宮崎県のボウリング競技を牽引してきた男性が大病を乗り越え再起をめざしています。そこには懸命に取り組む姿と献身的なサポートがありました。

黙々とトレーニングに汗を流すのは、野崎俊哉さん39才。

野崎さんはかつてボウリング日本ナショナルチームのメンバーとして活躍しました。2008年には東アジアパシフィック選手権で銀メダルを獲得。

さらに、国体の宮崎県代表に何度も選ばれるなど、県のボウリング競技をリードしてきました。

しかし、2018年そんな野崎さんを病魔が襲います。

(野崎俊哉さん)

「(身体の)右と左が全く別物で、右側が全く動かない状態。」

くも膜下出血。

6時間に及ぶ手術の末一命は取り留めたものの、右半身に麻痺が残りました。

(野崎俊哉さん)

「医者から100%は治らないと言われたので、100%までは治らないということは何かしらの努力をしないと、それに近づかないと思って。」

「もう一度レーンに立ちたい」その一心で過酷なリハビリに取り組んだ結果、

見事なストライク投球を披露。

まだ右半身に多少の麻痺があり、投球内容は野崎さんが求める半分ほどの出来ですが、ここまでの回復を見せました。

野崎さんの妻・みゆきさんは、週4回の練習ほぼ全ての投球を撮影。

フォームチェックのサポートをしています。

(妻みゆきさん)

「まわりの人から「左手で投げたら」とか「両手投げに転向したら」とか言われたけど、どうしても本人がもう一回右手で選手として投げたいと言ってたので、これはもうサポートするしかないかなと。」

右利きの野崎さんにとって右半身の麻痺は微妙な指先の感覚がつかめず、歯がゆい思いを強いられます。それでも右手投げにこだわる訳は…。

(野崎俊哉さん)

「妻がずっと見舞いとか看病してくれたので、だから妻のためにも右で投げきって、結果を残したい。」

野崎さんは生きていることに幸せを感じながら、ボウリングと向き合います。

(妻 みゆきさん)

「悔しい思いをすることのほうが多くなると思うんですよ。競技を始めれば昔とくらべて。でも元気で投げててもらえればいつか表彰台には上がれるかな。」

(野崎俊哉さん)

「将来はやっぱり国体(国スポ)に出たい。あと1回でもいいから出て、妻を喜ばせたいです。」

目標達成に向かって…。夫婦二人三脚、再起への道のりを歩み続けます。