経済水域への侵入は続くことになるだろう。北朝鮮漁船の大和堆侵出は、日本海沿岸部の漁業者を苦しめているのだ。海上保安庁を前面に立て水産庁との連携体制による厳格な対応が求められる。

【執筆:海洋経済学者 山田吉彦】

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山田吉彦
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海洋に関わる様々な問題を多角的な視野に立ち分析。実証的現場主義に基づき、各地を回り、多くの事象を確認し人々の見解に耳を傾ける。過去を詳細に検証し分析することは、未来を考える基礎になる。事実はひとつとは限らない。柔軟な発想を心掛ける。常にポジティブな思考から、明るい次世代社会に向けた提案を続ける。
東海大学海洋学部教授、博士(経済学)、1962年生。専門は、海洋政策、海洋経済学、海洋安全保障など。1986年、学習院大学を卒業後、金融機関を経て、1991年、日本船舶振興会(現日本財団)に勤務。海洋船舶部長、海洋グループ長などを歴任。勤務の傍ら埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。海洋コメンテーター。2008年より現職。