ぐったりとして運ばれてきた女の子

夏の蒸し暑い日。とある夜に、 アイリス(2歳女児、仮名)は小児救急病棟へ運ばれてきた。

救急隊員によってトラウマベイに運び込まれてきたアイリスは、力なくぐったりとしていた。周りを取り囲んだ医師たちに触られると、わーっとひと泣きはするものの、すぐに眠り込んでしまう有様だった。同伴してきたのは曽祖母(63歳)と1歳の妹、そして13歳になる兄。医師たちはすぐさま「摂取事故」と判断し、同伴した曽祖母にまず状況を聞き出していく。

「摂取事故」、英語で言うIngestionである。

ブロンクスで小児救急に携わると、このIngestionという言葉をよく耳にする。その背後にあるのがアメリカでここ数年急速に広まっているOpioid Crisisという問題だ。

Opioidとはアヘン、いわゆるヘロインやモルヒネなどの主要成分で、麻薬の一つだ。Opioidは中毒性が非常に高く、過剰摂取によって簡単に命を落とす(オーバードース)ことがあり、危険性が高い。

このOpioidによって死亡するケースが、アメリカでは1990年代の前半までおよそ10万人に2人の割合で横ばいだったのだが、1990年代半ばを皮切りに急激な勢いで増加した。アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によれば、2015年の死亡率は10万人に10.5人にまで上昇し、かつてないレベルで蔓延している。さらに妊娠中のOpioid常用により中毒状態で生まれる乳児の数が激増しており、大きな社会問題となっている。

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曽祖母によれば、もしかすると自身のOpioid(ヘロイン)中毒を治療するために処方されたSuboxoneという薬を、アイリスが間違って摂取してしまったのかもしれないと話す。医師によれば確かにアイリスは縮瞳や低血圧、浅い呼吸など、この種の薬を誤飲してしまった場合に見られる典型的な症状だったため、摂取事故と判断。即座にそれに対応した処置を行っていく。

この手の薬物は長時間に渡って影響を及ぼし、さらに最悪なケースとしては呼吸困難や心肺停止などの症状もあり得るため、油断はならない。

アメリカでまん延するOpioid

なぜ、Opioidは、突如90年代を皮切りに蔓延したのだろうか?

 90年代後半、アメリカの製薬会社は、Opioidを含んだ処方鎮痛剤には中毒性の危険がないとうたい、太鼓判を押した。そのことで、アメリカ医療業界はこれまでにない勢いでOpioidを処方し始めた。OxyContinやPercocet, Vicodin, Morphineなどの商品がこれらに当たる。抜糸後や手術後、もしくは慢性的な腰痛などの痛みを和らげるために主に処方され、瞬く間に広まったのだ。

1991年には7600万ほどだった処方箋の数が、2013年には2億700万通まで爆発的に増加したというデータもある。

これらの薬は、脳への痛みのシグナルを低下させることで、痛みを感じさせないようにすると同時に、幸福感、いわゆる「ハイ」を与える。処方された患者の多くは、次第にこの“ハイ”をもっと得たいという欲求に駆られ、処方された以上の量を摂取したり、もしくはより強い“ハイ”を感じるために、処方された以外の方法で摂取し始める。

例えばピルを粉々にして鼻から吸引したり、注射で打ったり、もしくはアルコールと同時摂取したりなどだ。しかし、これらの方法は深刻な影響を体に与え、呼吸困難や昏睡状態、そして中毒症状を引き起こすことになる。

 さらに、Opioidを長期間に渡り乱用すればする程、tolerance(耐性)を生み出すため、摂取量を増やさなければ同じ“ハイ”を得られなくなり、さらに乱用が加速する。処方箋で手に入れるOpioidには通常期限があり、術後などある程度回復すれば処方されなくなるため、中毒症状を引き起こした人たちは、処方箋を必要としない方法で同じ“ハイ”を得られる方法へと流れていくのだ。

そして路上で手に入れられるヘロインに手を出すことになる。ヘロインは、当然違法だが、処方箋よりも簡単に、そして安く手に入れられるのが現状だ。Opioidを含んだ処方鎮痛剤の激増は、このようにして麻薬中毒などの社会問題を生み出している。

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曽祖母の説明によれば、フィルム形状のSuboxoneを半分に切り(少しずつ処方量を自ら減らす目的)、アルミの包み紙に戻したつもりだったが、何かのはずみでそれが飛ばされてしまったようで、アイリスの口の中に入ってしまったのかもしれないと話す。

 アメリカでは、Opioid中毒の治療において、MethadoneやBuprenorphineと呼ばれる同じOpioid族に属する薬物を処方する。これらの薬は通常のOpioidがもたらす“ハイ”を与えず、脳が求める欲求を抑える。そのため、中毒症状を減少させ、治療に効果的だとされている。

これらの薬物はもちろん処方箋によってのみ手に入り、厳重に管理され、決まった量を決まった間隔で摂取することが絶対条件とされている。これらの治療薬による中毒治療は、セラピーやソーシャルサポートなどと併用することで、さらに効果を高めていく。

Methadoneは1937年にドイツで発見されて以降、何十年にも渡り中毒治療として使われ、その効果は実証済みだ。Methadoneは効果的である一方、それ自体が中毒性の危険をはらんでいるため、厳重な管理下でのみ処方される。通常はクリニックなどに出向き、スタッフの前で飲んだりする。

Buprenorphineは2002年にアメリカ食品医薬品局(FDA)に承認されたばかりの新しい治療薬だ。Methadoneと違い中毒性が低いため、医師が処方したものを自宅に持ち帰ることができ、その手軽さから多く処方されるようになった。曽祖母が処方されていたSuboxoneもこの類だ。

