「10歳の自閉症を抱えた息子さんの世話に心身ともに疲れきってしまった母親がいるので、サポートして欲しい」

この日もまた、聞き慣れたシナリオが医師によって説明され、私は救急病棟へと足を運んだ。

患者のボブ(10歳男児・仮名)は極度の自閉症で、かなりのBehavioral Issue(自身の行動を自分自身でコントロールできない症状)を抱えた少年だ。

頭を打ち付ける自傷行為から怪我を避けるため、ヘルメットをかぶっているものの、それでも顎は自傷ですりむけ、赤く腫れ上がっていた。また両手の甲はどちらも傷だらけで、見ているだけでも痛々しい。

自閉症を抱えたボブとの生活

私は、アメリカでソーシャルワークの修士号を得たのち、市営病院の小児救急病棟でホスピタル・ソーシャルワーカーとして働いている。

ソーシャルワーカーとして、弱い立場にいる人々の自立と生活向上のために救急病棟にて奮闘する毎日だ。

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そもそもボブはこの日、39度近い発熱を理由に救急病棟に運ばれてきた。しかし、検温、血圧、心拍数など通常ナースが当たり前に行うことが想像を絶するほどに難しかった。

興奮状態で訪れたボブは大声で叫びながら、振り回した腕でだれかれ構わず叩きつけ、必死で抑えようとするお母さんの手をひっかき、しまいにはかじりだした。

診察することなど到底できない興奮状態のボブに、最終的には両腕、両足に拘束具をつけ、Ativanと呼ばれる鎮静剤が注射され、ようやく落ち着いたところで診察が行われた。

何が理由かわからないが、ここ3週間、このような興奮状態が続いていて、夜もまともに眠らず、家族を疲労困憊させているのだという。お母さんは夜中の2時に起きてから眠っておらず、疲れ切った表情を見せていた。

ここで少しボブの家庭環境を説明しておこう。ボブは6人兄弟の3番目。上から16歳、14歳、10歳(ボブ)、7歳、6歳、1歳となっている。38歳のお父さんが6人全員の実の父親だが、小さい3人は現在のパートナー(42歳、今回病院にきたお母さん)との間に生まれた子供だ。

ボブの実のお母さんは、2歳の時に失踪してしまった。お父さんもお母さんも怪我とメンタルヘルス問題で働くことができないと申請しているため、行政からSocial Security Disability と呼ばれる福祉手当を受けている。

ボブと14歳のお兄さんも自閉症の認定を受けているため、Supplemental Security Incomeと呼ばれる低所得者への障害福祉手当を受けている。このほか、いわゆるFood Stampと言われる食品配給券もこの家族は受給している。

生活は基本、行政からの補助金で成り立っているわけだが、それでも一家8人が生活していくには決して楽な金額ではない。

障害につながるリスクファクター

私が勤めている市営病院は、ニューヨークのブロンクスという地区にある。NY市にある5地区(マンハッタン、ブロンクス、クイーンズ、ブルックリン、スタテンアイランド)の中でも、貧困率、犯罪率、児童虐待率が他の地区に比べて高いとされる。

この地区ではボブのような、行政補助に頼り切って生活している家族は決して珍しくない。モラルの低下や行政への過度な依存などの問題で、補助にも賛否両論あるのだが、実際に彼らと接していると、行政に依存せざるを得ない状況というのが見えてくる。

貧困と密接に関係し、ひいては教育、環境、就職、医療とさまざまな要素が複雑に絡み合ってくる。

そもそもボブが抱えるような障害は、 多くの研究によって貧困が大きなリスクファクターであるとアメリカでは理解されている。

貧困層における発達障害(自閉症、ADHD等)、学習障害、また知的障害率は、そうでないソシオエコノミック層に比べて多いとされ、それはブロンクスの市営病院で多くの患者と接してきた経験から私も実感している。

