今では定番となっていることでも、辿っていくと“始まり”があるはず。

7月7日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、細田采花選手、丸山桂里奈さん、ラモス瑠偉さんらが登場し、サッカーや野球、フィギュアスケート、ラグビーなどのスポーツの疑問に迫った。

サッカー日本代表のユニフォームはなぜ青色?

 
 
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様々な競技の日本代表ユニフォームは日の丸をイメージしてなのか、赤や白のものが多い中、サッカー日本代表のユニフォームは青色。海外のサッカー代表のユニフォームは、フランスやブラジル、アルゼンチンなど、ほとんどの国が国旗をイメージした色となっている。

では、なぜ、サッカー日本代表のユニフォームは青色なのか。

元なでしこジャパンの丸山さんにその理由を聞いてみると「日本人は潮が好きだから、潮の色=青だと思います」という不思議な回答に、スタジオにいたみんなが首をかしげた。

インターネットでは、「日本の国土を象徴する海と空」といった説や「日本の伝統色の藍色をモチーフにした」説や「1936年のベルリンオリンピックで優勝候補だったスウェーデンに大逆転勝利した時の色が青色だったから」といった説など、いろいろな憶測が流れている。

そこで番組は、東京・文京区にある「日本サッカーミュージアム」へ。元日本代表で、日本サッカー協会の名誉会長であり、日本サッカーミュージアムの館長である大仁邦彌さんに聞くと「国際大会に日本代表として初参加したのは、1930年の第9回極東選手権。日本代表としての初ユニフォームを着た」というが、その時の色が何色かは「ちょっと分からない」との答えが。

しかし、大仁さんは「このミュージアムにある日本代表最古のユニフォームは1936年のベルリンオリンピックで着た水色のもの」であることを明かした。

1936年以降、サッカー日本代表のユニフォームはずっと青色だったわけではなく、1988年から3年間だけ国旗をイメージした赤色だったこともあるのだが、そのほかは基本的に青。なぜ青なのか、明確な理由は大仁さんでもわからないと言う。

だが大仁さんから、「昔は東京大学のサッカー部が強かった。代表メンバーの中心が東大だったので、同じ青いユニフォームを着たのではないかという話があります」と興味深い話が飛び出した。

初めて選抜選手による1930年の第9回極東選手権に出場した時、代表メンバー15人中9人が東京大学のサッカー部だった。その時の東京大学のユニフォームが青色だったため、日本代表も青色になったのではないか、とのことだった。

 
 

スタジオでは、ラモスさんが日本代表ユニフォームにある提案をしたことがあると告白。「(当時は)愛国心のある選手がいなかったんです。だから、日本代表として選ばれているのだから、日の丸を付けてください」と提案したことで、以来、日本代表のユニフォームに日の丸が付くようになったという。

外国出身選手が多いワケ

2019年9月に開幕するラグビーW杯日本大会。

大活躍が期待される日本代表だが、街の人からは「ラグビーW杯日本代表に外国出身選手が多いのはなぜ?」という疑問が。

調べてみると、代表候補42人中、外国出身選手は19人と4割を超えている。

そこで、2015年ラグビーW杯日本代表のホラニ・龍コリニアシ選手に質問。ラグビーが国技のトンガ王国出身で、日本代表を7年間務めたホラニ選手は「ラグビーW杯では、その国で3年以上プレーをしたらその国の代表になれます」と明かした。

国籍を持たなくても、3年以上継続して居住し、選手として活躍できていれば、その国の代表になれる。

サッカーの場合、日本代表になるためには、日本の国籍を持ち、他国で代表歴のない選手に限られ、バスケットボールなど他のスポーツも同様の条件だが、ラグビーだけは特別だという。

こうしたルールができた理由を日本ラグビーフットボール協会の広報部長・藪木宏之さんは「1823年にラグビーが始まりますが、かつてイギリスが世界を植民地として支配していて、ラグビーを世界へ広めていきます。そこで、イギリス人は、どこの国に行ってもイギリス人がその国の代表になれるルールを作ったことから始まっています」と解説。

つまり、大英帝国時代、ラグビー発祥のイギリスが世界各国へと散らばった自国の選手が世界各国で代表になれるようにと作ったルールが残った。そして、日本だけでなく、外国出身選手を抱える国がたくさん存在している。

しかし、日本は1987年の第1回W杯の時には、外国出身選手が2人だけだった。急に増えた背景には、元日本代表監督の平尾誠二さんのチーム強化のために行った改革があったからだという。藪木さんは「1999年、“平尾ジャパン”の時に、6名の外国出身選手が日本代表に入りました。キャプテンも外国出身選手。この頃から、外国出身の選手が日本代表に入ることに違和感がなくなりました」と明かした。

だが、どの国でも代表になれるのはW杯だけ。W杯とオリンピックでは選考基準が異なり、オリンピックで行われる7人制ラグビーは国籍がないと代表になれないという。

フィギュアの衣装で減点はあるの?

