多少のユーモアを交えた言葉を上手に使えば、謝罪なんて大きな事態になる前に、“かわいい言い訳”くらいの感覚で済ませられる(こともあるかもしれない)。そこで、文豪たちの〆切にまつわるエピソードが90話収録された『〆切本』(左右社)のなかから文豪の謝罪文をいくつかピックアップ。言葉の天才たちがどのようにピンチをくぐり抜けてきたのか、探ってみることにした。

文豪・夏目漱石も言い訳!?
「筆が進まないのは“神”のせい」

『吾輩は猫である』『坊ちゃん』といった数多くの名作を世に遺した夏目漱石。実は、あれだけの偉人ですら〆切に間に合わず、言い訳をしているのだ。明治38年に高浜虚子に宛てた手紙から引用する。

十四日にしめ切ると仰せあるが十四日には六づかしいですよ。十七日が日曜だから十七八日にはなりませう。さう急いでも詩の神が承知しませんからね。(此一句詩人調)とにかく出来ないですよ。今日から帝文をかきかけたが詩神処ではない天神様も見放したと見えて少しもかけない。いやになった。

あれだけの大物からの手紙で、しかも神まで登場するとなれば、これまた大物の高浜虚子でさえ、何も文句は言えなかっただろう…。仰々しい言い訳に加え、「いやになった」という言葉から垣間見える夏目漱石の弱音を見て、なんだか親近感を覚えたのはきっと筆者だけではないはずだ。あの夏目漱石ですら言い訳をするのだからと、変な意味で勇気づけられた気がする。

まるで小学生のような言い訳を連発!
小説家と編集者のやり取りが面白い

過去に三島由紀夫賞や谷崎潤一郎賞などの受賞経験のある、小説家・高橋源一郎氏。『作家の缶詰』の文中にある、彼と担当編集者との電話のやりとりは、まるで小学生のようなのだ。

電話がかかってくる。
「タカハシさん、あの、もう締め切りとっくに過ぎちゃってるんですけど」
「ええ、あの、ちょっと風邪気味なもんで、今日中になんとか」

電話がかかってくる。
「タカハシさん、まだですかあ?」
「いや、風邪はなんとか治ったんですが、こんどはワイフが風邪をひいちゃって、家事をしなくちゃいけないもんで。でも、今日中になんとか」

電話がかかってくる。
「タカハシさん、勘弁してくださいよ。これ以上、とても待てません」
「申し訳ない。ワイフの風邪は治ったんだが、ワイフの祖母が風邪をひいたんで実家に看病に行ったら、その間に猫が風邪をひいちゃって…」

もはや、嘘をついてだまそうとすらしていないのではないかと思ってしまう発言の数々。これには本人も、“これでは、朝学校に行きたくないので『お腹が痛い』と母親に訴える小学生とほとんど同じである”と書いている。ちなみに、その後どうなったかについては記述がない…。

たった一言で時間稼ぎと責任転嫁
「あと二時間待って」が生んだ逆転劇

続いても、高橋源一郎氏の『作家の缶詰』の中から。今度は、本人ではなく、“有名な某作家”のエピソードとして紹介されている。

有名な某作家は、本当に切羽詰まった状態になり、編集者から矢のように催促の電話がかかってきてそのたびに「あと二時間待って」といい続けたそうである。うんざりした編集者が、どうせ二時間待っても書いていないに決まってるから気をきかせて四時間待って電話をかけたら、その作家氏は「せっかく原稿を書いたのに、二時間たっても電話がかかってこなかったから、頭にきて破いちゃったよ。お前のせいだ」と文句をつけたそうだ。

「あと二時間待って」というひと言で締め切りを延ばし、時間を稼いだだけでなく、最終的に自分は何も悪くなかったかのように編集者に責任を押し付ける。もちろん、良いことではないのだが、そのずる賢さは「さすが」のひと言だろう。

