常磐線の“終着駅”

東京駅から特急を乗り継いで3時間。福島県内にJR常磐線の“終着駅”がある。

ここは、去年の秋(2017年10月21日)に再開されたばかりの富岡駅。福島第一原発から10キロ圏内に位置する。

朝8時半ごろ、駅に行ってみると、ちょうど列車が到着し、30人ほどの乗客が降りてきた。

富岡町では、原発事故が起きてからずっと避難指示が続いていたが、去年4月1日に町の大半で指示が解除された。

町の大部分が長く「警戒区域」や「居住制限区域」などに指定されていたため復旧は遅れ、避難指示が解除されても鉄道が戻ったのは富岡駅まで。現在はここが終着駅となっている。

富岡町から先は今も不通
この記事の画像(9枚)

駅の周辺を歩いてみても、何か目立ったものがあるわけではない。震災直後に取材で訪れた際には家がたくさん立ち並んでいたが、それもほとんど取り壊され、風景は一変した。

それでも、富岡駅のオープンに合わせる形で去年、一棟のホテルがオープンした。駅から徒歩1分という好立地のビジネスホテル「富岡ホテル」だ。

オーナーは渡辺吏さん、58歳。富岡出身だが、ホテル経営のプロではなく、震災前は駅前で50年以上続く食料品店を営んでいた。

渡辺吏さん

その店舗は津波で大きな被害を受け、自身は原発事故によって避難生活を余儀なくされた。

渡辺さんは避難先の福島県大玉村で仮設店舗を設けて事業を再開していたのが、避難指示が解除されることを知り、富岡町へ戻ってくることを決めた。仲間たちと相談した結果、たどり着いたのがホテル経営だった。

「商売として考えて、帰還が始まっても宿泊が足りないだろうと。本当にそれは安易な考えで、今やってみて本当に大変だなと思うんですが(笑)」

4階建てで、木の風合いを生かしたモダンなデザイン。ホテル周辺に飲食店がほぼ存在しないため、レストランを備えていて、福島県産の食材を中心に料理を振る舞っている。

福島県産の食材をなるべく集める

当初は7割ほどの客室稼働率を想定していたそうだが、実際には5~6割を行ったり来たりしている状態。客は福島県外の人が多く、原発関連で働く人がメインだという。

「このあたりは観光というものがないですからね。原発などの視察に来る方が泊まったり。この前は千葉の高校生が団体で来たりしました。人を呼ぶためにはどうしたらいいかという町サイドでの話し合いに、私にも入ってくれという話もあるんですが、まだまだこれからっていう感じですね」

それでも、徐々に人の流れを戻そうという運動は様々なレベルで始まっている。

富岡ホテル

7年ぶりの桜のライトアップ

富岡町が誇る見どころと言えば、夜の森地区の桜並木だ。毎年4月には道沿いに並んだ桜の立派な枝に花をつけ、住民だけではなく、大勢の人が訪れる観光名所となっていた。

ここに、また大勢の人に集まってもらいたい。そういう想いで、去年1月に設立されたばかりの民間団体「とみおかプラス」などが、7年ぶりの桜のライトアップを行なった。

7年ぶりにライトアップされた桜のトンネル(富岡町提供)

主な目的は、町の魅力をアピールして、早期に帰還できない住民に故郷への誇りを持ってもらい、全国の人々にも富岡町を知ってもらうというもの。日中には桜をデザインした絵馬を来場者に配布するなどのイベントを展開し、安倍首相をはじめ、多くの人が訪れた。

8月には夏祭りも再開。それでも、「とみおかプラス」の大和田代表理事に話を聞くと、取り組みはまだ始まったばかりだと言う。

「大掛かりにはできませんが、町に来ていただきたいと、花火大会もやりました。普通なら数千人が集まってくるんですが、今回は500人から1000人くらい。ちょっとさびしいですが、趣旨に賛同して見学したり街に戻ってきたりしてくれてよかったなと思います」

震災発生時の富岡町の人口が15,960人だったのに対し、去年12月1日現在で町へ戻ってきた人数は376人。道のりはまだかなり長そうだ。

「原発ツーリズム」の最前線基地?

どうやって富岡町に多くの人に訪れてもらうのか。富岡ホテルの起工式を伝える2年前の新聞記事の中にこんな内容のものがあった。

『事故現場を観光資源とする「原発ツーリズム」の最前線基地』

これに、富岡ホテルのオーナー・渡辺さんは、違和感を持っていた。

「富岡ホテルと名前を付けた人がいて、『こういう想いでやっていかなきゃいけないよ』と言っていたのが、そのまま出ちゃったんですよね。我々の想いと報道と違う部分があって、その辺はちょっとね。原発ツーリズムを進めるという想いは、私はないです」

ただ、事故を起こした東電を憎む気持ちはないと言い、町に原発関係の人が住むことについては前向きな考え方を持っている。「10人いたら10人の考えがあって、みんな違う」と前置きしつつ、こんなことを語った。

「7年経って、家族の事情とかがあって、戻りたくても戻れない人が本当にいっぱいいる。それはそれでしょうがないと思うんですよ。だから、その中で、廃炉関係の社宅の街になるかもねと。富岡町の人を戻そうと言っても、たぶん戻んないですよ」

人が戻ってこないことを「しょうがない」と渡辺さんは何度も表現したが、自身の借金やホテルにお客さんが少ないことなど置かれている現状については、常に前向きに未来を見据えていた。  

「これまでも田舎で商売をやってきましたからね。『らしさ』を出していきたいと思います」

震災から7年。富岡町が復興しないのはしょうがない、と被災者たちに言わせてはいけない。



(執筆:Shimizu Toshihiro)