これらの治療薬は、すでにOpioid中毒に陥っている人に処方されるからこそ、“ハイ”を与えることなく欲求を抑えることができるのだが、Opioidを摂取したことのない人にとっては体に大きな影響を与え、通常のopioidがもたらす“ハイ”を感じたり、簡単にオーバードースしてしまったりする。つまり、中毒患者以外の人にとっては、Opioid同様、危険性をはらんだ薬物なのだ。

児童保護サービスが余儀なく介入

頭を抱えて、心底心配そうに見守っている曽祖母の姿からは、故意に誤飲させたというような印象は受けず、私には、本当に不慮の事故だったのだろうと感じられた。しかし、2歳の少女が命の危険に晒されたことは紛れもない事実で、その責任は監督者であった曽祖母にあることは明らかだ。世話人として通常面倒を見ている曽祖母の不注意で起きた深刻な事故であった以上は、mandated reporter (報告義務を負う者)としてState Central Registry (NY州の虐待一括通報システム)に通報せざるを得ない。

アイリスが運ばれて来てから少し経って、血相を変えた母親が救急病棟に走り込んできた。この日は病院での予約があり家を不在にしていたという。かいつまんだ情報しか知らされていなかった母親は、娘のことが心配で仕方なかったのだろう。母親に状況を説明して落ち着けてから、家での様子を聞き出していく。

「誤飲のようです」と説明するやいなや、母親は「正直、曽祖母は、治療薬どころか、またヘロインに手を出していると思う」と話した。もらった年金は一切家計には入れず、あっという間に消えてしまうことが続いていて、2−3ヶ月前から使用を再開したのではないかと疑っていたというのだ。

さらに話を聞けば、すでに虐待の有無を調査するために児童保護サービスであるAdministration for Children's Services (ACS) が1ヶ月前から介入しているという。この時点で、家庭内の様子をある程度想像し、私の印象は変わった。「単なる誤飲事故」ではなさそうだ。母親はすぐさまケースワーカーに連絡を入れ、状況を説明した。

すでにACSの介入がある家庭が新たな虐待の疑いで通報された場合には、当初のケースワーカーが引き続き新しい疑いも担当することになっている。私はケースワーカーの女性と情報を交換し、今後の対応を協議していく。ケースワーカーによれば、そもそも介入に至ったのは、1ヶ月前に曽祖母と母親との間で大げんかがあり、子供の安否を心配した近所の人が通報したからだという。

その数週間後、今度は祖父が母親に暴行したということで新たな通報があった。しかし、遡れば2年以上も前からこの家庭にはACSの介入が度々あったのだという。それらは母親のメンタルヘルス問題(双極性障害の診断を持つ)、家庭内暴力、兄への身体的虐待など多岐にわたる。兄とアイリスは一度、母親から引き離されFoster Careに入れられていたこともあったのだという。この家庭もやはり、ブロンクスに住む多くの家庭が抱えている問題を抱えていたのだ。

容態をモニターするために入院することになったアイリスも、翌日にはすっかり元気を取り戻し、入院病棟を駆け回っていた。退院できるほどに回復したのだが、一度ACSが介入すると、退院の際に子供が誰の元に帰るのか、彼らの指示/許可を得なければならない。今回はまだ決まっていないことから、アイリスは回復後も病棟に入院し続けることになった。その間ACSではChild Safety Conferenceという緊急の会議がACSと関係者(母親や曽祖母)との間で持たれ、アイリスが安全に生活できる場所はどこなのかを協議していく。

この会議で「親元から引き離すべき」と判断された場合には、すぐにケースワーカーが家庭裁判所へと出向き、その申請を行う。今回は数々の通報、命の危険を伴う重大な事故、薬物使用の懸念、世話人の監督不行き届きなどの理由から裁判官も親元から引き離すことを了承し、アイリスだけでなく妹と兄も、母親の元ではなく、母親の妹である叔母の元へ行くことを命令された。

いくら危険とはいえ、急に母親の元から引き離されたアイリスが受ける影響は大きいだろう。 親や世話人とのattachment(愛着、愛情)が子供にもたらす重要性は立証されており、健全な育成を促すには不可欠だと言われている。そのattachmentを突如中断させられた影響はのちのちアイリスの人生にも影響を与えるはずだ。

このケースでも、また、複雑に絡みあった社会問題が交差する。世代を超えたティーンでの妊娠、そういったことが要因となる低学歴、低年収、地域だけでなく家庭内でも晒される暴力、なかなか抜け出せない貧困から簡単に手を出してしまう麻薬、麻薬の影響による育児へのネガティブな影響…。

たくさんの点が線となって絡まり合い、それが毎日のように救急病棟に押し寄せてくる。 一体何をどう変えていけば少しでもこのような状況が減らせるのか、ソーシャルワーカーとしては悩むばかりだ。

曽祖母はACSにより薬物更生プログラムへの参加を強制させられ、しばらくは薬物から離れることができるかもしれない。それでも他の数々の問題がおそらく彼女を薬物へと駆り立ててしまうのだろう。麻薬や暴行が横行するブロンクスを抜け出すだけの経済力があれば、また状況は変わるかもしれない。しかし、高校卒業資格すらない母親と曽祖母には、最低賃金の仕事すら得られる保証はない。そのような苦しい大人に囲まれたアイリスや妹、兄もまたこの生活から抜け出すには、社会のサポート、家庭のサポート、金銭的なサポートがなければ不可能だろう。

アメリカにはそのようなソーシャルセーフティネットが歴史的にしっかりと根付いている。当然十分ではないが、彼らがその中のわずかな糸につかまり、この負のサイクルから抜け出すことを願うしかない。そう願いながら、また新たなケースのベルが鳴る。