収束が見えない新型コロナウイルスの感染拡大。

このコロナ禍をどう生きていけばいいのか…芥川賞作家で福島県三春町・福聚寺住職の玄侑宗久さんに話を伺う。

玄侑宗久さん:

「状況が刻一刻と変わっていますから、以前から決めていた事とか、予定通りにできなくなる事がいっぱいあります。

それを意地でやろうとすると、大変な事になるわけです。

【あきらめよう】 という言葉ですが…

元々、仏教語でありまして《明らかにする》という事なんですね。

物事を〔何とかなる事なのか〕〔何ともならない事なのか〕、〔変えるべき事なのか〕〔そのままでいい事なのか〕 それを明らかにする。

その上で、そのままやっては無理だろうと判断したものについては《諦めて》いかなくてはいけない。

仏教語で《諦》は”真理”という意味・”明らかにされた事”という意味ですね。

以前に立てていた目標に、こだわる人が多いじゃないですか。でも状況が刻一刻と変わっていますから、このままやっていいのか・マズイのか、まずそれを明らかにして、無理なことについては大胆に諦めないといけないんじゃないかなという気がします。

それによって、新たな暮らしが見えてくるというか、決して前には戻りませんので。

似たような景色が訪れるかもしれませんけど、それはまた別なものですから。

ずっと前に進み続けていくにあたって、いろんなものを【あきらめ】ながら進んでいくしかないんじゃないですかね」