2015年直木賞受賞作家が提案!
今すぐ使える言い訳に便利な言葉とは

2015年に『サラバ!』で直木賞(直木三十五賞)を受賞した、小説家でエッセイストの西加奈子氏は、言い訳にも使えるとある「便利な言葉」を提案している。その「便利な言葉」とは、「肉眼ではね」というもの。

最近考えたのは、編集者に使える「便利な言葉」である。遅れた原稿、大幅な修正、それを求める編集者へ、なんと言ったらうまいこと回避できるか。

結局、小説の展開よりもじっくり考えて閃いたのが、「肉眼ではね」だ。使い方は、例えばこう。

「西さん、先週締切の原稿ですが、まだ送っていただけないのでしょうか」
「肉眼ではね」

どうだろう。「自分は己の目で見えるものしか信じない、物事の背景にある様々なものに心の目を凝らすことが出来ない俗物」と、編集者に思わせることは出来ないだろうか。

「ここからの展開、ちょっと急ぎすぎているような気がするのですが」
「肉眼ではね」
「主人公の性格からすると、ここの描写は矛盾しているのではないでしょうか」
「肉眼ではね」

いかがだろうか? ちなみに、この「便利な言葉」は、相手が編集者でない時でも使えるのではないかというところまで飛躍している。例えば、「あ、太った?」「お金払ってないよね?」「どうして約束破るの?」といったもの。すべてに「肉眼ではね」と答えるだけなので、ビジネスシーンでは厳しいかもしれないが、友だちくらいにならたしかに使えそうだ。しかも、ちょっと賢そうにも感じられる言葉なので、一度試してみる価値あり?

言い訳のための嘘が現実に!?
不思議体験をした小説家の話

ほんの少しだけだが、文豪や人気作家たちの言い訳を紹介してきた。どれもユーモアのある言い訳ばかりなのだが、最後に、嘘をついて言い訳をすると、その嘘が現実になるというなんとも不思議なエピソードを紹介しよう。

そのエピソードというのは、1955年に直木賞を受賞した小説家・梅崎春生氏の『流感記』に記されている。いくつかの〆切が迫った状態で、流感(インフルエンザ)にかかってしまった時のこと。とある編集者から、原稿の催促の電話がかかってきたそう。熱が38.5度もあり、その旨を編集者に伝えても信じてもらえず「あと三日で一篇仕立てろ」と言われてしまった。その編集者が自宅に見舞いに来た頃には、すでに37.5度まで熱が下がっていたそうだが…。

「ほんとに風邪をひいたんですか」
「ほんとだよ」
私は努めて弱々しい、かすれ声を出した。
「見れば判るだろ」
「熱は?」
「うん。熱は八度七分ぐらいある」

省略

「ではお大事に」
と田辺君は帰っていった。原稿はあきらめたらしい風であった。以上までは平凡な日記であるが、ここからがたいへんなことになる。田辺君が帰って直ぐ、何気なく体温計をつまみ上げ、脇の下にはさんで、五分間経って取出して見て、私はあっと叫んだ。水銀が八度七分を指していたのである。

「わぁ。たいへんだ」
と私は大狼狽したが、その八度七分の熱は、一時間ほど経つと、また元の七度五分に戻ったのは不思議である。


宿題を忘れた時や学校をサボりたい時など、親族を勝手に殺したり、風邪をひいたフリをしたり。子どもの頃、そんな経験がある人も少なくないだろう。しかし、このエピソードを聞いてあらためて考えてみると、こういった類の嘘はやはりつかないほうが良いのかもしれないと痛感する…。

やはり、言葉を扱う仕事をしている人たちの言葉は、ユーモアにあふれ、その使い方も秀逸。本当は怒っても良い場面なのに、なんだか怒れないし憎めない。今回紹介した言葉を実際に使うことは難しいかもしれないが、あらためて謝罪や弁解する時の言葉選びの重要性を感じられたのではないだろうか。
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取材・文=明日陽樹/考務店