まず、貧困がゆえに起こる、母親の妊娠中の栄養不足、幼少期の低栄養状態、劣悪な生活環境による有害な環境汚染物質との接触、発達のために必要とされる乳児期のふれあいの欠如などが神経発達障害に関わっているという研究結果がある。

さらに、貧困による慢性的なストレス要因が、複雑な思考や判断力のほか、社会性や人格形成、記憶、感情のコントロールを担う脳の前頭葉前部(前頭前皮質)の発達に大きく関わるため、ADHDや自閉症などの障害に繋がっているのだと考えられている。

この前頭葉前部は脳の中でも最重要機能とも言われている。また、ストレス要因は、新しい環境での情報処理や困難に立ち向かうための決断能力を担う脳海馬にも大きな影響をもたらすとされている。

私が職場で目の当たりにするあらゆる社会問題の根幹には貧困があると日々痛感させられる。児童虐待、ティーネージャーの妊娠、薬物中毒、劣悪な生活環境、高犯罪率、DV、ホームレス、メンタルヘルス問題などはそのほぼ全てが貧困と密接に関わっている。

ボブはわずか妊娠27週の時に生まれてきてしまい、最初の1年間を病院のNICU(新生児集中治療室)で過ごした。早産であればあるほど、長期間に渡る医療問題、発達障害を抱えやすいことがわかっている。

実際、ボブも障害を抱えている。ボブがなぜこれほどまでに早産で生まれてしまったのかは不明だが、一般的に早産は喫煙、アルコールや薬物の摂取、ストレス要因、劣悪環境が大きなリスクファクターとされている。

2歳のボブ、8歳、6歳の兄弟を残して突如失踪してしまった母親の行動からは、メンタルヘルスの問題を抱えていたであろうことは想像できるし、もしくはDVがあったのかもしれない。

日々の子育てと貧困との生活に疲れ果て、ストレス要因から逃れるために薬物を使っていたのかもしれない。もしくは彼女自身に発達障害、もしくは知的障害があり、育児ができなかったのかもしれない。

貧困がもたらす複雑な問題

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10歳になったボブは、身体的な成長に伴って自傷行為の深刻性が増してきているとして、半年以上前から精神科医によって気分安定剤と抗精神病薬の投与が始められた。

規定通りの投薬を続けていれば、行動問題もかなり安定し、ある程度リズムを守った生活が送れるそうなのだが、現実には投与もまばらで、処方箋が終わってしまった後もお母さんが補充(refill)をしないまま、何日も経ったりすることがあったという。

こう聞くと、お母さんを責め立てたい気持ちになるのだが、これもまた、貧困による影響が大いに関係している。

行政補助金受給者は、受給継続のために頻繁な面接を行政により求められ、生活の時間の多くを割かれる。さらにボブ以外5人の子供(その中には障害以外、メンタルヘルスの問題を抱える子もいる)の世話をするお母さんには、時間的にも精神的にも余裕が一切ないのではないのかと思われる。

実際、1ヶ月前には、7歳の妹が幻覚症状で2週間、小児精神病院に入院していたという。次から次へと降りかかってくる問題を、ひたすら対処し続けるお母さんの姿が目に浮かぶ。

アメリカには、発達障害や学習障害、知的障害を早期に発見し、できる限り早い時点でインターベンション(行政による介入)を行い、少しでも社会生活をスムーズに送れるよう、障害の影響を最小限に抑えることを目的としたサービスが確立されている。

ボブもまた、NICUから退院した時点で様々なサービスを受け、現時点でも引き続き行政機関を中心とした多くのサポートを受けている。

存在する問題への対策を見出すアメリカ、しかし大きなリスクファクターとされている貧困問題に取り組まない限り、根本的な解決にはならない。

ソーシャルワークの前線で、日々の人々の奮闘を描きながら、アメリカの現状と行政の取り組み、課題などを追いかけ、日本の福祉事情と比較しながらよりよい社会づくりへのヒントを見出していきたいと思う。