 
 

続いて調査したのは、街の人からの「ザギトワ選手の衣装がギリギリと聞いたけどなぜ?フィギュアの衣装には減点対象の仕組みがあるの?」という疑問。

そもそもフィギュアスケートのルールでは、過度な露出や裸を連想させる衣装、衣装の一部が落ちると1点減点される。このマイナス1点は、転倒と同じ減点のため、勝敗に大きく影響してしまう。

このきっかけとなったのは、1988年のカルガリーオリンピック。当時の旧東ドイツ代表のカタリナ・ヴィットの衣装が攻めたハイレグ衣装だったため、「露出過剰」や「セクシー過ぎる」といった非難が殺到し、過度の露出を禁じる「ヴィットルール」が誕生した。

では、このルールがある今、選手はどのように衣装を選んでいるのか。

バンクーバー五輪で衣装が話題になった元フィギュアスケート選手の安藤美姫さんは「セクシーではなく、クレオパトラの象徴的な物を取り入れた衣装。曲のコンセプトに合わせた衣装で、一つの作品として衣装は必需品なので、私はセクシーな衣装を着ていたという認識はない」と話した。

フィギュアの選手にとって、演技の世界観を意識した衣装選びは大切だが、一方で「タイツの色が肌の色と違うのはなぜ?」という疑問も上がった。

そこで、ソチ五輪代表の村上佳菜子さんに聞くと、「(色が)合っていない人もいます。厚さが特殊で、種類もないのが一番の問題。そこが私たちの悩みです」と明かした。

市販のストッキングではダメなのか?という問いには「一般のストッキングは、お尻の部分に切り替えがあって、フィギュアでは中がレオタードなので、それが見えちゃう。一般のタイツは分厚すぎて、動きにくくてゴワゴワして。その中間の厚さのタイツをフィギュアでは使っています。一番は動きやすさです。ファッションショーではなく、スポーツなので」と話した。

 
 

スタジオでは、細田選手が「最近は、『チャコット』がフィギュア用のタイツを作ってくれて、色的には一番です」と明かした。

バレエ・ダンス用品の総合メーカー『チャコット』では、初めて日本人の肌に合うフィギュア用のタイツを作り、今、選手達に人気があるという。

きっかけはアメリカの選手の真似?

さらに、番組のホームページに寄せられた「日本人で初めて目の下を黒く塗ったプロ野球選手は誰?」という疑問も調査。

そこで、現役選手も訪れるという東京・渋谷の野球用品専門店「久保田運動具店」へ。

まず、目の下を黒く塗ることについて店員は「光による反射を抑えて、まぶしさを軽減させる効果がある」と説明。目の下に溜まった汗で光が反射し視界がまぶしく感じるのを防ぐ効果があり、ナイターの場合も照明の光を軽減させる効果があるという。

その歴史を調べていくと、1942年、アメフト選手が初めて目の下を黒くしたことから始まり、それから野球へと広まったようだ。

 
 

では、日本人で初めて目の下を黒くしたのは誰なのか。

インターネットで調べてみると、元広島東洋カープの高橋慶彦さんにたどり着いた。3度の盗塁王に輝き、1979年にはイチローも抜けなかった33試合連続安打の日本記録を打ち立てた打撃の名手。

そこで、「高橋さんが日本人で初めて目の下を黒くしたのか?」とご本人に直撃すると、「だと思いますね、僕が早かった」とし、「当時のカープはアメリカの2軍のマイナーリーグに毎年行っていたんです。そこでアメリカの選手を見て真似しました。カッコイイじゃないですか!」と明かした。

高橋さんが目の下を黒く塗ったのは1975年。当時、日本に黒く塗るものはなかったため、「コルクを焼いて炭にして、炭を顔に塗っていた」と告白した。
 

『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送