先週末、加計学園をめぐる『総理のご意向』などと記した文書に関して、内閣府が調査結果を発表した。報告書のねらいは、(1)しっかりと調査した感じを出す。(2)『総理のご意向』などの発言はなかったと報道してもらう。(3)文科省や野党に後々攻め込まれないように気を付け…という3点だ。
ポイントは、「総理のご意向」「官邸の最高レベル」などと内閣府に言われたという記載のある3つの文書に関して、どう書くかだ。

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まず文書(1)(ナンバリングは内閣府報告書のまま)には、「官邸の最高レベルが言っている」という記載がある。
内閣府はまず、この文書が内閣府に存在しないことを高らかに宣言する。文科省の担当者が文科省の中で情報を共有するために作った文書なのだから、それが内閣府にあったら不思議なのだが、そんなことはお構いなし。「ヒアリング対象者(9人)のすべてが、文書は見たことがないと回答した」と冒頭に書くことが大事なのだ。ここに大きな“からくり”がある。

まず、前段は主語が「全員」で述語が「ないと回答した」だ。つまり、一人ひとりに聞いて、「見たことがない(否定)」と確認したということ。ところが、後段の主語は「発言した人がいないこと」で述語は受動態の「確認された」。ニュース原稿でもそうだが、受動態は大概の場合、誰が?などをごまかしたい時に使う。この書き方だと、9人全員を集めて、「お前らの中にそう発言した奴はいるか?」と訊き、誰も返事をしなければ「発言をしたものがいないことが確認された」と書ける。

「発言した者がいないこと」と否定で書き始めるのもテクニックだ。
「発言した者がいないこと」が確認されたと、「発言した者がいる」とは確認されなかった…では、否定の強さの印象が全然違う。
これでメディアは「発言はなかった」と報じてくれるのだから、内閣府のねらい通りだ。

この文章でいくつかテクニックがあるが、前段で9人それぞれにヒアリングをしていることを印象づける。そして「同様に」と後段につなぐので、後段も9人それぞれにヒアリングをした結果なのだろうと幻惑されてしまうのだ。しかも受動態のごまかしもある。結果、本当は弱々しく根拠薄弱な後段の否定が、立派な否定に受け止られやすくなる…という役人の文書テクニックが駆使されている。

文書(5)(「総理のご意向」)についても、ほぼ丸々文書(1)の書き方をコピペしてダブル否定している。内閣府はこの書き方はなかなか使えると思っているからだ。

文書(9)(「官邸の最高レベル」)についても、まず全員が文書を見たことがないと回答したという書き方を踏襲している。(1)、(5)、(9)と冒頭で否定の3連発だ。
しっかり調査している感も醸し出せるというものだ。

ところが、文書(9)では後段がガチャガチャしている。なぜかというと、(9)は(1)や(5)と違って、“内閣府との打ち合わせ概要”というタイトルのもと、打合せを行った日時と内閣府側の対応者として藤原審議官と佐藤参事官の名前が書いてある。より慎重を期さなければならない所以だ。下手な書き方をすると文科省や野党に突っ込まれかねない。
そこで内閣府が使ったテクニックは…1人しか回答していなくても、全員がそう回答したかのように思わせるテクニックだ。

ヒアリング対象者のうち1人が「発言していない」と回答し、残りが「(誰かがそんなことを言っているのを)聞いた記憶はない」等と回答すれば、「全員が、『発言したことはない』『聞いた記憶がない』等と回答した」と書ける。「発言していない」「聞いた記憶はない」は例示にすぎないからだ。
「発言していない」のは1人だけだとしても、読んだ印象としては、全員が「発言していない」と回答したかのように思えてしまう。「等」をやたらと使うのも役人文書に特有の逃げだ。

さらにこの報告書で使われているごまかしのテクニックは、文書(1)(5)(9)それぞれについて、何人からヒアリングをしたかが明かされていないことだ。報告書の冒頭に、ヒアリング対象者は9人と書いてあるのだが、例えば文書(9)には、藤原審議官と佐藤参事官の名前が出席者として明示されているのだから、この2人に聞けば済む話。しかし、この2人にヒアリングして2人とも「発言していない」と書くと、文科省から突っ込まれる可能性がある。さらに、文科省から「あのとき藤原審議官はそういった」とか「佐藤参事官はこういった」とか別の証拠みたいなものが出てくるとまずい。だから文書(9)のヒアリング対象者も9人と思わせておくのだ。2人より9人の方が、誰が何と回答したのか、分かりにくくできるからだ。

上記の大臣の発言は、報告書の中盤の「ヒアリングのまとめ」と「末尾のまとめ」に2回登場する内容と同じだ。引用すると、「ヒアリング対象となった職員はいずれも個別の項目や個別のプロジェクトについて『官邸の最高レベルが言っている』等と伝えた認識はなかったことが確認された」

つまり、発言したしないという『事実』関係ではなく、言ったかもしれないがそう伝えたという『認識』はなかったと結論づけているのだ。あくまでも内閣府側の『認識』でしかないので、文科省や野党から嘘つき呼ばわりされることもない。

よって、冒頭の報告書の3つのねらいは満たされることとなった。内閣府の担当者も徹夜で作業した? 甲斐があったのではないか。